WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

カタロニアン・ナイツ

2007年02月05日 | 今日の一枚(C-D)

●今日の一枚 125●

Dexter Gordon     Bouncin' With Dex

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 『バウンシン・ウィズ・デックス』……。デクスター・ゴードンがヨーロッパのレーベル Steeple Chase に残した1975年録音盤だ。

 デクスター・ゴードンといえば、朗々としたブローが魅力ということになっている。まあ結局そういうことになるのだけれど、僕は、音の伸ばし方が魅力的だと表現することにしている。その方が偉そうじゃなくていいじゃないか。それに、朗々としたブローなどというと、余裕綽々の悠然たる演奏という感じが強いが、デックスはもっと音に自分の思いを込め、ぶつけてくるような演奏家であるように思うからだ。このアルバム収録で名演の誉れ高い「カタロニアン・ナイツ」などを聴くとますますその思いを強くする。この曲のデックスは、朗々としたブローというにはあまりに情熱的ではないか。映画「ラウンドミッドナイト」に登場したような渋い悠然としたデックスも悪くはないが、こういう情熱的なデックスが本当は好きなのだ。

 ところで、テテ・モントリューは個性的なピアニストだ。このアルバムを聴きこむにつれ、このスペイン生まれの盲目のピアニストの存在感が際立ってくるのはどういうことだろうか。デクスター・ゴードンが作曲した「カタロニアン・ナイツ」もカタロニア出身のモントリューを念頭において作られた曲だということだ。

 このアルバムがデクスター・ゴードンがSteeple Chase に残した最後の録音となり、翌76年アメリカに帰国する。


フロム・A・トゥ・Z

2007年02月05日 | 今日の一枚(A-B)

●今日の一枚 124●

Al Cohn & Zoot Sims     From A To Z

Watercolors0001_7  インフルエンザのため自宅待機の一日だった。身体の調子はだいぶいいのだが、ちょっと仕事をするとすぐ汗ばんでくる。じっくり音楽でも聴けばよかったのだが、ひとり残された自宅には何かと家事があるのだ。本調子でない身体を動かしながら、主婦も大変だと思ったりもした。

 名コンビ、アル・コーン = ズート・シムズの記念すべき第一作、1956年録音の『フロム・A・トゥ・Z』だ。以前にも述べたが、彼らの演奏はテナーバトルというより、互いに補い合い、強力することで成立している演奏だと思う。まさに、「協力は強力」である。

 ご機嫌な一枚だ。アンサンブルは伸びやかで落ち着きがあり、バンドは本当に楽しげにスウィングする。ソロは淀みなく流れ、永遠に続くかのようだ。心はウキウキ、ただただ楽しく気持ちいい。彼らの演奏の背景にも音楽理論なるものがあるのだろうが、彼らの音楽を聴くためにはそのようなものは一切不要だ。彼らの演奏は難しい顔をして聴く音楽ではないのだ。今考えれば、60年代や70年代のJazz喫茶で「瞑想」しながら聴くには、もっとも不似合いな音楽だったかもしれない。

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イン・マイ・ドリームス

2007年02月05日 | 今日の一枚(C-D)

●今日の一枚 123●

Dusko Goykovich     In My Dreams

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 数年ぶりにインフルエンザに感染した。一昨日の朝から39度をこえる熱を発し、夢と現の間を彷徨うようであった。タミフルを服用して、やっと?昨日になって熱が下がった。まだ少し頭痛はあり、医者からは、今日の仕事は禁じられているが、全体的な身体の調子はよくなってきた。

 「夢と現の間を彷徨った」ということで、今日の一枚は、ボスニア出身のトランペッター、ダスコ・ゴイコヴィッチの2000年録音盤の『イン・マイ・ドリームス』……。バラード集だ。やや内容が単調で飽きると感じることもあるが、さすが哀愁のトランペッターといわれる男、哀しみを湛えた音色は味わい深い。病み上がりの身体にも優しく響いてくれる。

 1991年からはじまったユーゴスラビア紛争において、旧ユーゴは、スロベニア、クロアチア、ボスニア-ヘルツェゴビナ、マケドニア、新ユーゴに分裂し、その後新ユーゴも国名変更を経て、2006年にはセルビアとモンテネグロに分離独立した。結局旧ユーゴスラビアは6つの国に分裂したことになる。1931年生まれのダスコは、このような激動の中を生きてきたわけだ。少なくとも表面的には平和を謳歌している日本人の私には想像もつかないことだが、旧ユーゴの紛争と分裂はダスコにとっては、大きな意味をもつに違いない。自分を育んだ祖国と文化が失われてしまったことが、ダスコの郷愁と哀しみを湛えた表現に関係していると考えるのはうがった見方だろうか。

 民族というものを意識したことのない日本人の戯言と嘲笑されるに違いないが、ユーゴスラビアが存在した約70年近くの間に異なる民族の間での混血が進み、自らを「ユーゴスラビア人」と名乗る者もあったという事実を知るにつれ、ユーゴの紛争は残念でならない。

 本CDには、日本盤のみへのボーナストラックの⑩ BalladFor Belgrade が収録されているが、この曲は彼がコンサートなどでもしばしば演奏するらしい。ベルグラードとは、いうまでもなく、旧ユーゴスラビアの首都であり、ユーゴスラビア文化の中心であった。ダスコも若い頃ベルグラードの音楽アカデミーで学んだようだが、ボスニア出身のダスコが、ベルグラードのためのバラードを好んで演奏することに、ダスコの旧ユーゴへの想いを垣間見るのは考えすぎだろうか。