WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

国境の南、太陽の西

2010年12月31日 | 今日の一枚(C-D)

●今日の一枚 296●

Claude Williamson

South Of The Border West Of Sun

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 大晦日である。これから神棚の正月飾りを設営しなければならない。その前にと、珈琲を入れて一服している。ここ数日はバスケット三昧だったので(といってもTV観戦だが……)、ゆっくりと音楽を聴くのも久々のような気がする。

 「白いバド・パウエル」、クロード・ウイリアムソンの1992年録音盤、『国境の南、太陽の西』である。vernus レーベルのピアノ・トリオ盤である。村上春樹の同名のベストセラー恋愛小説に登場するスタンダード・ナンバーを取り上げた企画盤である。映画の一場面のようなジャケット写真が想像力を掻き立ててなかなか興味深い。クロード・ウイリアムソンのピアノも、スローナンバーでは端正なたたずまいをしめし、アップテンポのナンバーではとてもよくスウィングしている。なかなかいい。今日のようなゆったりとした日の一服にはとても好ましいサウンドである。

 一番のお気に入りは、「スター・クロスト・ラヴァーズ」だ。村上春樹の小説でも、主人公が経営するジャズ・バー「ロビンズ・ネスト」で、ピアノ・トリオが彼のためにたびたび演奏してくれる曲である。折角なので、この曲について小説中の主人公のことばを引用しよう。主人公が「ロビンズ・ネスト」で島本さんに語る場面である。(単行本p228-229)

「とてもきれいな曲だ。でもそれだけじゃない。複雑な曲でもある。何度も聴いているとそれがよくわかる。簡単に誰にでも演奏できる曲じゃない」

「『スター・クロスト・ラヴァーズ』、デューク・エリントンとビリー・ストレイホーンがずっと昔につくった。1957年だったっけな」

「悪い星のもとに生まれた恋人たち。薄幸の恋人たち。英語にはそういう言葉があるんだ。ここではロミオとジュリエットのことだよ。エリントンとストレイホーンはオンタリオのシェイクスピア・フェスティヴァルで演奏するために、この曲を含んだ組曲を作ったんだ。オリジナルの演奏では、ジョニー・ホッジスのアルト・サックスがジュリエットの役を演奏して、ポール・ゴンザルヴェスのテナー・サックスがロミオの役を演奏した」

 こんなふうにジャズ・バーで女性と話してみたいものである。というか、若い頃、含蓄をひけらかし、何度か実践してみたこともあるのだが、現実の世界では、なかなかうまくはいかないようである。特に相手がジャズ素人の場合、ちょっとクドイ、変な奴と思われてしまうこともしばしばあるので、注意を要する。今ふうにいえば、「ウザイ」ということになろうか……。


茉莉の結婚……青春の太田裕美(23)

2010年12月31日 | 青春の太田裕美

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 1978年リリースのアルバム『海が泣いている』収録の佳曲「茉莉の結婚」である。1978年の太田裕美は、『背中合わせのランデブー』『エレガンス』『海が泣いている』と3枚のアルバムを発表しており、精力的に音楽活動をしていたことがわかる。音楽的にも質が向上し、アイドルから脱皮しつつあった。TVへの露出も、バラエティーなどが減り、音楽番組に出演することが多くなったように記憶している。したがって、この「茉莉の結婚」も、ユニークな佳曲ながら、初期の太田裕美ファンには意外となじみがないかもしれない。 

     *     *     *     * 

最初のスピーチは小夜子
ちょっぴり翳のある小夜子
あのころ名うてのおしゃれ狂いで
グッチのバッグを粋に抱いていた

男は毎日変えるのよって
めまいがするほど美しかった
それなのに小夜子 笑わなくなったね
逢えない二年に何があったの

オルガンに導かれ 花嫁がやってくる
おめでとう 茉莉
うらやむほど 今夜綺麗ね

二番目のスピーチは繭子
めがねがよく似合う繭子
哀しいくらいに秀才だった
原書を斜めに読み飛ばしていた

雑誌のページを切り抜くように
女の生き方リブの走りね
変わらずね 繭子 今でも独身?
心の裏では 淋しいはずよ

ケーキへとナイフ入れ 花嫁がほほえむの
おめでとう 茉莉
うらやむほど すてきな彼ね

最後のスピーチは私
ちょっぴり皮肉言う私
「どちらが最初に結婚するか
競争しようって指切りしたのに
人は流されて光と影に・・・
私は今でも失恋上手」

仲良しの四人 あのころの友情

こんなに遠くに離れるなんて

拍手へと囲まれて 花嫁が花を抱く
おめでとう 茉莉
羨むほどしあわせそうね
 

     *     *     *     * 

 詞の構成が凄い。独創的なアイディアである。こういうことを思いつく松本隆は、やはり只者ではないというべきだろう。 

 茉莉の結婚式に「仲良しの四人」が2年ぶりに集まり、結婚した茉莉に対して「おめでとう茉莉」と祝福の言葉を送る一方、それぞれのスピーチを契機に、語り手が他の2人と自身について、学生時代の人となりと2年を経た現在の様子を語たり、「こんなに遠くに離れるなんて」と軽いノスタルジーが表出される。時の流れの前で、どうすることもできずにただ佇む、その感慨と、失ってしまったものへの愛惜の念がこの詞の本質である。 

 「哀しいくらいに秀才だった」繭子について、「変わらずね 繭子 今でも独身? 心の裏では 淋しいはずよ」と一方的にいってしまうところが、ステレオタイプでやや鼻につくが、1970年代にはそのようにいってしまう一般的土壌があったのだろう。あるいは、「ちょっぴり皮肉言う私」だからこんなことをいってしまったのだろうか。まあいい。 

 花嫁の女友達が入れ替わりいピーチする光景は、しばしば結婚式で見かけるが、その心の動きは男性には想像しがたいものであり、その意味では、太田裕美が男の子相手のアイドルから脱皮し、大人になった女性として、女性たちの共感をも喚起するような作品をつくり始めたということもできよう。 

 wikipediaの年譜などをみると、この1978年が、音楽的にも、また芸能界におけるその存在形態としても、太田裕美にとって大きな転換期になったように思えてならない。

 


ウインターカップ2010雑感(男子)

2010年12月30日 | 籠球

 北陸が初優勝をとげた。万年ベスト4の印象が強かったが、優勝できて良かったですね。正直いって、以前から北陸はあまり好きなチームではなかった。長身の中国人留学生を中心とするオフェンスパターンのためだろうか、人もボールもあまり動きがなく、スタティックな印象を受けてしまうのである。また、奇抜でやや大きめのチームジャージやユニホームのせいだろうか、選手たちが全体的にだらしなく感じてしまうのだ。ただ、キャプテンの優勝インタビュー談話はしっかりしたものだったので、私の単なる偏見というべきだろう。中国人長身選手、⑨リュウの活躍は当然のことながら賞賛されるべきであろうが、もうひとりの長身選手⑩野本も、中間距離からの精度の高いシュートとしなやかさを備えており、将来楽しみな選手である。しかし、何といってもゲームの流れを変え、勝利に貢献したのは、④藤永、⑤田野というツーガードだったと思う。彼らの粘り強く、抜け目のないディフェンスは随所でチームを救い、特に隙あればボールを狙ってくるそのハンドワークは何度もターンオーバーを誘発して、ゲームの流れを決定付けた。

 準優勝の福岡第一は、昨年までのセネガル人選手を中心とした攻めから、ガード・フォワード中心の走るチームへと大きく変貌していた。正直いって、セネガル人選手が例年より見劣りする今年のチームがここまでやるとは思っていなかった。決勝では⑦長島エマニエル選手がやや不発だったのが残念だった。強豪中学から能力のある選手も来ているようだし、ここまでできるのなら、いっそのこと外国人なしで勝負したらどうだろう。もっと多くのファンが素直な気持ちで応援できると思うし、学校としてもイメージアップとなるのではないだろうか。福岡県予選の福岡大大濠との戦いはもっと熾烈なものになるだろうが……。

 3位に入った京北もなかなかよかった。しばらくぶりに、ランアンドガンの京北バスケを堪能させてもらった。ただ、やや選手の個人能力に頼りすぎる傾向があり、⑭田渡がボールをもつと、それまでよくまわっていたボールがとまってしまうことが気になった。それでも⑭田渡が好調の時はいいのだが、準決勝、3位決定戦では、田渡の不調、というかシュートが入らないことが明らかにチームが失速した原因となっており、彼のシュートミスから相手の速攻を許してしまうといったシーンが繰り返された。3位決定戦後の監督の談話によると、足の疲労骨折とアキレス腱の負傷を抱えての戦いだったようであり、その意味ではかわいそうだった。本来、⑭田渡は小柄ながら非常に能力の高い選手であることは衆目の一致するところであり、来年もまたがんばって欲しい。199cmの長身選手⑩皆川は将来が楽しみな選手である。長身ながら、走れる選手であり、しなやかさも兼ね備えている。北陸の野本もそうだが、将来Japanを支える選手になってほしい。⑩皆川が抜けた来年の京北は、はっきりいってやや苦しくなるだろう。

 4位の市立船橋は今回あまり注目してこなかったのだが、準決勝・3位決定戦の戦いは見事である。200cm級の選手をもたないこのチームがこの活躍をしたことは賞賛に値する。もっとこのチームに注目しておけばよかった。J-Sportsの再放送で、このチームを緒戦から視てみたい、と思わせるゲームはこびだった。3位決定戦では、リードを奪っておきながら、京北の怒涛の反撃、気迫のディフェンスの前に、やや選手たちが弱気になってしまい、チーム全体が混乱してしまったような印象だった。本当に残念なゲームだった。ただ、他のチームについてもいえることではあるが、眉毛を剃っている選手が若干多かったように思うのは気のせいだろうか。プレーには直接関係のないことかも知れないが、ファンとしては素直な気持ちで応援できなくなる。

 最後に、能代工、どうした。能代工がんばれ……!

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     →ウインターカップ2010雑感(女子)

     →ウインターカップ2010前半戦雑感(男子)


ウインターカップ2010雑感(女子)

2010年12月29日 | 籠球

 札幌山の手が優勝した。予想通りだ。全試合を大差で勝ち抜いた貫禄の勝利である。インサイドとアウトサイドのバランスがとれ、ディフェンスもよく、しかも走れる素晴らしいチームだった。試合前のアップでやっていた、厳しいチェックの中で3ポイントシュートを打つ練習が、そのまま試合で再現されていた。決勝では注目のインサイドプレーヤー⑮長岡が歴代2位となる一試合50得点をたたき出したが、それは強力なアウトサイド陣がディフェンスを外に広げた結果でもある。インサイドを固めて⑮長岡を封じようとすれば、シューターが外から射抜くということになっただろう。

 準優勝の中村学園もなかなかいいチームだった。インターハイ準優勝チームながら、私ははっきりいって決勝まで上がって来るとは思わなかったのだが、やはりその実力は本物だったということなのだろう。一年生ガードの⑯安間を中心に攻撃・守備ともよく鍛えられたチームだった。ただ、中学時代のスタープレーヤーたちが集まったチームながら、インサイド・アウトサイド陣とも札幌山の手と比べるとやや見劣りしたのも事実である。⑯安間のプレーには目を見張るものがあったが、決勝では「粗さ」のようなものが露呈してしまった。札幌山の手のディフェンスを賞賛すべきであろう。

 3位となった東京成徳も意外だった。昨年までのような絶対的な存在感のあるセンターは不在で、やや小粒な印象を受けたのだが、190cmの中国人センターを擁する第4シード明成を大差で撃破し、劣勢かと予想された王者・桜花学園をも下したチーム力は、やはり本物というべきだろう。エースの⑦石原の活躍はもちろん見事だったが、私には⑥森のひたむきなプレーが印象に残った。

 4位の大阪薫英も見事だった。正直言って、伝統のある強豪校ながらあまり注目していなかったのだが、タイトで抜け目のない、粘り強いディフェンスを身上とするこのチームは、試合を見るごとに応援したい気持ちが増幅していった。私好みのチームだ。やはり、準決勝の中村学園戦でエースの④坂井が負傷してしまった事がなんといっても残念だ。実際、中村学園戦も④坂井がケガで退くまでは一進一退だったのであり、中村学園を破るチャンスは十二分にあったというべきだろう。3位決定戦でも、エースを欠きながら全員が一丸となってよく戦った。ベンチスタートだった⑥吉川の攻守にわたるがんばりは特筆すべきだろう。一年生センターの⑭畠中も将来楽しみな選手である。

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     →ウインターカップ2010前半戦雑感(男子)

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ウインターカップ2010前半戦雑感(男子)

2010年12月27日 | 籠球

 ウインターカップをTVで楽しんでいる。第一シードの八王子、第二シードの明成が二回戦(緒戦)で敗れるという波乱があり、また既述のように、組合せの関係で早い段階から実力校同士が潰しあったこともあり、やはり上位の勢力地図は大きく変わりそうである。

 注目していた地元・東北学院は3回戦まで勝ち進んだものの京北に惜しいくも敗れた(といっても大差だったが……)。心配されたように、京北・皆川選手の高さ(199cm)が大きな壁となったと思うが、全体的にもディフェンスやスピードで京北の方が一枚上手だったと思う。特に、京北のトランジションとファーストブレークは、かつての能代工を思わせるほど速かった。完敗である。しかし、解説者のコメントからもわかるように、No5をつけて登場した冨永選手の能力は全国的に認められたようである。京北の田渡選手などに比べるとややプレーが雑だった気もするが、スピードとテクニックは全国的にも驚嘆すべきものだったと思う。

 それにしても感じるのは、例年にも増して、セネガルなどの外国人を要するチームの勢力拡大である。明成、能代工は外国人選手をとめられずに撃沈し、北陸は相手外国人選手のファールトラブルが勝利に幸いした。それがなければ、はっきりいって北陸は危なかったかも知れない。ベスト8のうち沼津中央、岡山学芸館、福岡第一には黒人選手がおり、北陸には中国からの留学生がいる。東海大三のザック選手は出身中学からみて日本国籍なのだろうか。

 贔屓のチームの多くはすでに敗れ去り、その意味では楽しみも半減してしまったが、外国人選手不在の京北、新潟商、市立船橋が外国人選手を擁するチームとどう戦うのか、注目される。特に、ハーフコートオフェンスにやや不安は残るものの、長身日本人選手を擁し、スピードとシュート力もある京北は面白いかも知れない。

 かつての洛南などのように、苦労して外国人選手を打ち破るバスケットが見たい。

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もう素直に応援できない

2010年12月11日 | つまらない雑談

 楽天イーグルスの渡辺直人選手がトレードされることになった。本当に残念だ。契約更改の記者会見で、鉄平も、草野も、嶋も泣いていた。渡辺直人は、社会人から入団して野村監督のもとで鍛えられ、頭角をあらわした楽天生え抜きの選手のひとりだ。楽天にはそういう選手が何人もいる。他入団で芽がでなかった選手、社会人野球からチャンスを得た選手、そして育成枠からのし上がってきた選手、そういう選手たちが野村監督の下で鍛えられて成長し、活躍できるようになった。渡辺直人は、その中心、象徴的な選手なのだ。彼らが成長するのを見ながら、彼らに声援を送り、そして我々もファンとして成長してきた。これが弱くても仙台のファンがイーグルスを見捨てない理由だ。

 星野監督は何か違う。岩村・松井(稼)など大型トレードで外部から補強し、勝つことを考える。もちろん、勝つことは大事だし、最優先だ。しかし、やり方が美しくない。プロは勝てばいいのではない。美しく勝たなければダメだ。これでは、経済力にものをいわせ、他球団のスター選手を金でかき集めて、強くなった巨人と同じではないか。かつて、巨人ファンだった私は、そういうやり方に嫌気が差し、巨人が嫌いになった。

 野村監督は間違いなく人を育てた。星野監督は人を育てられるだろうか。地元の球団なのでイーグルスを応援し続けたい気持ちはある。しかし、心が何か冷めてきている。

 もう、素直にイーグルスを応援できないかも知れない。


誰がジョン・レノンを殺したか?

2010年12月09日 | つまらない雑談

 ずっと以前にアップした「ジョン・レノン死亡記事とコメント」という記事に、最近、異常ともいえるほど集中的にアクセスがあり、何かあったのかなと思っていたら、今年はジョン・レノンが死んでから30年目にあたり、おまけに生誕70周年、ビートルズ結成50周年、解散40周年のメモリアル・イヤーなのだという。ビートルズ結成については、まだリンゴ・スターは加入しておらず、ドラマーはまだピート・ベストだったはずだが、それ以外は計算してみれば確かにその通りだ。昨年までは、ジョンの命日前後にこれほどアクセスが集中することはなかったので、世の中ではやはり関心が高いということなのだろう。

 先日、BS-Japan で放映された「ザ・ラストディ~誰がジョン・レノンを殺したか」という番組をたまたま視た。なかなか興味深い番組だった。基本的にはジョン・レノン殺害陰謀説に基づく推論を中心とした番組だったが、TVというメディアでこの種のテーマで長時間番組を放映することは余りなかったような気がする。

 内容の大筋はこうだ。

 ジョン・レノンを殺害したマーク・チャップマンは、当時ジョン・レノンの熱狂的なファンといわれ、事件はこの「熱狂的ファン」による凶行と全世界に報じられたが、その後の検証ではチャップマンは、ジョンのファンはなく、レコードを収集していた事実もなかったことがわかった(彼はトッド・ラングレンのファンだった)。また、事件後も現場から逃げようとはせず、警察が駆けつけるまでその場に座り込んでサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を読み続けるという異常な行動をとっていた。警察の取調べにもジョン・レノン殺害の動機について、「『ライ麦畑でつかまえて』を読めばすぐわかるよ」などと意味不明なことをいい、警察官もまるで何ものかにコントロールされているようだという印象をもったという。

 番組はいくつかの検証をおこない、結果としてCIA陰謀説を主張する。5年間音楽活動を休止して子育てに専念していたジョンが復帰したことについて、タカ派のレーガン政権はその反戦運動の政治的影響力に危機意識をもっていた。実際、CIAがジョン・レノンの活動を調査し続けていたことは、ジョン・レノン・ファイルの存在によって広く知られている。1981年にはジョンがアメリカ国籍を正式に取得することが可能となる予定だったのだ。

 マーク・チャップマンとCIAの関係については、YMCAの介在をあげている。チャプマンはかつてYMCAに加入してその一員として活動していたが、YMCAはCIAの活動の拠点となることが多いらしく、両者は密接な関係にあるようだ。このことは、元CIAのフランク・チャーチーという人が『CIA・ダイアリー』  という暴露本に書いているのだそうだ。ところで、チャップマンは、犯行の数日前、住んでいたハワイから、シカゴへ飛び、そこで3日間を過ごしていたはずなのだが、シカゴ到着後すぐニューヨークへ飛んだようにみせる旅券によって、シカゴでの3日間の消息がな何者かによって隠蔽されている。シカゴで一体何があったのだろうか。誰が虚偽の旅券を用意したのだろうか。ここでもCIAの存在が疑われることになる。

 ジョン・レノンの殺害については、CIAによるマインドコントロール説が主張される。『ライ麦畑でつかまえて』はマインドコントロールのキーワードなのであり、相手をあやつる引き金となるものだったのではないかということだ。実際、この当時、CIAは、「MK・ウルトラ計画」 「アーティーチョーク・プロジェクト」 という、催眠・洗脳・暗殺などの実験を行っていたようであり、事件後にチャップマンを精神鑑定を行った医師、ジョリー・ウエストは、その「MK・ウルトラ計画」 に従事していたのではないかとの疑惑がある。 ウエストは、ロバート・ケネディー暗殺の犯人サーハン・サーハンや、J.Fケネディ殺害犯のオズワルドを殺したジャック・ルピーの精神鑑定もしているというのだから、疑惑はさらに深まる。

 最後に新事実が提示される。チャップマンが使ったのは5連発のリボルバーだったはずだが、銃弾は7発あったというのだ。 しかも、銃痕はチャップマンが撃った方向からのものではなかった。 ジョン・レノンを撃った人物として、レノン夫妻が住んでいた 「ダコタハウス」 の門番が疑われる。そしてこの 門番のホセ・ベルドーモもまた、CIAと関係が深い人物だというのである。

 この番組の主張に直接的な証拠はもちろんない。主張に都合のよい証言や状況証拠だけを集めて立論してしまうということは学問の世界ですらよくあることなので、それだけをもってこの番組の結論を是とすることはもちろんできないが、少なくとも、事件当時にはジョン・レノンの熱狂的ファンといわれたチャップマンが実はそうではなかったのだということは本当らしく、その意味では検討に値する問題なのだろう。これまで多くの反権力的あるいは非WASP的な要人が暗殺されているアメリカだけに、こうした推論は後を絶たないだろう。私自身は、ありうることだ、と思っている。

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関連記事→「ジョン・レノンのイマジン」、「ジョン・レノン死亡記事とコメント


突然の休刊

2010年12月05日 | 籠球

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 毎月購読している『バスケットボール・マガジン』が、突然、今月号で休刊だという。先月号までそんなことはどこにも書いていなかったのにあんまりである。広告記事やスタープレーヤの人気取り記事が少なく、バスケットボールのファンダメンタルとフィロソフィーにしっかりと取り組んできた同誌だっただけに惜しまれる。私は、19年前に創刊されて以来の読者だった(一時ちょっとだけバスケットボールからはならており、読まない時期があったが……)。参考になる連載も数多く、毎号楽しみにしていたものもあった。ここ数年連載されている「イチから始めるチーム作り」や「困った時の処方箋」などもそのひとつである。ああ、本当に残念だ。

 やはり、部数が減少していたのだろうか。指導者を対象にしたような硬派な編集姿勢だったので、マーケットには限界があったのだろうか。今後は、『熱中!バスケ部』なる雑誌の強化をはかるのだという。確かに、他社の発行する『中学高校バスケットボール』は売れているようであり、実際私も買っている。中高生対象の手っ取り早い練習メニューなどが多く掲載されいて便利であり、取り上げる話題もとっつきやすい。売れるのはよくわかる。世の中全体が、そういった《とりあえず実用的》な方向にシフトしているのだろう。ただ、ファンダメンタルを重視し、なぜそうしなければならないのかということを、しっかりとしたフィロソフィーを背景として説明する『バスケットボール・マガジン』の硬派な編集姿勢は、薄い雑誌ながら他の追随を許さないものがあったと思う。

 バスケットボール素人だった私は、この雑誌から教わったものは多い。その意味では感謝したい。しかし、いくらなんでも突然すぎはしないか。


東北新幹線全線開通

2010年12月04日 | 今日の一枚(I-J)

●今日の一枚 295●

John Coltrane

Crescent

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 東北新幹線が「新青森」まで延長され、東北新幹線が全線開通となった。1982年に盛岡から大宮までが開通してから、28年ぶりのことだという。思いおこせば、東北新幹線が開業したのは私が大学生の頃のことであり、この新幹線に期待を込めて乗ったことを思い出す。大学入学のために上京した時にはまだ新幹線はなく、青いラインの入った特急「はつかり」だった。両親は苦しい経済状況の中で、特急の切符を工面してくれたのだと思う。詳しいことはよく憶えていないが、かなりの時間を費やしての上京だったように思う。新幹線開業当時、大宮からはリレー号に乗り換えなければならず、しかもホームが地下3階にある上野駅どまりだった。しかし、その不便さにもかかわらず、たばこを立てても倒れないほど揺れないといわれたその乗り心地は素晴らしいものであり、何より移動時間が大幅に短縮されたことには本当に喜んだものだ。ただ、貧乏学生の身、いつもいつも新幹線に乗れるわけではなく、特に帰省の折には、深夜に走っていた急行「十和田」だったか「八甲田」だったかに乗車したものだ。満員の車内の通路に新聞紙を敷いて雑魚寝をし、出稼ぎ労働者の人達に酒を飲ませてもらい、語り明かしながら帰省したことは懐かしい思い出だ。そこで議論し、教わったことは、自分の人格形成の重要な要素になったのだと今でも思っている。

 列車→トレイン、ということで、ジョン・コルトレーンのアルバムを一枚取り出してみた。そのころよく聴いていたアルバムのひとつ、ジョン・コルトレーンの1964年録音盤『クレッセント』である。いい作品だ。数あるコルトレーンのアルバムの中でも、特に好きなものの一つだ。CDで聴いてみたのだが、トレイにのせ、ボタンを押したその瞬間から、大学時代通い詰めたジャズ喫茶の雰囲気が部屋中に充満していった。酒のせいもあり、深夜にもかかわらず思わず音量を上げ、家人に「うるさい」と苦情をいわれる始末である。② Wise One 、何と切ない音楽なのだろう。胸がしめつけられ、どうしていいのかわからなくなる。④ Lonnie's Lament 、哀しみを湛えたサウンドである。トレーンのいいところは、どんなに切なく悲しい音楽でも、それに流されないところだと私は考えている。理詰めの演奏者トレーンには、自分の感情の発露をどこかで理によって踏みとどまるところがあるように思う。踏みとどまるがゆえに、その哀しみが横溢する。何というか、ハードボイルド。トレーンの音楽を、例えば、レイモンド・チャンドラーの小説にダブらせるのは、考えすぎだろうか……。

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私が、上京した頃の「はつかり」……。