WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

頼朝の死と吾妻鏡の沈黙

2022年08月16日 | 今日の一枚(M-N)
◎今日の一枚 588◎
Michael Franks
Dragonfly Summer
 『鎌倉殿の13人』では、源頼朝の死について、相模川の橋の供養の帰り道に落馬したシーンが描かれた。それ以前から体調が悪そうだったので、何かの病の結果、落馬したという描き方だったと思う。
 頼朝の死は、建久10(1199)年1月13日のことらしいが、その実像は詳しくはわからない。鎌倉幕府の歴史を記した『吾妻鏡』は、建久7(1196)年から建久10(1199)年まで、すなわち頼朝が死亡する前の約3年分の記事が欠落しているからだ。『吾妻鏡』が頼朝の死について記すのは、それから13年後の建暦13(1212)年2月のことだ。重臣らが将軍実朝に橋の修理について答申した記事にちょっとだけ出てくる。三浦義村が提案した相模川の橋の修理について、北条義時・大江広元・三善善信らが話し合い、かつてこの橋の落成供養の帰り道に頼朝様が落馬して程なく死んでおり、縁起が悪いから作り直す必要はないのではないかと答申したという記事である。挿話として出てくるだけなのだ。
 鎌倉幕府の正史ともいえる『吾妻鏡』に、鎌倉幕府の創設者である源頼朝の死が記されていないことは奇妙だ。しかも、13年後の記事に落馬というおよそ征夷大将軍らしからぬ死に方が記されているのだ。陰謀論が提起される所以である。『吾妻鏡』は頼朝の死に触れたくなかったように見える。さらに、「落馬」を象徴的な言葉としてとらえることもできるわけだ。
 ただ、建久10(1999)年に頼朝が死亡したことは事実のようだ。『尊卑分脈』 や慈円の『愚管抄』あるいは京都の公家の日記(古記録)などが記しているからだ。これらの中には、頼朝の病が「飲水の病」(糖尿病)だとするものもあり、それが原因で落馬したのかも知れない。陰謀論めいたことは記されてはいない。
 『吾妻鏡』に頼朝死亡前の3年分の記事がないことについては、すでに石井進氏の名著『鎌倉幕府』(中央公論社)が、破棄等による隠蔽ではなく、はじめから書かれなかったのではないかと推測しているが、『鎌倉殿の13人』の時代考証を担当する坂井孝一氏も『源氏将軍断絶』(PHP新書)の中で同じ立場を取り、その理由を頼朝晩年のいくつかの失政や、将軍後継問題など北条氏に不都合な事実を隠蔽すために、『吾妻鏡』は記事自体の作成を行わないことを選択したのではないかと仮説を提示している。『吾妻鏡』は北条氏の正当性を主張するために編纂された史書なのである。

 今日の一枚は、1993年作品『ドラゴンフライ・サマー』である時々、学生時代にはまっていたマイケル・フランクスを聴きたくなる。いつだって期待を裏切らないジャージーでソフト&メローなサウンドがいい。暑苦しい夏に、熱いハードロックを聴いた青春時代が夢のようである。もう直接的な刺激で心の汗をかきたいとは思わない。そんな体力もない。静かに、しかし確実にじわじわと心に沁みてくるようなサウンドが好ましい。それぞれの曲はもちろん悪くないが、特定の曲を何度もリピートすることはない。何というか、アルバム全体の雰囲気を感じている気がする。いつもソフト&メローであるが、予定調和的なところがない。それが、マイケル・フランクスのいいところだ。
 

かつおの《たたき》

2022年06月06日 | 今日の一枚(M-N)
◎今日の一枚 582◎
Niels Lan Doky
River Of Time

 気仙沼港にもかつおが上がった。今年は魚影が薄いとのことで、豊漁とはいかないかもしれないとのことだ。スーパーのかつおはまだ高い。とはいえ、かつお好きの私は、ここ数日、毎日かつおを食べている。今日は、お隣岩手県大船渡港産のかつおが比較的安く手に入ったので、かつおの《たたき》を作ってみた。私の実家では《たたき》といっていたが、いわゆるタタキではない。全国的には《なめろう》というのかもむしれない。この辺のところは昨年も記事に記したところだ(→こちら)。生もタタキももちろん美味いが、私はこの食べ方が一番好きだ。今日のかつおの《たたき》は、美味かった。自画自賛である。一応、備忘録のつもりで、作り方を記しておきたい。
①玉ねぎをみじん切りに刻んておく。今日は中ぐらいのを丸ごと1つ使ってみた。これが良かった気がする。
②ミョウガをみじん切りに刻んでおく。今日はミョウガを2つ使った。風味がよい。3つ使用しても良いと思った。今日はスーパーで購入したが、この次は庭の花壇のものを使おうと思う。
③かつお(4分の1身)を細かく切る。今日は、はじめに縦に包丁を入れて長く切り、それから横に切ってサイコロ状にした。
④かつおの上にショウガ・味噌・玉ねぎ・ミョウガをのせる。いつもはすりおろしたショウガを使うが、今日はスーパーのサービス薬味を5つのせた。サービス品でも結構美味かった。味噌は小さいスプーンでやや大盛2つ分入れた。
⑤④をひたすら包丁でたたいて細かく刻む。細かさはお好みなのだろうが、私は結構細かく刻む。玉ねぎを刻んだ時に出る汁が、いい感じの味付けになるのだと思う。ときどき、混ぜ合わせる。特に、みそやショウガが全体にいきわたるように。
⑥大皿に盛りつけて出来上がりである。食べるときは小皿に取るが、しょうゆや味ぽんなど好みのものをかけて食べる。近年の私は、かつおには味ぽんマイルドと決めている。《たたきむ》のみならずタタキも生もである。これが美味い。

 今日の一枚は、ニルス・ランドーキーの2020年作品、『River Of Time』である。ニルスを、というよりトリオ・モンマルトルをよく聴いたのは、15~20年程前だったかもしれない。最近はご無沙汰だった。そういえば、最近のニルスはどうなってるのかと思い、apple Music で探して聴いてみた。
 いい意味でも悪い意味でもキザなピアノを弾くやつだが、私は基本的に好きなのだ。きれい系のやや構成的な感のあるピアノだが、決して予定調和的ではない。良質のアドリブ演奏が展開されるからだ。テーマを美しく奏で、流麗なアドリブ演奏に突入する。構成的と思ってしまうのは、アドリブが流麗すぎるからだろう。

SDGs唐桑半島トレッキングワークス

2022年06月06日 | 今日の一枚(M-N)
◎今日の一枚 581◎
New York Trio
Always
 昨日の日曜日、「SDGs唐桑半島トレッキング・ワークス」というイベントに家族で参加した。宮城オルレ唐桑コースとみちのく潮風トレイルの一部を歩きながらちょっとだけごみ拾いをし、フィニッシュ後はお弁当と海鮮浜焼きをごちそうになるという趣向だった。途中、たい焼きならぬサンマ焼きをいただいたり、フィニッシュ地点の中井小学校からスタート地点の半造レストハウス前までバスで送迎してもらったりして、参加費1000円は安いと思った。
 歩きながら、ニッコウキスゲという高山植物に出会った。高山植物だが、海風が冷たいのでここにも咲いているのだという。なかなか品のある可愛い花だと思った。歩行距離は5キロ弱だったので、トレッキングとしては不完全燃焼だが、病み上がりの身体のリハビリにはちょうどいい。また、たまには大勢で同じコースを歩くのも悪くない。スタート直後は団子状態でちょっと密な感じだったが、しだいにばらけていい感じで歩くことができた。
 こんなイベントがあったら、また参加してみたい。

 今日の一枚は、ビル・チャーラップ率いるNew York Trioの2008年作品"always" である。こういう古き良きアメリカの青春を想起させるジャケットは大好きである。ジャケ買いしていまう。New York Trioをよく聴いたのは、10年程前だった気がする。熱狂的に好きだったわけではなかったが、何となくいい感じだなと思ってCDを買ってしまう感じで、気づいたら結構な枚数を所有していた。最近、何かの作業をしながら聴くことが多い。いい気分で仕事ができる。
 ビル・チャーラップは、もちろんいいピアニストだと思う。New York Trioの時は、ジェイ・レオンハートの端正なベースに包まれて特に好きだ。奇をてらわず、過度の自己主張をしなくても、きちんと存在感を示すことのできるベーシストだと思う。

イチローズ・モルト

2022年03月26日 | 今日の一枚(M-N)
◎今日の一枚 573◎
Thelonious Monk
Monk's Music
 昨年の秋、思いもかけず大学時代の友人から『イチローズ・モルト』が届いた。数年前に、その友人が東北地方を旅行した際、一関に立ち寄ってもらい、ともに飲んだのだが、その時お土産として『イチローズ・モルト』をもらった。赤い葉っぱのラベルのものだった。もちろん、美味しかった。また手に入ったら送るよとのことだったが、今回のは黒いラベルのものだった。
 イチローズモルトは、「株式会社ベンチャーウイスキー」が造る、ジャパニーズウイスキーで、埼玉県の「秩父蒸溜所」にて、2007年11月より生産されているとのことだ。世界中から高評価を受け、入手困難のものが多数存在する、絶大な人気を誇るウイスキーであり、定価で入手するのが難しいらしい。「イチローズ・モルト」の名前は、創業者の「肥土伊知郎(あくといちろう)」氏からきているようだ。

 貴重なウイスキーということで、ずっと飲まずにしまっておいたが、4月からの異動が決まり、今の職場での仕事に一段落ついたことから、数日前に一杯だけ飲んでみた。美味い。やはり美味い。最高だ。独特のバニラのようなまろやかな味わいに、思わず笑みを浮かべ、唸ってしまった。

 今日の一枚は、セロニアス・モンクの1957年録音盤『モンクス・ミュージック』である。②ウェル・ユー・ニードントや⑤エピストロフィーで打ち合わせ不足による勘違いのプレーがあるが、そんなことが気にならないほど充実した作品だ。ホーン入りの作品ということで、ピアノソロの時の奇妙に歪んだ独特の世界観は若干違うが、演奏全体にモンクの影響が漂っているのがよくわかる。
 何となく郷愁を感じる、①アバイド・ウィズ・ミーが好きだ。こういう音楽を聴くと、今夜も貴重な「イチローズ・モルト」が飲みたくなってしまう。

遅ればせながらの花火

2021年11月10日 | 今日の一枚(M-N)
◎今日の一枚 557◎
Modern Jazz Quartet
Together Again
 先日(11/7)、私の住む気仙沼市で花火があった。本来、8月のみなと祭りで打ち上げるはずだった花火である。コロナ禍でみなと祭りそのものが中止されたため、遅ればせながら打ち上げられたのである。軽度の障害のある花火好きの次男の熱烈な希望で、見物に出かけた。
 私たちが見た場所は、気仙沼湾横断橋の全景を見ることができる蜂が崎の展望台である。市街地の対岸にあたるが、横断橋ができたため自宅から容易に行くことができるようになった。なかなかの眺めだった。
 気仙沼魚市場も七色にライトアップされてきれいだった。素晴らしい眺めだが、観光客が宿泊するホテルと同じ岸辺にあるため、観光客はこの眺めを堪能できないのではないかと思った。余計なお世話である。
 気仙沼湾横断橋もライトアップされ、なかなかの眺めである。私の旧式のiphoneではうまく撮影できなかったのが残念である。

 今日の一枚は、MJQの『トゥゲザー・アゲイン』である。1982年のモントルーのライブ盤である。再結成後のMJQのライブだ。早いスピードで流麗に、しかも楽曲の美しさ損なわずに展開される演奏には感服である。すっかり忘れていたアルバムだったが、たまたま発見してかけてみたら、あまりの素晴しさに聴き込んでしまった。

  1. "Django" - 5:47
  2. "The Cylinder" (Milt Jackson) - 5:18
  3. "The Martyr" (Jackson) - 8:43
  4. "Really True Blues" (Jackson) - 5:39
  5. "Odds Against Tomorrow" - 8:53
  6. "The Jasmine Tree" - 4:42
  7. "Monterey Mist" (Jackson) - 4:05
  8. "Bags' New Groove" (Jackson) - 4:15
  9. "Woody 'n' You" (Dizzy Gillespie) - 3:47
※曲目が間違っていました。修正しました。


昨日もかつおが美味かった!

2021年06月21日 | 今日の一枚(M-N)
◎今日の一枚 514◎
Norah Jones
Come Away With Me
 モデルナワクチンをうって3日目の朝である。腕はまだ痛い。それでも、昨晩は酒も飲んだ。接種の時、今晩はアルコールを控えるようにいわれた。飲むと接種した場所の痛みが増すことがあるというのだ。その日の夜は飲まなかったが、昨晩は痛みはあったがもういいだろうと考え、軽く飲んでみたのだ。腕の痛みが増すことはなかったようだ。
 おしばてはかつおである。《おしばて》とは、酒の肴のことだ。私の住む地域ではそういうのだ。昨晩は、たたきにした。表面を焼くタタキではない。かつおを細かく刻んだものである。全国的にはなめろうというのだろうか。私の家では、昔から《たたき》といっている。昨晩は、かつおと玉ねぎを味噌とともに細かく刻み、大葉とミョウガをのせてみた。美味しかった。私はこの食べ方が一番好きだ。刺身が得意ではない妻も、《たたき》だと美味しく食べることができるようだ。
 今日の一枚は、ノラ・ジョーンズのデビュー作『ノラ・ジョーンズ』である。2002年のヒット作である。ノラ・ジョーンズの鮮烈なデビューからもう20年近く経つことに、時の流れの無情なほどの速さを感じる。正式にはCome Away With Me というタイトルだが、日本では『ノラ・ジョーンズ』として売り出されたようだ。CDの帯にはそう書いてある。ちなみに、CD帯には「大都会のナチュラル・ヴォイス」「NYCに生まれた"スモーキー & ハニー"な新しい感性」とある。
 ヒットした①Don't Know Why は、今聴いても心が震えるいい曲だ。スモーキーで穏やかな声が醸し出す、アルバム全体に漂うアンニュイな雰囲気に魅了される。CD帯の宣伝文句は偽りではなかった、と今更ながら思う。ヒットアルバムではあるが、一過性のものではなく、長く聴ける作品だろう。

八幡神と応神天皇

2021年06月10日 | 今日の一枚(M-N)
◎今日の一枚 511◎
Michael Franks
Sleeping Gypsy

 「王朝交替説と応神天皇」(→こちら)の続きである。
 宗教学者の島田裕巳のいくつかの著書は、応神天皇について興味深い知見を提供している。それは例えば、八幡神との関係についてだ。
 八幡神は、『古事記』にも『日本書紀』にも登場しない神である。その点で、日本土着の神ではないともいえる。ところが、八幡神を祀る神社の数は、圧倒的に日本で第一位である。皇祖神といわれる天照大神を祀る神社をはるかに凌駕する。この八幡神が応神天皇の霊であるとする伝承があるのだ。それゆえ、八幡神は、天照大神に匹敵する皇祖としての地位を確立することになる。例えば、石清水八幡宮に勧請された当初から、八幡神は「皇大神」と呼ばれており、古代・中世以来、歴代天皇は伊勢ではなく石清水を行幸している。石清水への行幸が240回に及んだのに対して、伊勢へは皆無だった。
 ところで、応神天皇の父である仲哀天皇は、実質的に天照大神に呪い殺されたといえる。この時、仲哀天皇の皇后であった神功皇后は妊娠しており、生まれた子こそ応神天皇なのである。この応神天皇と習合した八幡神が、その後天照を凌ぐ勢いを見せ、勢力を拡大した武士にも信仰される神となったことについて、島田裕巳氏は、「応神天皇による敵討ちではなかったのだろうか」「八幡神は、皇祖神としての天照大神の地位を簒奪したともいえる」と述べている。傾聴に値する見解であろう。
 応神天皇とは、実に興味深い存在である。

 今日の一枚は、AORの推進者、マイケル・フランクスの『スリーピング・ジプシー』である。1977年作品である。
Joe Sample(p)
Wilton Felder(b)
John Guerin(ds)
Larry Carlton(g)
David Sanborn(as)
Michael Brecker(ts)
Ray Armand(per)
Joao Palma(ds)
Joao Donato(p)
Helio Delmiro(g)
 名曲「アントニオの歌」を含むアルバムである。「アントニオの歌」はいい曲だ。ただ、あまりに聴いたせいか、聴き飽きしてしまった感がある。改めてこのアルバムを聴きなおしても、その曲だけ特別な感じはしない。特筆すべきは、やはりアルバム全体を貫く、ジャージーでメローな雰囲気である。今聴いても、あるいはポピュラー・ミュージックが型にはまってしまった感のある現代だからこそ、新鮮に響く。
 思えば、ブルース・ロックやハード・ロック一色だった若造の私にとって、AORとの出会いは、ある種の袋小路から目を開かれた契機だったように思う。




みちのく潮風トレイル

2021年04月29日 | 今日の一枚(M-N)
◎今日の一枚 497◎
Malta
Sparkling
 みちのく潮風トレイルは、青森・岩手・宮城・福島の4県太平洋沿岸を歩く全長700kmに及ぶトレイルコースである。トレイルとは、歩くための道のことであり、リアス式海岸を歩く、このコースから見る海の風景は本当に美しい。海風を感じながらゆっくり歩き、波の音を聴き、自然景観や歴史文化に関する説明板を読み、カモメやウミネコの声を聴くのだ。本当に気持ちがいい。コロナ禍であるが、ちょっとしたことに気を付ければ、感染の心配もほとんどない。
 これまでは、主に私の住む街を通るトレイルコースを歩いていたが、近隣のコースや、遠くのコースにも手を広げたいと思っている。先週の日曜日は、碁石海岸を中心とする岩手県の末崎半島のトレイルコースの下見に行ってきた。下見といっても、すでに6km程歩いてしまったが。三陸道が全線開通して、本当に岩手県に行きやすくなった。天気が良ければ、GWには、どこかのコースを歩きたい。
 今日の一枚は、日本のサックス奏者MALTAの1986年作品『スパークリング』である。学生時代、同時代に聴いていた。数枚聴いたかと思う。MALTAは、東京芸術大学、バークリー音楽大学を卒業。バークリーでは講師も務め、チャールズ・ミンガスやライオネル・ハンプトンらと共演した経歴をもつ。すごい経歴ではないか。残念ながら、その後のMALTAについてはフォローしておらず、現在の動向については知らない。しばらくぶりにこのアルバムに耳を傾けた。燃え上がる、直球勝負のストレートなフュージョン・サウンドである。と思っていたら、最後の2曲、"Over The Rainbow"と"All Of Me"に打ちのめされた。何と繊細で、情感溢れる演奏なのだろう。

三島由紀夫 VS 東大全共闘

2021年04月17日 | 今日の一枚(M-N)
◎今日の一枚 496◎
Miles Davis
Four And More
 『三島由紀夫 VS 東大全共闘 50年目の真実』をDVDで見た。1969年5月3日、駒場キャンパス900番教室で行われた、三島由紀夫と1000人を超える東大全共闘の学生による公開討論会のドキュメンタリー映画である。なかなか、いや、かなり面白かった。言葉が言葉として通じていると思った。なかでも、三島の他者の言葉を聴く力がすごいと感じた。
 出演者のコメントでは、内田樹と平野啓一郎のものが核心を突いているように思えた。橋爪大三郎のものは、残念ながら、後付けの自己弁明的な言葉に思えた。討論の中での、芥正彦という人が痛々しかった。批判や軽蔑ではない。むしろ、ある種のシンパシーである。アイデンティティーという概念や記号学という武器なしに、素手で社会や文化を、根源的に論じようとする姿が痛々しかったのである。それは高度に抽象的で観念的な思考だったが、生産という言葉を吟味せず、議論を生産関係論へ転換させようとする学生より、ずっと真摯で誠実で根源的な問いに思えた。ただ、芸術的表象に関心をおく芥と、思想に関心をおく三島の議論は、かみ合わず、芥はそれにイライラしているように見えた。人は見たいように見るのである。ただ、芥がその後の人生で自らの思考を問い続けてきたことだけは確かなように思える。
 全体的に、面白い作品だったが、欲をいえば、討論の場面の三島と学生の言葉ををもっと聞きたかった。最近、耳が衰えた所為か、はじめテレビの音声が聞き取りにくかったが、ネックスピーカーを使うとで音声がクリアに聞こえ、時間が過ぎるのがあっという間だった。
 ピュアだが、現在とは違った意味でハードな時代だったのだと思う。根源を問われるという意味においてだ。私の時代に、アイデンティティーの概念や記号学や構造主義というツールがあって良かったと思う。でなければ、強度のない人は、錯乱するか自殺してしまったかもしれない。
宣伝文では、タレントのYOUの次の言葉が印象深かった。
108分間。彼等の言葉と熱に圧倒され続けた。
生きる考える行動をする意味が明確に与えられた時代。
承認欲求に溺れるような真逆の50年後。
同じ場所とは思えない。

 今日の一枚は、マイルス・ディヴィスの『フォア・アンド・モア』である。1964年のニューヨーク、リンカーンセンターでの実況録音盤である。
Miles Davis(tp)
Herbie Hancock(p)
George Coleman(ts)
Ron Cater(b)
Tony Williams(ds)
 スピード感とドライブ感がいい。60年代のマイルスのサウンドに決定的な影響を与えているのは、実はトニー・ウィリアムスのドラミングなのだ、と私は以前から思っている。
 東大全共闘には、60年代のマイルスが似合う。それは、速度と強度と孤独に関係しているように思う。
 

大船渡「百樹屋」

2021年03月07日 | 今日の一枚(M-N)
◎今日の一枚 474◎
Modern Jazz Quartet
Concorde
  昨日3月6日、気仙沼湾横断橋を含む宮城県内の三陸道が全線開通した。早速、横断橋を走ってみたいと、混雑を予想して、15:30の開通から1時間程後に出動した次第である。空いているだろうと考えた岩井崎インターから入り、スムーズに出発。ところが、本線は予想に反して大渋滞。気仙沼中央ICの手前あたりから、トロトロ運転になってしまった。まあ、おかげで横断橋ではゆっくりと眺めを楽しむことができたが・・・。
 とりあえず、陸前高田まで行ってみたが、もうどこの飲食店も締まっており、帰りの渋滞も考えてもう少し時間をつぶそうと、大船渡まで足を延ばしてみた。目的地は「百樹屋」というカレーうどんの店だ。少し前に職場の同僚から紹介されていたが、コロナ禍もあって、なかなか行けなかった店である。カレーうどんはなかなか辛かったが(後から来る辛さだ)、味はかなり美味しかった。コロナ禍の所為か店は空いていたが、結構な有名店らしく、店内には福山雅治や森山良子はじめ芸能人のサインが多数飾られていた。永井龍雲などもあり、ちょっとびっくりした。まだ頑張っていたのですね。(失礼)

 今日の一枚は、MJQの初期の傑作『コンコルド』である。1955年録音の作品だ。室内楽的で端正な響きの中で、ミルト・ジャクソンのヴァイヴはファンキーである。これがMJQの真骨頂である。このヴァイヴがなければ、知的に洗練されたいい音楽ではあるが大人しすぎてつまらないものになっていたと思う。ひっそりとした耳に優しいサウンドであるが、耳を傾けていると熱いものがこみあげてくる。ちょっと早く起きすぎた日曜の朝に、コーヒーをすすりながら聴くには、なかなかいい作品だ。

黒いナイロン弦を張ってみた

2021年01月26日 | 今日の一枚(M-N)
◎今日の一枚 465◎
村治佳織
Cavatina
 先日、話題に取り上げたダイナミックギター(→こちら)のサドルを交換し、弦を張り替えてみた。
 サドルは丸棒型でもう売っていないようだ。そのまま使うことも考えたが、とりあえず、ホームセンターで買った1mの真鍮の丸棒を切って使用してみた。しっくりこなければ、もとのものに戻せばよい。弦は、エンドボールタイプのナイロン弦のブラックを張った。黒いナイロン弦などというものがあるのも、エンドボールのナイロン弦があるのも、はじめて知った。時代の変化にびっくりだ。ナイロン弦は、チューニングが落ち着くまで4~5日かかるので何とも言えないが、響きは悪くない。しばらくはこれを使ってみたい。ナイロン弦は3セット買ったので、明日、アコーステック・ギターにも張ってみようと思う。

 今日の一枚は、村治佳織の1998年作品、『カヴァティーナ』だ。ジャケット写真を見ると、初々しくもかわいらしい。クラシックギターのCDはほとんど持っていない私がこのアルバムを買ったのは、もしかしたらこのジャケット写真が気に入ったからかもしれない。意外に好きでたまに聴く。彼女のギターがクラシック・ギター業界でどのように評価を受けているのかはよく知らない。もしかしたら、アイドルちゃん扱いなのかもしれない。けれども、彼女の作品がクラシック・ギター音楽への敷居を下げたことは間違いないだろう。その意味で、彼女のギターは権威主義とは無縁だ。演奏のレベルを下げずに、大衆的な選曲がなされている。
 タイトル曲の⑧ 『カヴァティーナ』は大好きだ。実業高校で世界史を担当していた頃、写真のスライドショーのBGMにこの演奏を用い、ベトナム戦争の授業を作ったことを懐かしく思い出す。若い頃、この曲を弾けたはずだったが、弾き方がどうも思い出せない。手元に簡単な譜面があるが、キーもかつて弾いたものとは違うようだ。そのうち、ちゃんとした譜面を手に入れたいと思う。クラシック・ギターにそれほど自信があるわけではない。少しずつ始めてみようと思う。

宮城オルレを全コースを歩いた

2020年12月06日 | 今日の一枚(M-N)
◎今日の一枚 444◎
Miles Davis
Walkin'
 実は最近サボり気味なのだが、ここ2年ほどウォーキング&トレッキングにはまっていた。いろいろなコースを歩いたが、その中心となるのは《みちのく潮風トレイル》と《宮城オルレ》である。《みちのく潮風トレイル》の方は日本を代表するロングトレイルコースなのでまだまだとても踏破とはいかないが、《宮城オルレ》の方は現在オープンしている全コースを数か月前に踏破することができた。宮城オルレは現在のところ4コース。私が歩いた順に簡単に紹介したい。
①奥松島コース
海あり山ありで、なかなか雰囲気のあるいいコースだ。ただ、最後の「歴史を紡ぐ林道」から「大高森」までは、歩いたのが雨上がりだったこともあり、足場が悪く、本当に難儀な歩きだった。
②気仙沼・唐桑コース
宮城オルレの中では、一番の難コースだろう。アップダウンが激しく、起伏に富んだコースは、歩き人の体力を奪うに十分である。ただ自然豊かで、御崎付近でカモシカに遭遇することもしばしばであり、美しい海の眺望は本当に素晴らしい。最後の笹浜漁港からの登坂はハードであり、オプションコースの半造~巨釜~半造は、疲れた身体にはちょっと厳しい。達成感があるので、私は4度歩いた。
③大崎・鳴子温泉コース
前半の、古の出羽街道を巡るコースは、自然豊かで雰囲気があり本当に楽しく歩ける。ただ、熊が出没するらしく、多くのハイカーが熊鈴をつけて歩いていた。後半は舗装された道が多く、膝にはやや厳しい。大した距離ではないが、最後の温泉街への坂道は疲れた身体にはちょっときついかもしれない。妻と一緒に休憩しながら歩いたこともあり、5時間近くを要した。
④登米コース
私にはちょっと不満の残るコースだった。全体的に平板であり、舗装された道が多く、足には優しくない。楽しみにしていた北上川沿いに歩く道も、そんなに長くはなく、木々のためにほとんど川は見えなかった。最後の平筒沼いこいの森は疲れた身体にはややハードだが、自然豊かで、暗い森の雰囲気を味わうことができ、なかなか良かった。
 Walkin'=歩く、ということで今日の一枚は、マイルス・ディヴィスの1954年録音盤「ウォーキン」である。ハード・パップ台頭のきっかけとなったといわれるアルバムである。ファンキーな色合いはやはりホレス・シルヴァーの参加によるものだろうか。
 web上のいくつかのブログに、村上春樹氏が「いちばんかっこいいジャズのLPは、なんといってもMiles DavisのWALKINです。頭から尻尾までかっこいいです」とか、 「いろいろ聴くよりウォーキンを100回聴いたほうがいい」 とか、「好きなジャズのアルバムを一枚だけ選ぶとすれば、マイルスの『ウォーキン』を選ぶ 」とか言って絶賛したという話が載っているが、どのエッセイにあるのかわからない。もしかしたら、『フォア・アンド・モア』収録の「ウォーキン」のことなのではなかろうか。和田誠・村上春樹『ポートレイト・イン・ジャズ』(新潮文庫)のマイルス・ディヴィスの項目では『フォア・アンド・モア』が取り上げられており、その中で次のような文章が記されている。
「ウォーキン」を聴きながら(それはマイルズが録音した中ではいちばんハードで攻撃的な「ウォーキン」だ)、自分がいま、身体の中に何の痛みも感じていないことを知った。少なくともしばらくのあいだ、マイルズがとり憑かれたようにそこで何かを切り裂いているあいだ、僕は虚無感覚でいられるのだ。
 また、CD『ポートレイト・イン・ジャズ~和田誠・村上春樹セレクション』に収められた「ウォーキン」もやはり『フォア・アンド・モア』収録の「ウォーキン」である。
 いずれにせよ、そのことがこのアルバムの価値を貶めるわけではなく、十分素晴らしい作品である。今日的にはややスローテンポでどん臭い感じのするビートも、歩きながら聴くと意外にマッチするようだ。今度は「みちのく潮風トレイル」コースをこのアルバムを聴きながら歩いてみたいものだ。

宮城オルレ唐桑コーストレッキング

2019年08月11日 | 今日の一枚(M-N)
◉今日の一枚 440◉
Moncef Genoud Trio
It's You
 昨日は、懸案の宮城オルレ唐桑コースにチャレンジした。天候が心配だったが、天気予報では午前中は曇り、午後は降水確率40%前後ということだったので、とりあえず現地に行ってみた。私より先に歩いている人はいないということだったので不安はあったが、来週は雨の日が多いという予報もあり、思い切って決行することにした。

 天気予報がはずれて途中から雨が降ってびしょぬれになったり、カモシカに遭遇したり、階段で足を捻挫したりとアクシデント続きだったが、快晴のときとは違う灰色の海の景色は、水墨画のような趣があり美しかった。やはり、唐桑の海はいつ見ても素晴らしい。唐桑の海の水平線を見ているといつも、やはり地球は丸いのだということを再確認させられる。雨は途中から小降りになり、しだいに晴れ間が見えてくるなどコンデイションはしだいに良くなって、フィニッシュのときには快晴だった。分岐点のコース選択では海沿いのAコースを選び、巨釜の折石へのオプションコースも含めて、約10kmを3時間半程で歩いた。以前歩いた奥松島コースに比べてアップダウンが多く、その意味ではハードコースだが(とくに後半はアップダウンが多くてきつかった)、きちんと整備された道は足場がよく、快適にトレッキングを楽しむことができた。新たに購入したトレッキングシューズとトレッキングポールも大きな威力を発揮してくれた。近いうちに、Bコースをもう一度歩きたいと思っている程だ。日韓関係はどんどん険悪な雰囲気になっているが、9月28日には「大崎鳴子コース」が、今年度中に「登米コース」オープンする予定であり、それらのコースも是非チャレンジしてみたい。


 今日の一枚は、モンセフ・ジュヌ・トリオの1997年録音盤「イッツ・ユー」である。モンセフ・ジュヌという人を知ったのは、寺島靖国 presents Jazz bar 2002 というCDによってだった。彼が演奏するビル・エヴァンスの曲、We Will Meet again は、このCDの中でひと際輝きを放っていた。モンセフ・ジュヌは1961年チュニジアの生まれで、現在はスイス在住とのことだ。1987年にジェノヴァ音楽院で学位を取得、現在同校でジャズのアドリブについて教鞭をとっているようだ。寺島さんのCDを聴いたときには透明な響きのピアノだと思ったのだが、オリジナルアルバムを聴いてみると、意外に太いしっかりとした音のピアノを弾く人だという印象をもった。

 それにしても、寺島さんの一連のCD、小遣い銭稼ぎとかいろいろな悪口を言われたものだが、今考えるとなかなかいい選曲だったように思う。比較的新しい才能のある人を知るのにたいへん便利なCDだ。高いので、あまり買えないのだが・・・。

ペトルチアーニの清々しい響き

2015年01月17日 | 今日の一枚(M-N)

●今日の一枚 406●

Michel Petrucciani

MICHEL PETRUCCIANI

坂本光司『日本で一番大切にしたい会社』という本の中で、従業員の約七割を知的障がい者が占める日本理化学工業という会社が紹介されています。その中に、幸福とは①人に愛されること、②人に褒められること、③人の役に立つこと、④人に必要とされることであり、このうちの②③④は施設では得られず、働くことによって実現できる幸せなのだ、というこの会社の社長さんの話が紹介されています。障がい者の就労や社会参加を考える上でまことに示唆に富んだ言葉ではないでしょうか。ダストレスチョークの三割のシェアを誇るこの会社は、このような考え方で、もう50年以上も障がい者の雇用を続けているのだそうです。

 ちょっと恥ずかしいが、数年前に地域の障害者支援団体の広報誌に寄稿した私の文章の一部である。私と同じ1962年の生まれで、1999年に亡くなったフランスのピアニスト、ミシェル・ペトルチアーニの人生は、その意味では幸福だったというべきなのだろう。もちろん、骨形成不全症という重い障害をもち、わずか36歳の若さで逝ってしまった彼自身にしてみれば、もっと自由に、そしてもっと長い時間生きたかったに違いない。やりたかったことももっともっとたくさんあっただろう。ただ、人に愛され、人に褒められ、人の役に立ち、人から必要とされるという観点においては、ペトルチアーニの生涯は完全にその要件を満たしていると思うのだ。

 ペトルチアーニの1981年録音盤の『ミシェル・ペトルチアーニ』である。年の同じ私が大学に入学した年の作品だ。まだ自分自身が何ものかも知れず、蹉跌の日々を送っていたその頃の私を顧みれば、まったく恥ずかしい限りである。18歳の若者の清新な気風に満ちた、素晴らしいアルバムだ。ピアノの音が鮮明である。響きが素晴らしい。録音がいいのだろうか。ペトルチアーニのタッチの技術が素晴らしいのだろうか。いずれにしても、硬質で芯のある、曖昧さのない音だ。論理の国フランスらしい、明晰な音の響きというべきだろうか。アルバム全体にわたって、清々しさ、爽やかさが充溢している。いい作品だ。

 40代の、あるいは50代のペトルチアーニを聴いてみたかったと痛切に思う。彼自身も悔しかったに違いない。けれど、彼の生きた証は、こうやって私たちに感動を与え、何かを伝え続ける。これからも、ずっとずっとそうだ。


ジャケットがかっこいい!

2014年12月30日 | 今日の一枚(M-N)

●今日の一枚 400●

Miles Davis

Bags Groove

 朝起きて、何か聴こうかなとCDの棚を物色していてたまたま目についた。それにしてもかっこいいジャケットである。文字だけで構成されたジャケットだが、ポップでお洒落だ。文字というものが意味情報の伝達だけでなく、絵画的なデザインの役割も果たしている格好の例だろう。1954年録音の、マイルス・ディヴィス『バグス・グルーヴ』である。

 しばらくぶりに聴いたが、内容の方も全編が良質なかっこよさに満ちいてる。ホレス・シルヴァーがピアノを担当する③以降はいつもながらの普通に素晴らしいマイルス。非常にブルージーな演奏である。セロニアス・モンクがピアノを務める①及び②のBags Grooveの2つのテイクは、モンクとマイルスの掛け合いが手に取るように伝わってくる、臨場感あふれる演奏だ。この時の演奏で、マイルスがモンクに対して自分がソロを吹いているときは伴奏をつけないよう指示したことから、「ケンカ・セッション」といわれているようだ。確かに、モンクのピアノはマイルスを挑発しているようにも聞こえる個性的なものだ。特に、②の方は強烈である。アーマッド・ジャマルの影響を受けて新しいサウンドの方向性をめざしていたマイルスにとって、モンクの個性はあまりにアクが強く、大き過ぎたということなのであろう。

 1954年のクリスマスイヴにマイルスが行ったレコーディングは、この『バグス・グルーヴ』と『マイルス・ディヴィス・アンド・モダンジャズ・ジャイアンツ』の2枚に分散収録されているが、モンクとの共演は『モダンジャズ・ジャイアンツ』に6曲、『バグス・グルーヴ』に2曲が収められている。『モダンジャズ・ジャイアンツ』の「ザ・マン・アイ・ラブ」収録中にモンクがソロパートを弾くのを途中でやめてしまったことや、このレコーディングの後、モンクとマイルスは再び共演することがなかったことから、因縁のセッションというジャズの「伝説」が生まれたようだ。