WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

わたらせ

2007年01月23日 | 今日の一枚(I-J)

●今日の一枚 118●

板橋文夫     WATARASE

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 板橋文夫の『わたらせ』……。1981年の録音で長らく廃盤状態だったが、やっと数年前にCD化された。誰が何といっても日本のジャズの名作である。「日本のジャズ」という言い方はフェアではないかもしれないが、まぎれもなくこの作品は、というより板橋文夫は、日本のジャズなのである。それほどまでに板橋は、日本的なものに、いや日本などという偏狭なものが生成する以前のもっとネイティブなものにこだわっている。

 以前にも記したが、数年前に隣町の小さなホールで見た板橋のコンサートは、衝撃的だった。金子友紀という若い民謡歌手が一緒だったが、民謡歌手の歌にあれ程の感動を受けるとは予想だにしなかった。板橋の演奏もすざまじかった。左手が創り出すうねるようなビートの中で右手のメロディーが自由自在にかけめぐっていく。時折使用するピアニカのブルースフィーリング溢れる響きもすごかった。魂が入ると、ピアニカなどという楽器があれほどまでに輝かしいサウンドをつくりだすとは、はっきりいって信じられなかった。

 さて、本作であるが、日本のジャズの名作である、と繰り返し叫びたい。同じくピアノソロで比較的近年の『一月三舟』とくらべると、演奏がややぎこちなく、たどたどしく聞こえる。それだけ、板橋の技術と音楽性が向上したとみることができるのだろうが、そのぎこちなさゆえに、かえってネイティブな雰囲気が伝わってくるという効果もある。岡林信康は「日本人のリズムはエンヤトットである」と語ったそうだが、板橋のピアノのずっと奥のほうでも「エンヤトット」は鳴り響いているように感じる。

[以前の記事] 一月三舟


ベージュの手帖……青春の太田裕美⑬

2007年01月23日 | 青春の太田裕美

Scan10001_6  何度か取り上げてきた太田裕美の快盤『手作りの画集』収録の「ベージュの手帖」だ。いつものように、作詞は松本隆、作曲は筒美京平である。 

 家出の歌である。失踪の歌である。駆け落ちなのであろう。いかにも歌謡曲チックな前奏の次にあらわれる一番の歌詞は、その前奏とはおよそ似つかわしくない、考えようによってはちょっと衝撃的なものだ。すごい歌詞ではないか。日常性に亀裂が生じるそんな一瞬が表現された歌詞だ。 

(と、思ったら、他のブログで知ったことだが、この歌詞はビートルズの"She's leaving home"の焼き直しなのだそうだ。そういえば、歌に出てくる女の子もヨーコではないか。) 

   陽子はクラスで一番無邪気な娘なの 

   誰でもウインクひとつで友だちだった 

   翳り一つない笑顔 

   十月の寒い朝  トランクを一つ持ち 

   寝静まる家のドア  ひっそりと閉めた陽子

    机にベージュの手帖  残る言葉は

    「自由になりたい」

       ※   ※

    陽子はほんの子供とおこる父親

    手塩にかけ育てたと泣いた母親

    ガラス箱の人形ね

    十月の雨の朝  トランクをひとつ持ち

    ありふれた幸せに  背を向けて消えた陽子

    心の裏側なんて  誰も読めない

    「自由になりたい」

      ※   ※

    十月の雨の朝  トランクをひとつ持ち

    背の高い青年と  手をつなぎ消えた陽子

    ほんとの幸せなんて  誰も知らない

    「自由になりたい」   

  「寝静まる家のドア ひっそりと閉めた陽子」という部分が何ともいえずいい。続く2番以降がやや説明的すぎて凡庸な気がするのは気のせいだろうか。70年代には、「自由になりたい」という言葉の語感が、いまとは少し違って、爽やかで軽い孤独感をともなうものであったような気がする。

  それにしても、「残る言葉は、自由になりたい」という部分を聴いて、やや身勝手さを感じてしまうのは、時代のせいなのだろうか。あるいは、私が年をとり権威主義的になってしまったということなのだろうか。