WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

もやもやした頭をクリアにしたいと思って、エアロを聴いてみた

2012年11月24日 | 今日の一枚(A-B)

☆今日の一枚 340☆

Aerosmith

Rocks

Scan10016

 ほぼ一か月ぶりの更新である。何かこう日常が自分自身にフィットしない日々が続いている。仕事はどうしようもないほど忙しいわけではないのだが、やはり何となくだらだらと忙しい。加えて、HCを務める高校バスケットボールチームの新人大会のためにちょっと気を張った日々が続き、やっとそれが終わったと思ったら先週の土日はbjリーグが私の住む街に来たため大会運営のボランティアに駆り出され、現在は来週の考査の問題作成と、会長を務める障がい者支援団体の来月の講演会の準備で頭がいっぱいだ。落ち着いて物事を考える余裕がなく、自分が自分自身にフィットしない感じがするのだ。おまけに、長年使ってきたカセットデッキが壊れてしまった。最近使用しすぎたせいだろうか、突然、電源が入らなくなってしまったのだ。もうカセットテープを聴くこともできない。何か、自分自身が損なわれ、ひどく不完全なものになってしまったような気分だ。というわけで、50歳を超えているというのに、自分が自分自身から疎外されているような感覚に襲われている。

 3連休なので、このもやもやした感じを吹き飛ばし、頭をクリアにしたいと思ってamazonで昨日注文したのがこのアルバムである。(何と、昨日注文したのに、今日届いたのだ!)エアロスミスの1976年作品『ロックス』だ。1970年代の彼らの最高傑作と評価されることの多い作品である。(1970年代の彼らを「初期エアロスミス」と呼ぶべきなのだろうか。私には1970年代以外の「リバイバルエアロ」などどうでもいいのだが・・・・)ロックギターフリークだった高校生の頃、なぜかエアロをよく聴いた。たぶん、単純でわかりやすく、手軽にスカッとするところがよかったのだろう。

 悪くない。今聴いても血がさわぐ。① Back in the saddle のギンギンさや、② Last Child の≪エグイ≫感じ、④ Rats in the Cellar(地下室のドブねずみ)の疾走感、⑥ Nobody's Fault のダイナミックさ。サウンドが細胞に沁みついている。ギターのリフの細部を今でも口ずさむことができる。高校生の頃の私にエアロがあって良かった、と今更ながらに思う。しかしそれにしても、このCDの音質はなんなのだろう。special price 定価1300円を割引き価格で買ったのだが、2011年にでた、比較的新しいCDなのだ。音が全然迫ってこない。ロックミュージックに不可欠な、音圧というものをまったく感じない。音量をそこそこ上げても、音がスピーカーの周りだけで、やや大げさにいうならスピーカーの向こう側で鳴っているようだ。ハードなサウンドなのに、何かよそよそしく、外在的で、音に疎外されているような印象を受けてしまう。そのくせ、⑨ Home Tonight の稚拙でたどたどしいギターソロだけが妙に生々しい。同じ音楽なのに、高校生の頃、家具調ステレオで大音響でLPを聴いていたときとはひどく違った印象だ。

 実は、エアロの『ロックス』をきちんと通して聴くのは30数年ぶりだ。高校を卒業する直前、LPをクラスメイトに貸したままになっていたのだ。彼は地元の、私は東京の大学へと進学したため、なかなか会う機会がなくなり、そのうちこのLPのことも忘れてしまった。時々思い出し、もしまだ持っていれば、いつか返してもらえないものだろうかなどと夢想していたのだが、その彼も、この間の津波で流されてしまった。南三陸町にあった職場で、最期まで責任を果たそうとしたようだ。遺体はまだ発見されていない。彼も、彼に貸した『ロックス』のLPも、私から永遠に失われてしまった。恐らくは、このアルバムを聴くたび、彼のことを思い出すことになりそうだ。