WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

ギター殺人者の凱旋

2007年09月02日 | 今日の一枚(I-J)

●今日の一枚 200●

Jeff Beck

Blow By Blow

675_1   「今日の一枚」もNo.200となった。これをはじめたのが昨年の7月なので、1年と2ヶ月ほどの期間に200枚の作品にコメントしたわけだ。この間、他の記事も書いたので、飽きやすい私にしてはよく続けてきたなという感じだ。今日の一枚は、ロック作品である。当時は、クロスオーバーなどともいわれた作品である。No.200の記念として特別の作品を取り上げようというわけではないのだが、何故だが今朝からロックっぽいものを聴きたいという欲望が渦巻いており、たまたまレコード棚の目につくところにあったのがこのアルバムだ。

 ジェフ・ベックの1975年作品『ブロウ・バイ・ブロウ』、高校生の頃、繰り返し聴いた一枚だ。この作品に『ギター殺人者の凱旋』という日本タイトルをつけたのは誰だろう。他のブログに書かれていたのだが、アメリカでこのアルバムが発売された時に出た広告のコピーが「The Return Of The Axe Murderer」となってるのを当時のCBSソニーの担当者が見つけて訳し邦題にしたということらしい。気持ちは理解できないでもないが、やはり今となっては、ピントはずれなタイトルというべきだろう。

 昔、ヤードバーズ出身の三大ギタリストという言葉があったが、ギターという楽器そのものを追究したのは、結局のところ、ベックだけだったのではないだろうか。クラプトンは歌物の世界に開眼してヒットメーカーになり、ジミー・ペイジはギターアンサンブルの可能性を追究した。それに対して、ベックはエレクトリック・ギターという楽器を使ってどこまで表現を広げられるかという、ギター表現の可能性に取り組んできたように思える。その結果、彼はロックの世界に軸足を置きつつも、クロスオーバーとかフュージョンとか呼ばれた世界に接近することになる。私自身がそうだが、このアルバムを通して新しい音楽分野に目を開かれたというリスナーは意外と多いのではなかろうか。

 かつては鑑賞というよりギターの教科書として聴いていたこの作品だが、改めて聴きなおしてみると、思いのほか新鮮である。未だコンピュータ音楽などのない時代、当時のテクニックを駆使して、ギターという楽器ひとつで音楽世界を構築しようとしたベックの冒険的試みが手に取るようにわかると同時に、音楽それ自体も感動的である。よくできた秀逸な作品である。

 ベックのお気に入りのギタリストであるロイ・ブキャナンに捧げたという名曲「哀しみの恋人たち」は、やはり今聴いても心に染み入るものがある。高校生の頃、コピーしたこの曲は、今でもアドリブのひとつひとつまで口ずさむことができる。チョーキング、プリングオフ、ハンマリングオン、トリル、スライドという基本技術をはじめ、ピッキングハーモニックスやボリューム奏法といったテクニックが実に効果的に使われている。テクニックが表現の手段として、演奏に絶妙のアクセントをつけているところがすごい。ベックは、テクニックをひけらかすようなタイプのギタリストではないのだ。

 ロックからジャズへと興味が変わって30年近いが、『ブロウ・バイ・ブロウ』は今でも聴くに値する作品だ。今日聴いてみてそう思った。私の所有するLPの帯には、小さな文字で次のように書かれている。

「ピッキング、フィンガリング、スライディング、ジェフのギターが唸りをあげる! BBA解散後2年間の沈黙を破って発表されたロック・ギター史に燦然と輝く傑作アルバム」

 実に懐かしい文句だ。