いち子ばーばのお針箱Ⅱ

昭和一桁のばーばが、虜になったウクライナ刺繍を主に、エッグ・アートなどの作品をご紹介して居ります

テーブルランナー続きと昔の写真

2008年11月30日 | Weblog

昨日の芙蓉の花の隣に紅を刺した蕾が開きかけていました

 

刺繍がほんの少し進みました

進んだのが判るように、山形を一つ刺して有ります

 

 

昨日の写真の前に、この場面を御紹介する積りでしたが

すっかり忘れて後先になってしまいました

後列左から、酒屋のテルちゃん、勉強が出来て、

毎年級長さんをしていましたが気が強くて、いじめっ子でした

隣が八百屋のみっちゃん、

みっチャンは八百屋を継ぐために御養氏を迎えましたが

子供3人を残して早くに亡くなってしまいました

其の隣の子2人の名前が思い出せません

一番右が私です。左となりの美少女は色白で、混血の様でした、

前列左はお隣のきっ子ちゃん、日航のスチュワーデス1期生です

其の隣は、かよ子ちゃん、卒業した夏に亡くなりました

右の子の名前が思い出せません

このころは、和服を着て通う子は珍しくはありませんでした

2・2・6事件が起こったのは此の写真を写した次の年です

 

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2 コメント

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Unknown (ぴろまり)
2008-11-30 22:12:34
この頃は皆さんおかっぱ頭でエプロンをしていたのかしら。
それともエプロンも制服の一部?
それにしても、昔の写真を良い状態で保存されているのですね。
私までもがとても懐かしい気持ちになって見入ってしまいました。
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エプロン (谷間のゆり)
2008-11-30 23:35:30
ぴろまりさんへ
エプロンは別に制服ではなく、よそ行きの(家でしているのは洗いざらしで)エプロンだったと思います。
ですからデザインは違っていましたが、何しろ御店で売っている物にデザインの違うのが多くは無かったと思います。
髪型は、決まって居なくても同じ床屋さんに行くので、同じになってしまったのでしょう。
皆と同じが嫌いな私は、小学3年になった時に、横分けにしました。
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