いち子ばーばのお針箱Ⅱ

昭和一桁のばーばが、虜になったウクライナ刺繍を主に、エッグ・アート、フラワーデザインの教室を開いています。

1964年のオリンピック・ワッペン

2016年02月22日 | 昔のはなし

菊の花?いいえ、ガーベラです

 

 

1964年のオリンピックのワッペンです

 

貰った事も忘れていたワッペンが出て来ました

探し物の目的は違うのに。

各企業で出したのですね

2020年のオリンピックにもですのでしょうか?

実物より一寸大きくなってます。

 

探し物って、目的の物は中々見つからないのに

忘れて居たものが出てくるのが面白いですね

 

 

 

 

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1964年の東京オリンピック最終日に馬術を見に行きました

2015年09月21日 | 昔のはなし

モンシロチョウは名の花が似合うますが

コスモスにもいいですね

 

 

探し物をしていると予想した居なかった物が見つかる物です

先日でてきたのは東京オリンピックの小冊子

亀倉勇作氏のデザインのエンブレムですね

裏です

評判の競技はとても買えないと好きな馬術のチケットを申し込み

2枚のチケットを買う事が出来ました

左のポスターの制作エピソードをテレビで見た事が有ります

今見ても新しいですね

メタルのデザイン

聖火台

馬術大賞典のプログラムです

当日は寒い日で妹と座席に敷くつもりで持って行った

ビニール袋を下半身に穿いて

固いベンチで見た記憶は今でも思い出せます

もちろん馬術の酔の美しさも

ピンク色の冊子にはメダリストの名まえが載って居て

体操のチャフラフスカ、マラソンのアベベ、

柔道のヘーシンクや体操の日本選手の名を懐かしく

思い出しています

バレーボールのは駒沢の競技場の外で決勝の瞬間の歓声を聞きました

当時のオリンピック会長はアベリー・ブランテージ

オリンピック東京大会

 

名誉総裁 天皇陛下

会長 安川第五郎

副会長 東竜太郎 竹田恒徳 田代茂樹

事務総長 与謝野秀 

 

と記されています馬術当日に頂いた冊子に

メダリストの名が有る事を今まで気が付かずにいましたので

少しずつ覚えて居る選手の顔を思い出しています

 

 

 

 

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孝女白菊の歌

2014年11月04日 | 昔のはなし

竜胆はとっくに盛りを過ぎましたけれど・・・・

 

 

菊が盛りです

白菊を見ると思い出す孝女白菊の歌があります

先日検索してみたら有りました

孝女白菊の本の表紙や歌詞が全部と

いわれ等

 

私が小学生の時に買ってもらった講談社の本でお話を知り

女学性の時に全部歌詞のついた本を手に入れました

でもその本は疎開から帰ったらなくなっていましたが

途中まで今でも歌えます

 

阿蘇の山里秋深く

眺めさびしい夕間暮れ

おりしも一人門にいで

父をまつなる乙女有り

年は十四の春浅く

色香含めるそのさまは

梅かさくらかわかねども

末頼もしく見えにけり

父は先つひ狩にいで

今なおおとずれなしとかや

 

途中間違えている所もあると思いますが

全部歌うと一時間かかると言われて

覚えるのをあきらめました

物語はハッピーエンドです

 

検索で(孝女白菊)で色々でて居ます

中原淳一さんの白菊の表紙もありました 

 

 

 

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刺繍が進まない時の古い写真です

2014年10月13日 | 昔のはなし

エンゼルス・トランペットの盛りになりました

夜しか香らないので中々体験できませんが・・・・

 

 

 

刺繍が進まない時の古い写真

今日は眠り人形を抱いて得意顔のいち子ばーばの写真です

前の人形はママーと泣く人形でした

祖父が今度は目を閉じて眠る人形を買ってくれました

此の人形が出た頃に売り出されたレコードの歌が有ります

 

一番

私の人形は良い人形

目はぱっちりと色白で

小さな口元愛らしいい

私の人形は好い人形

二番

私の人形は好い人形

歌を歌えばねんねして

一人で置いても泣きません

私の人形は好い人形

 

と言う歌詞で今でも歌えます

いまのコマーシャルソングですね

 

 

 

 

 

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若き日の田村魚菜さん

2014年09月24日 | 昔のはなし

黒い唐辛子が花材になって花やにならんでいます

 

 

ししゅうが進まない時の古い写真です

裏の日付けが昭和二十二年になっています

田村魚菜さんを覚えていらっしゃいますか?

田村魚菜さんは終戦後学芸大学の商店街の

亀鶴食堂の栄養士をしておられました

その時のウインドウに飾られた野菜の細工物の

立派さは今でも目に残っています

その腕を見込んだ駅前の本やさんが

魚菜さんを主婦の友に紹介され

お料理を主婦の友に載せる様になり

魚菜塾を開かれたのです

 

御縁でしばらく父は魚菜塾のカメラマンをしていました

写真入りのレシピは父のアイデアで始めたと言うのが

父の自慢でした

 

その頃料理塾の生徒と

茅ヶ崎に地引網を引きに行った時のスナップです

当時私は17歳

生徒として2年間魚菜塾で習得した技術は

今でもおいしい料理を作る助けになっています

右の方は菓子部門の先生で

草餅や柏餅等和菓子を教えていただきました

和食は田村先生、洋食は外山先生でした

 

 

 

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刺繍が進まない時の古い写真

2014年09月01日 | 昔のはなし

遅咲きの鉄線

 

 

刺繍が進まなかった時の約80年前の古い写真です

今日はママー人形と

色々ポーズをさせられて一寸べそっかき

眩しかったからも有りますが

抱いているフランス人形は寝せて置いたのを抱くと

「ママー」となくのです

おなかに笛が仕込んであって抱くとその笛が鳴るのですが

その音がママーに聞こえるわけです

服は母の手作りです

まだ上手に縫えていませんが

主婦の友の洋裁独習書で独習を始めた頃の仕立てだと言っていました

 

 

 

 

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ウエディングドレス

2014年08月13日 | 昔のはなし

これもクルクマの仲間です

 

 

 

注文服を仕事にしていた時の写真が見つかりました

フィルムの写真の頃は

洋裁の仕事で仕上げた物を写真に撮ることはほとんどなくて

一寸寂しかったのですが

此の写真はブケーを作った妹が式場で写した物です

此のお客様は結婚式のドレスも新婚旅行用のスーツも

生地の選定からデザインもすべて任せて下さったので

ドレスは絹のファイユ、チュールも絹でトップのレースはフランス製と

贅沢に選ばせていただきました

ヘアー飾りはブケーと同じ八重ストックの生花で

小さな帽子状に作って有りますので良い香りが漂って良かったとの事

式場は当時高級な東京会館でした

ドレスが気に入っているので

3時間の披露宴をお色直しなしになさったそうです

ヘアー飾りはブケーをお届けに行った妹が

披露宴後旅行に出発なさる時のシニヨンの髪飾りに作り替えて差し上げたのが

スーツに合って良かったと、後日お礼に見えました

ブケーの写真がないのが残念です

50年以上前の懐かしい写真で昔の仕事の紹介をさせていただきました

 

 

 

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刺繍が進まない時の古い写真は鶏と・・・・

2014年06月20日 | 昔のはなし

薄いピンクのベル型のクレマチスでした

 

 

古い写真は祖父の家で

鶏を抱いて大満足な満2歳のいち子ばーばです

 

 

2歳年下の妹と祖父と母と

この時の母は21歳、昔は早婚でしたね

 

 

 

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刺繍が進まない時の古い写真

2014年05月22日 | 昔のはなし

きっちりと並んだ花弁が可愛いダリアでした

 

 

先日ご紹介した祖母の家で

15歳年下の祖父です

何年か前に此の祖父が松本城の修理をした棟梁の弟子だった事がわかりました

孫の私から見ても役者のような祖父で、

歌舞伎や舟遊び(お台場の近くで投網船で)を経験させてもらいました

おしゃれな人で、家では和服で過ごし

大工仕事の時の服装もきっちりとしたパッチとどんぶりに紺足袋に

白いはなをの麻裏草履でした

どうして紺足袋をはくのか尋ねた事がありますが

答えは、白足袋は何度あらっても古さを隠せるが紺足袋は洗うほど色が落ちて

古さがわかり、大切なお客様に逢う時は新しい足袋で行くのが礼儀だから

ごまかしが出来ない様にとの事でした

祖父が仕上げの鉋を当てた檜の板は水をかけた2枚を合わせると離れなくなると

祖父の弟子だった母方の伯父に聞いた事があります

その叔父も四条流の包丁式の大まな板を削る事のできる人でした

 

 

同じ時に写したものらしく私は足袋に大人の下駄をはいています

祖母はこの時も和服の残り布で作った前掛けをしていますが

外出の時には上等な残り布で作った他所行の前掛けをしていました

どうも祖父が買ってくれた毛皮付のオーバーコートを着せられて

記念写真を撮ったようです

よく見るとこの時も祖母は丸髷を付けています

腰かけているのは祖父が作った縁台です

 

ウサギや鶏を孫のために飼っていたので

祖父の家に行くのが楽しみでした

ウサギがなついているのが判る写真です

こんな環境があったので、

私が動物や鳥好きになったのかもしれません

 

しばらく来ていなかった烏さんが昨日来ました

何時もの様にかりんとを一本咥えて帰って行きました

 

 

 

 

 

 

 

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刺繍が進まない時の古い写真

2014年05月02日 | 昔のはなし

つつじの花は満開を過ぎましたね

花の元にある蜜の在りかを今の子供は知っているかな?

 

 

刺繍が進まないので古い写真のご紹介です

明治元年生まれの祖母は昭和12年頃まで

日本髪の髷を付けていました

もちろん自分で結ぶのです

由緒ある家に生まれ家同士の婚家先を娘を残して出奔し

信州松本で15歳年下の祖父と同棲

母を里子として預かり東京に出てきた人です

関東大震災のおり戸籍が消失した時に母を養女とした様です

祖父の事は後日ご紹介しますね

 

小学校を翌年に控えた11月、当時

流行っていた疫痢にかかり一日一晩で亡くなった妹と

当時の乳母車と愛犬のテリアです

 

私と妹4歳年下の3月生まれでした

私の勉強がうらやましくて度々邪魔にきました

 

この妹の葬儀の翌日二番目の弟が生まれました

 

 

 

 

 

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