ヒーメロス通信


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三井喬子「地の音が」、個人詩誌『部分』48号、2012年3月

2012年03月12日 | 同人雑誌評

三井喬子「地の音が」、個人誌『部分』48号2012年3月12日発行。

 前回、清水正吾氏の「怒り」をコメントした後半の現代詩への私の主張は、清水氏に向けられたものではなく、一般論として書いたものであることを注記しておきます。清水氏の詩には詩人の主体がはっきり示されていますが、生き方をもう一歩踏み込んでもよかったとも思います。他の同人、山本愉美子氏の「ハリストス正教会(白河にて)」は緊張感のある魅力的な詩句で表現されているものの、主体(詩人としての筆者)の生き様が見えてこないことが不満でした。生意気なことを言って申し訳ありません。
 
 さて、今回は三井喬子氏の三つの詩から、「地の音が」を取り上げてみます。

  殷々と響いてくる
  視覚を不要とする知覚世界に
  殷々と
  伝わってくるのです 夜の声が
             「地の声が」第一連

 おそらくこのような詩を私は書くことはないだろうが、詩はさまざまな欲望から書かれていくのであり、テーマの優先順位は違っていても大きな器として詩作を考えてもよいと私は考えています。何かのコメントを書こうとするとき、いつもより深く読み取ろうとする意識が働き、私なりにではあるが意外な発見があります。自然を目前にして自然の声、夜の声に耳を澄ます詩人がいる。「(ゆき ゆき ゆきゆき みず)」というフレーズが何度も繰り返されている。これが詩人が自然の声を人間の言葉に翻訳した声であろう。「殷々と」とあれば勢いのある盛んな音であることを示唆している。人の気配であるエンジン音をここに響かせれば山は震えおののき沈黙してしまう。詩人は「これは 卑劣な暴力」であるという。

  対岸の暗がりで
  手を振っているものがある誰だろう
  何かを叫びながら急斜面から水に滑り込む
  たぶん いつか溺れた人だろう
  おそらく あの伝説の少女だろう
  湖が そっとそれを包み隠す
  雪 降りしきり
  しぼりだされた夜の声が
  それは地の音ですよ と言う
  敗れた者は 眠ったままでおいでなさい
  水の一族の哀しみは
  遥かに遠く浸みわたるでしょう
              「地の音」最終連

 自然と対比して見れば人間は「敗れた者」であろうが、それは人間は自然を破壊してきたからであろう。自然はその恵みを惜しげもなく我われに与えるが、時に残忍な姿を現しもする。「水の一族の哀しみ」という含みのある詩句が、自然と人との関わりに警告を与えているようだ。我われもまた自然の一部であり、自然と四季をともにし、交感して生きていくことの大切さを教えているようである。しかし、少しも教条的なところはなく、想像力を駆使して言葉を遊ばせ、詩人の自然と戯れている様子がうかがわれる心地よい詩である。
  



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