ヒーメロス通信


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同人誌評、「八月」柏木勇一、詩誌『へにあすま』43号2012年9月15日発行

2012年09月20日 | 同人雑誌評

同人誌批評
「八月」柏木勇一、詩誌『へにあすま』43号2012年9月15日発行



八月



おまえはこれからどこへ行くのか

地の底を歩くひとからの
年に一度のあいさつ
その人の名は言わない
還らなかった仲間の中でいちばん孤独だったひと
世界のだれもがたどりついたことのないどこかへ立ち去った
世界のだれもがたどりついたことのないどこかへ潜むために
                           「八月」冒頭八行

 
最初の一行は作者に向けられた死者からの言葉だが、読み手の一人ひとりに投げかけられている。次に続く六行は、作者の主観でそう感じたに過ぎないのだが、事実よりも想いの方に私は心が引かれるのだ。このあと二行が下方に並べられている。

                       誘うために
                       導くために
                         「同」九行目から十行目

 
作者の中で、この「いちばん孤独だったひと」は生きて「どこへ行くのか」と問いかけている。人は必ず死ぬ。そこが終わりではなくもう一つの場所の入り口であるなら、すでにこの世から消えてしまった、逢いたいと願う人のいるところへ「私」が行こうとするのはとうぜんであろう。肉体が滅びた後の道行きなのであるから、そこは魂の行き着く先である。「世界のだれもがたどりついたことのないどこか」と表現されていることから、その人の生前の孤独の深さゆえ、他界においても治癒されず孤独のままで、「誰もがたどりつかなかった」ところに、その魂が潜んでいることを作者は伝えている。
 何もかもが不確実な現象世界に私たちは生きている。昨年の東日本大震災以降、生はより危険にさらされている。神戸大震災があり、オーム事件があり、9・11を体験した私のような戦後生まれの人間にそれらは大きな衝撃を与えた。これまでにない出来事が立て続けに起きたが、今回の東日本大震災と原発の問題は格別に日本の未来に不安をもたらしたのではないかと思う。同じ国の人がこれほど大量に亡くなるのは耐え難いことである。その危惧は終わらずに、今後も私たちの、さらに次の世代にも長くつづいていくのである。

   
地の底を歩くひとから
問われるなら答えよう
あなたがたどりついた場所に行きます
これからどこへ行くのか と問われるなら
問われるならそう答えよう
                      「同」第三連


 今回の大震災とこの詩は直接の関係はあるのか分からないが。しかし悲惨な死に方をした人を喪い残された者の思いも同様であろう。「その人」は生前、孤独のうちに命をなくし、その孤独な生ゆえに死後もその人の魂は他の魂と離れてあるということが理解される。日々迫りくる老いを見つめる作者も、自分は「地の底の入り口がちかづいている」と感じ入っている。「知を求めるひとは死にゆくことをつとめとする」(プラトン『パイドン』)や、魂によって使い古された言葉をよみがえらせるのが詩であると信じる私にとって、東日本大震災での死は詩を書くことを躊躇わせもすれば勇気づけもするのだ。


   八月
   水槽の魚の目が乾いている
   青蛙が炎天の草場を踏んだ
   刈り取ったばかりの草がたちまち糸状になった
   逃げ水に映る濃縮された記憶 空虚な現在
   陽炎の奥行が夏ごとに長さを増して
   いよいよわたしは
   地の底の入り口に近づいている
                      「同」第四連


 夏は死者を身近に感じさせる季節だ。この連ではさすが長年書き続けてきた作者の技巧の上手さが際立っている。「魚の目」が乾いているという表現に、私は「行く春や鳥啼き魚の目は泪」を思い起こさせた。死者の旅立ちと自分のみちのくの旅立ちを重ねるこの芭蕉の句の、離別の哀しみを表した「魚の目は泪」も凄い表現であるが、「魚の目が乾いている」という表現も劣らず深みがある。次の四行もまた、夏に忍び込む非日常的空間を案じさせる。私ならここから詩を始めてしまうところだが、この詩の作者は冒頭は平易な言葉で読み手を導いている。私がこの詩にいちばん惹かれるところは、作者の思いを、その決意ではっきり示しているところにある。


   熊蜂が蜘蛛の巣から蝶の幼虫をかすめ取っていった
                      「同」第五連


 「地の底の入り口に近づいている」と書いた後、一行置いて書かれたこの客観的描写は、自然界の営みの残酷さ暗示して、生きるものの業(ごう)さえ思い起こさせ、詩全体を考え深いものにして効果的である。





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