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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

天理市の古墳をあるく(杣之内篇)⑥ ~東乗鞍古墳~

2024-01-25 22:48:50 | 古墳紀行

 峯塚古墳からは、再び元の道に引き返したのち、杣之内の集落の中を横切って、2022年3月に開業したばかりのなら芸術文化村に立ち寄って、昼食を取る。

 以前、ここに来た時に、これからめざす東乗鞍古墳の3D体験をさせてもらった。なかなか巨大な横穴式石室で驚いた記憶がある。周辺の古墳に関する企画展なども開催されており、これからちょくちょく立ち寄ることになりそうな施設ではある。(今は、「山辺の古墳文化―大和古墳群と柳本古墳群―」を開催している。)

 昼食を取った後、幾坂池のほとりを歩いて、芸術文化村の臨時駐車場から東乗鞍古墳に向かう。

 

 以前は、別の道から行くのがパターンだったのが、芸術文化村の駐車場が出来て、比較的アクセス楽になったらしい。

 

 駐車場からは柿畑の横を通っていくのだが、この柿畑も古墳であるらしい。

 

 杣之内石塚古墳と名付けられているが、調査がきちんと行われていないため、この小山自体が古墳なのか、この小山の頂上の部分だけが古墳なのか判然としないらしい。案内板等もなく、放って置かれているような感じである。天理市の古墳の多さから言うとこのぐらいの大きさの古墳までは手が回らないのかもしれない。

 

 この古墳の裾を歩いて、竹林の中に入っていく。竹林の中には細い道が出来ており、石室の開口部までは自然と行けるようになっている。

 ただし、古墳の形状等は、竹が繁殖しすぎてはっきりとわからない。地図等を見ると、前方後円墳で、二段築造の二段目に石室が開口しているようである。

 

 石室の開口部には、階段がつけられており、青いビニールシートの下にめざすべき場所がある。

 

 何と石仏の後ろにある開口部は、柵がされており入室することが出来ない。え~、ホンマに入られへんのか。管理は天理教旭日大教会となっているが、交渉しても無理なのかなあ。

 惜しいので、柵の隙間から古墳の様子を撮ってみた。

 

 闇の中に、石棺の底石らしきものが写っているような感じではある。

 東乗鞍古墳の石室については、全長14.6mの右片袖式の横穴式石室であり、中には、阿蘇ピンク石で作られた家形石棺と羨道に近い部分に二上山の凝灰岩製の刳り抜き式の石棺の底石が残っている。

 奥壁の一部が破損しており、そこから大量の土砂が流入していることから、現在は危険だという事で古墳の中に入ることが出来ないようだ。

 内部の模型がなら芸術文化村で展示されていたので、その写真を載せておこう。

 

 見ると奥壁や天井石には巨大な石が使用されており、これからさらに石室が巨大化していく過程のものなのかなと想像される。

 ちなみに石棺の形状からは、6世紀の前半の築造ではないかと考えられている。

 以前、この古墳の内部を写したことがあるので1枚だけ載せておこう。

 

 いつの日か、この古墳の内部を見ることが出来ればいいなあと思う。よく見ると奥の石棺、確かにピンク色しているなあ。

 石室の前から出て、古墳の全容を見るも、なかなかよくはわからない。

 

 竹林となっているので、よくわからない。全長75mの前方後円墳ではあるようだ。この時期の前方後円墳は、あまり形が美しくない。もしかしたら、前方後円墳を作る意義を失いつつあったのかもしれない。

 

 また、発掘調査で後円部の東側と前方部の西側で周濠があったことが確認されている。

 

 という訳で、再び竹林を出て、今度は西乗鞍古墳をめざすことにしよう。

 


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