令和元年5月11日(土)
大和郡山市役所の新庁舎建設工事に伴う発掘調査。ここは郡山城の三の丸にあたる場所である。郡山城については、天正六年(1578)ごろ、奈良を支配していた戦国大名筒井順慶の構築に始まる。その後、豊臣秀長、増田長盛といった豊臣系の大名が入城し、郡山城の大部分がこのころに造られている。
その後、江戸時代になり、本多氏、水野氏などの大名が転封し、享保年間に柳沢氏が入り、幕末に至 . . . 本文を読む
令和元年6月30日(日)
奈良県香芝市にある平野塚穴山古墳の発掘調査があり、前日には、二上山博物館で大規模な説明会があり、その翌日現地公開が行われた。
当日は、雨の降る中、近くの神社で受付をして、隣接する正法寺というお寺で並んでました。こんな雨の降る日あんまり人は来ないだろうと思っていたのですが、豈はからんや、かなりの人が順番を待っておりました。
平野塚穴山古墳は、7世紀後半の終末期 . . . 本文を読む
平成31年2月3日(土)
橿原考古学研究所による小山田遺跡の第10次調査の現地説明会に参加。今回もかなりの人が集まってきていた。
今回も、奈良県立明日香養護学校の敷地内で、校舎の裏側の非常に狭い敷地の中で行われた。
今回の発掘調査の成果は、墳丘の西辺の裾がある程度確定できたこと。それに伴い、東西の幅が、当 . . . 本文を読む
令和元年12月7日(土)
昨年度に引き続き恭仁宮跡の調査現地説明会に参加。これで2度目となる。昭和48年度から始まった恭仁宮跡の発掘調査も今回で100回目の節目となる。
大極殿院跡の発掘調査から始まり、現在は朝堂院区画を中心に調査を進めており、昨年度に引き続き朝堂院区画の北側、大極殿院と接する区画の発掘を行っている。
今回、調査区としては、4区画設けられており、第1・第4調査区が、朝 . . . 本文を読む
泉涌寺の大門を出て、左へ歩いていくと、道の両側に陵墓がある。右手には、守脩親王、淑子内親王、朝彦親王と名前の書かれた制札が建っている。
広大な敷地に、石塔ではなく、土盛りがされた墳丘が三つある。 一番左が、たぶん守脩親王墓で、真ん中が淑子内親王墓、右が朝彦親王墓だと思う。
【守脩親王墓】
【淑子内親王墓】
【朝彦親王墓】
いずれも幕末から明治にかけての . . . 本文を読む