
五つ塚古墳群のちょうど道を挟んで北側の山の麓に円照寺宮の墓所がある。

参道を登ると、宮様の名前が刻まれた石碑が立っている。域内は宮内庁が管理しており、きれいに整えられている。

ここに葬られているのは、江戸時代の天皇、後水尾天皇の皇女文智女王など円照寺の門跡を務めた方々である。文智女王という名を聞いたことがあるなあと思っていたら、修学院離宮と関係のある人であった。もともと円照寺は修学院離宮がある場所に建てられており、後水尾天皇が修学院離宮を建てる際に立ち退いて、この地に移って来たということだ。そういえば、修学院離宮の中離宮でそのような説明があったと思う。

江戸時代、天皇の皇女と言えども、自由恋愛なんぞ持ってほかで、摂関家といった格式の高い家に嫁ぐか、門跡として出家するぐらいの選択肢がなかったとしたら、身分は高いかもしれないけどどこかもの悲しい、哀れな気がする。
さて、その円照寺宮墓のすぐ東に少し小山になったところがあり、よく見ると天井石のような石が見えている。おそらくこれが、円照寺墓山3号墳にあたるのだろうと思われる。

この古墳のすぐ横には村墓地があり、その横にも古墳らしい高まりがあった。

この時、あまり事前準備をせず、現地に行ったのに加えて、現地を探索してから、時間が少し経ってしまって、かなり記憶があいまいになってしまい、しかも写真もあまり撮っていなかった。実際、3号墳は、少し開口しているらしく、石室内の写真ぐらいは撮れたようだ。事前準備は大切だなあと今になって実感する。

円照寺宮墓から、ふたたび五つ塚古墳群や大川池塚古墳を横目に池のある場所から、朱塗りの鳥居があり、この鳥居をくぐり、石段を登って、北へ向かう。

道はちょうどいいハイキング道、もしかしたら、山辺の道の北ルートにあたるのかな?途中、神社の境内を横切り、石仏群を横に見ながら歩くと、円照寺の参道に出た。

円照寺の山門をくぐり、境内に向かうも、少しして立入禁止となり、遠くに寺院の姿を眺めるにとどめる。
境内は、清浄な、厳かな雰囲気を醸し出しており、さすが門跡寺院といった趣があった。非公開の寺院なので観光客もおらず、ひっそりとしていて、好感が持てた。

たしか、このお寺をモデルにした小説を三島由紀夫が書いていたと思う。

この後、祟道天皇陵を探して、参道から北へ里山の中を歩いていくことにする。

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