前回からずいぶんと時間が空いた。特に理由はないのだが、このブログに書くべきことが多すぎて、気分的にいったん話題を外れると戻ってこれないというところなのだろう。 さて、今回は、波小僧から、この妖怪も海にかかわる妖怪のようで、いくつかの話に共通するのは、波小僧が困っている所を助けて海へ帰す、後日照り続きとなり波小僧を助けた者が困っていると恩返しという事で雨を降らせる。そして、波の響きで人々は雨が降る . . . 本文を読む
奈良県下に数ある古墳の内でも到達するのが困難と言われる難関古墳の一つ、奈良県葛城市兵家にある夫婦塚古墳に行ってみた。 まず、起点になるのは、道の駅かつらぎ、ここから夫婦塚古墳にアタックすることになる。 夫婦塚古墳に少し触れると、葛城山系の山中、標高約290mほどのところにあり、7世紀の中頃から後半に造られた横穴式石室を持つ古墳であり、墳形は円墳もしくは方墳で、径12~14mとされる古墳である。 . . . 本文を読む
今回は、近鉄の室生口大野駅のすぐ北側にある向坊1号墳を紹介。 この古墳については、駅のホームからも古墳の姿を望むことが出来る。これだけ駅前にある古墳というのも珍しい気がする。 古墳へは、室生口大野駅を出て、少し線路に沿って西へ向かい、線路の下をくぐって、反対側にすぐ右に曲がると、変電所の前を通って古墳のある広場に出ることが出来る。(はじめこの道がわからなくて、少し北に上がってから、変電所の上 . . . 本文を読む
ブログ内に天皇陵等についての記事が一定数増えてきたのでまとめてみました。 天皇・皇后陵 畝傍山周辺の御陵① ~神武天皇畝傍山東北陵~ 畝傍山周辺の御陵② ~綏靖天皇桃花鳥田丘上陵 畝傍山周辺の御陵③ ~安寧天皇陵・懿徳天皇陵~ 葛城の国の古墳めぐり(御所篇)① ~鴨都波神社・孝昭天皇陵~ 葛城の国の古墳めぐり(御所篇)⑩ ~孝安天皇陵・玉手駅~ 葛城の国の古墳めぐり ⑫ ~北花内大塚古墳(飯豊天 . . . 本文を読む
淳和天皇御母藤原旅子陵から府道142号線に戻り、さらに国道9号線を歩いていくと、樫原廃寺跡史跡公園があり、さらに歩いていくと天皇の杜古墳が道路に面して所在している。 古墳の周りは史跡公園として整備されていた。 「史跡天皇の杜古墳」と刻まれた石標があり、そこから公園の中に降りることが出来る。 天皇の杜古墳というちょっと変わった名称は、かつてこの古墳が、平安初期の天皇、文徳天皇の御陵という伝承に基 . . . 本文を読む
桓武天皇御母高野新笠陵を訪ねた後、陵のある丘陵の前を通っている府道142号線をもう一人の桓武天皇所縁の淳和天皇御母藤原旅子陵に向かって歩いて約30分、ひたすら比較的古くからあるような住宅地の中を歩いていく。周りの風景が急に竹林となり、雰囲気が変わったなと思うと左手に三ノ宮神社と呼ばれる神社があった。その参道の横の細道が、淳和天皇の御母藤原旅子の陵につながる参道である。 三ノ宮神社については、 . . . 本文を読む
春の桂坂古墳群の一般公開を見に行った帰りに、周辺の陵墓や古墳をいくつか見て回った。 桂坂古墳群の所在する場所は、京都市の西京区御陵大枝山町というところで、近年に開発されたニュータウンである。国際日本文化研究センターや京都大学の桂キャンパスも近くにある。 比較的新しい住宅地を抜けると、一気に周りの雰囲気は変わる。京都市といっても、かなり市街地とは雰囲気が違う。普通の少し田舎の風景になる。 小畑川沿 . . . 本文を読む
長慶天皇陵の参道から出て、南に行くとすぐに茅葺き屋根の古民家然としている畳屋さんがあった。 なんとも古風な佇まいに思わずシャッターを切る。 この畳屋さんから、お地蔵さんの辻を右に回り込んでいくと、角倉稲荷神社という小さな社の横、ちょうど長慶天皇陵の裏側ぐらいの場所に安倍晴明墓と伝わる石塔があった。 安倍晴明と言えば、近頃は平安時代最高のヒーロー、おそらく平安時代の人物の中で一番知られている . . . 本文を読む
嵐電の鳴滝駅から、帷子ノ辻駅で嵐山本線に乗り換え、嵐山方面に向かう。嵐電嵯峨駅で電車を下車、南へ少し歩くと右手に長慶天皇陵に向かう参道がある。 参道は結構長い。京都の市街地だとこれだけ長い参道というのはないが、少し外れたところにあるのでこれだけの敷地があるのかもしれない。 ちなみに長慶天皇という天皇はあまり知られていないかもしれない。南北朝時代の南朝の天皇で、後村上天皇から位を譲られたとする . . . 本文を読む
嵐電宇多野駅から文徳天皇陵の最寄り駅鳴滝へ向かう。宇多野-鳴滝間は、春の季節は、桜のトンネルを抜ける光景が見ることが出来るのだが、今回は、残念なことにその時期は過ぎていた。それでも新緑の林の中を抜けていく景色を見ることが出来た。 鳴滝駅に着いた。ここも閑静な高級住宅街が駅の前に広がる。 住宅街の中を西を向いて歩いていくと、参道の入り口に出る。 ここから、拝所までは少し距離がある。 細長い参道 . . . 本文を読む
三条天皇陵からは、西大路を下って、北野白梅町から嵐電に乗って宇多野で下車、光孝天皇陵へ向かう。 宇多野駅を下車、住宅街の中を歩くと程なく天皇陵の参道に出た。 ここも訪れる人もほとんどいない静かな空間になっている。京都も観光客でごった返しているので、こういう空間があるのがありがたい。 私の学生時代は、30数年ほど昔になるが、この辺りの下宿から通っている学生も結構いた。 さて、光孝天皇だ . . . 本文を読む
花山天皇陵から北に向かい、北大路道を渡って、平野通を北上し、二つほど交差点を越えて、左に入ると、三条天皇北山陵が見える。 ここも花山天皇陵同様に閑静な住宅街の中にあり、目立たないようにひっそりと訪れる人もないような様子であった。 三条天皇は、前回に訪ねた花山天皇の弟で、父は冷泉天皇で、母は藤原兼家の娘藤原超子である。 一条天皇の譲位を承けて、寛弘8(1011)年36歳で天皇となった。ちなみに三 . . . 本文を読む
京都の春、ちょうど受験シーズンには多くの参詣客でにぎわう北野天満宮。 かくいう私めも、子どもたちの受験の時は、ここをお参りし、合格祈願のお守りを買い求めたものである。その事もずいぶん昔のことになってしまった。 北野天満宮も、学生時代から通学路みたいな形でよく通り抜けたものだ。 北野天満宮のすぐそばを流れる紙屋川沿いの小径を抜けて学校に通うのがお気に入りのコースだった。 その紙屋川を北へ登って . . . 本文を読む
渋谷向山古墳の前方部の周濠の道を挟んで向かいに上ノ山古墳がある。 渋谷向山古墳が東西を主軸にしているのに対して、上ノ山古墳は、主軸を南北に置いており、渋谷向山古墳と直交するような位置関係に所在している。 そして、渋谷向山古墳の周濠が、前方部の北側がかなり狭くなっているが、航空写真などを見ると、もう少し周濠の幅が広がっていてもよさそうな感じがする。 実際、発掘調査で上ノ山古墳の外堤と渋谷向 . . . 本文を読む
今回から、天理市にある柳本古墳群と大和古墳群に属する古墳を紹介していきたいと思う。 ちょうどなら芸術文化村で「山辺の古墳文化 大和古墳群と柳本古墳群」の企画展が行われており、それの連動企画であるというわけで。 渋谷向山古墳は、ちょうど国道169号線が、古墳のすぐ西側を通っており、非常にわかりやすい古墳である。また、古墳の東側は、古道、山辺の道のルートとなっている。 また、渋谷向山古墳 . . . 本文を読む