第2調査区では、墳丘の裾に沿って足場が組まれており、その上から見ることになる。 ここでは、墳丘の状態が悪いながら、第二段斜面の葺石が少し見つかっている。 次に第3調査区では、第二段斜面の基底石や葺石などが見つかっており、特に、第一段の平坦面に集石遺構なるものが検出されている。これが新聞報道にある小石室と言われるものなのだが、調査員の方の話では、石室と証明しうる遺物等が出ていないので、集 . . . 本文を読む
令和7年3月22日(土) 京都府の向日市にある寺戸大塚古墳。4世紀の前半に造られた全長98mの大型の前方後円墳である。 大正時代に前方部で竪穴式石槨が見つかり、昭和42年に再度行われた発掘調査では、後円部にも竪穴式石槨が発見されている。 そして、現在、近隣にある物集女車塚古墳、元稲荷古墳、五原塚古墳などと一括して乙訓古墳群として、国の史跡指定を受けている。 乙訓古墳群のこれらの被葬者は当 . . . 本文を読む
令和7年4月19日(土) 道の駅クロスウェイなかまちの主催で開催された富雄丸山古墳の見学会に参加してきた。 この日は、4月の中頃だというのに、夏のように陽ざしがきつく、非常に暑かった。日々の気温の差が激しく、体がなかなかついていかない。 しかも、参加したのが、14時からの昼の部という事で、一番暑い盛り、無理しても午前中に参加すればよかったと後悔することしきり。(笑) さて、肝心の現地見学会、蛇 . . . 本文を読む
令和7年3月2日(日) 大和郡山市に所在する割塚古墳。以前、読売テレビのケンミンショーでも取り上げられたことのある古墳で、新興住宅街の中にデンと居座っているような古墳で、さすが、窓を開ければ、目の前に古墳があるというネタになるだけのことはある。(笑) 割塚古墳は、昭和43年に宅地造成工事に伴い発掘調査が実施されているが、近年、墳丘の土砂等が雨などで流出するような状態になっていることから、墳丘の . . . 本文を読む
令和6年9月21日(土) 池上曽根遺跡は、和泉市から泉大津市にまたがる弥生時代の大規模な集落跡であり、これまで発掘調査において数多くの画期的な発見があった著名な遺跡であり、昭和51年には国の史跡に指定されている。 今回は、令和5年に続く、史跡公園の第2期整備事業に伴う発掘調査とのことだ。 この日は、電車の接続が上手くいかず、現地説明会の始まってから現地に到着してしまった。非常に風の強い日で、風に . . . 本文を読む
令和5年9月18日(祝)
昨年に引き続き唐櫃山古墳の発掘調査の現地説明会に参加してきた。
※昨年度の現地説明会については、こちらを参照→「唐櫃山古墳発掘調査 現地説明会」
昨年の発掘調査では、後円部に付属する造出し状の付属施設が存在することが明らかになっている。
さて、今年度の成果はいかばかりか?今回、参加者が多かったので、一度に墳丘の上に登れないとい . . . 本文を読む
令和5年9月9日(土)
法隆寺の参道沿いにある法隆寺iセンターの駐車場にある舟塚古墳で発掘調査が行われ、9日(土)に現地説明会が行われるという情報が二日前ほどに入った。久しぶりの発掘調査の現地説明会という事で、楽しみにしていた。その間、テレビや新聞等でこの古墳のことが報道されており、「まさか古墳が?こんなとこに」みたいな取り上げられ方をしていたのが印象的であった。
そして、当日、いよい . . . 本文を読む
令和5年1月11日(水)
今年の墳活始めは、和泉市で行われた信太貝吹山古墳の発掘調査の現地説明会。割と小規模な発掘なのでひっそりと開催された。HPでは説明が10時半開催となっていたのに、10時過ぎに着いた時には、説明が始まっていた。実はちょっと早い目に着いたので、付近をぶらぶらしていたのだが、不覚であった。
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令和4年10月15日(土)
昨年度に引き続き、奈良文化財研究所による興福寺東金堂院の発掘調査の現地見学会が開催された。非常にお天気も良く、現地見学会には最高に天候であった。
興福寺の東金堂は、現在建っているのは、応永22(1415)年に再建されたもので、奈良時代、神亀3(726)年に聖武天皇により、元正上皇の病気平癒を祈願して薬師三尊像を安置する金堂として建設されて以来5代目になる。
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令和4年10月23日(土)
土師ノ里駅から府道堺大和高田線を渡って、少し東に行ったところに今回、発掘調査が行われた唐櫃山古墳がある。古墳と隣接してある、コンビニエンスストアから古墳の敷地に入る。現地に着いたときは、ちょうど1回目の説明が終わった時で、かなりの人が集まっていた。
唐櫃山古墳は、市野山古墳(伝允恭天皇陵)の南にある古墳時代中期後半(5世紀の後半か?)に築造された全長59 . . . 本文を読む
令和4年12月10日(土)
古市古墳群を構成する代表的な古墳の一つ、羽曳野市にある峯ヶ塚古墳にて発掘調査の現地見学会があるという事でさっそく現地に行ってみた。
峯ヶ塚古墳について、簡単に記してみると、5世紀末に築造された、墳丘長96m、後円部直径56m、前方部幅74.4m、後円部高9m、前方部高10.8mと前方部が発達した後期の古墳の特徴が表れている前方後円墳である。
二段に築 . . . 本文を読む
令和3年10月2日(土)
昨年度に引き続いて、藤原宮大極殿の北方の調査である。そのため調査区は大極殿の北西部に寄っている。
今回は、昨年度の205次調査で検出された大極殿後方東回廊につながる後殿にあたる建物の有無を探ることを目的として実施された。
調査結果としては、北方回廊と大極殿後方東回廊との間には建物らしきものは確認できず、藤原宮造営時の運河や藤原宮造営以前に造られたと考え . . . 本文を読む
令和2年11月7日(土)
コロナ感染症対策として、毎回のように調査員による全体説明がなく、質問があれば個別対応という形になっていた。僕としては、とりあえずいろんな所で質問攻めにあっている調査員の話を耳をそばだてて聞き入ることにした。
とにかく、こういった生の遺跡を直接見る機会が持てたという事がありがたい。(古い人間なのか、動画での説明ってなかなか味気なくって全く頭に残らない。)
そし . . . 本文を読む
令和元年10月6日(日)
この日3か所目は、藤原宮跡で行われた第200次調査の現地説明会である。さすがに3ケ所目ともなるとちょっと頭の中が混乱気味になってしまう。
しかも、見た目は基壇跡と溝ばかりなので、地味な印象を受けるが、成果としてはこれまで空き空間として考えられていた大極殿の北方に空間を南北に区切る回廊の存在が明らかになったということで、これまで考えられてきた大極殿院の姿が書き換え . . . 本文を読む
令和3年10月9日(土)
まだまだ暑い10月、好天の中で行われた興福寺の東金堂院の門と回廊の発掘調査の現地見学会である。興福寺は、1998年以来、寺領の復元、整備を進めており、この発掘調査もその一環として奈良文化財研究所が調査を実施したものである。過去、何回か発掘調査の説明会には行っており、ブログにも投稿しているはずである。
場所は、現在国宝に指定されている興福寺の東金堂の西側で、調査区 . . . 本文を読む