
どんよりとした曇り空の中、JRまほろば線帯解駅を起点に奈良市の東南部にある古墳探索に出かけることにした。

この辺りは、奈良市とはいうものの、市街地化しておらず、奈良盆地の東部の山並みとその麓に田園地帯が広がる農村的な景観を持った地域である。
そして、古くは、大和の豪族である和爾氏の勢力があった地域と言われている。
まず、手始めに帯解駅から東へ500mほど歩いたところにあるベンショ塚古墳をめさず。

ベンショ塚古墳は、全長77mの前方後円墳で、前方部には工場が建てられておりかなり削平されている様子であり、後円部には森常稲荷大明神と額のかかった祠が建てられている。その祠までは、剥げかかった朱塗りの鳥居をくぐ流ながら登っていくことができる。また、後円部の周辺には周濠の跡らしきものが残っている。

ベンショ塚古墳については、この稲荷社の改築に伴い、発掘調査が行われており、三つの埋葬施設とその中から、鋲留眉廂付冑や三角板革綴短甲、馬具、鉄斧などが出土している。これらの出土品については、先日天理市のなら芸術文化村で展示されていたのを見てきたところだ。

ベンショ塚古墳については、おそらくこの辺りの首長に連なる人物が埋葬されていたのだろう。ちなみに築造は5世紀の中頃である。

ベンショ塚古墳から東へ向かうとシヅカ塚古墳がある。ベンショ塚古墳からシズカ塚古墳へ至る道は、水田や土塀に囲まれた家、石仏などがあり、昔からの奈良の風景が残っていた。

シズカ塚古墳は、三方を道路に囲まれた古墳で、一辺17mの方墳である。ただ、発掘調査等が行われていないため詳細はわからない。墳丘に接近しても藪のようになっており、中に立ち入ることはできない状態であった。(まあ、中に入ったところで何もないかもしれないが・・・。)

ただ、奈良時代の皇族、知太政官事鈴鹿王(高市皇子の子、長屋王の弟)の墓という伝承があるようだ。ただ、築造された年代が違うので違うとは思う。

この後は、さらに奥にある帯解黄金塚古墳をめざすことにしよう。

※なら芸術文化村の企画展で展示されていたベンショ塚古墳の出土品(鋲留眉廂付冑と三角板革綴短甲 )


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