休日はデジカメ持ってぶらぶらと📷

アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

孔舎衙健康道場跡 ~太宰治「パンドラの匣」

2022-08-27 23:28:56 | 文学をたどる
 近鉄の石切駅から北へ山手幼稚園を過ぎてさらに行ったところに日下新池というため池がある。    別名天女が池とも呼ばれ、春の時期は、桜の名所として地元ではよく知られている場所であるらしい。    この場所を訪れたときは、春も終わりの時期であったか、池の端には桜の花がいくらか残っていた。大正時代には、この辺りには日下遊園地というものが開かれ、温泉や旅館などがあり大いに賑わったらしい。  残っていた桜 . . . 本文を読む
コメント

藤原宮大極殿院の調査(飛鳥藤原第208次調査)

2022-08-15 23:07:11 | 現地説明会
 令和3年10月2日(土)  昨年度に引き続いて、藤原宮大極殿の北方の調査である。そのため調査区は大極殿の北西部に寄っている。  今回は、昨年度の205次調査で検出された大極殿後方東回廊につながる後殿にあたる建物の有無を探ることを目的として実施された。    調査結果としては、北方回廊と大極殿後方東回廊との間には建物らしきものは確認できず、藤原宮造営時の運河や藤原宮造営以前に造られたと考え . . . 本文を読む
コメント

藤原宮大極殿院の調査(飛鳥藤原第205次調査)現地見学会

2022-08-15 14:56:42 | 現地説明会
 令和2年11月7日(土)  コロナ感染症対策として、毎回のように調査員による全体説明がなく、質問があれば個別対応という形になっていた。僕としては、とりあえずいろんな所で質問攻めにあっている調査員の話を耳をそばだてて聞き入ることにした。  とにかく、こういった生の遺跡を直接見る機会が持てたという事がありがたい。(古い人間なのか、動画での説明ってなかなか味気なくって全く頭に残らない。)  そし . . . 本文を読む
コメント

藤原宮大極殿院の調査(飛鳥藤原第200次発掘調査)現地説明会

2022-08-14 00:50:22 | 現地説明会
 令和元年10月6日(日)  この日3か所目は、藤原宮跡で行われた第200次調査の現地説明会である。さすがに3ケ所目ともなるとちょっと頭の中が混乱気味になってしまう。  しかも、見た目は基壇跡と溝ばかりなので、地味な印象を受けるが、成果としてはこれまで空き空間として考えられていた大極殿の北方に空間を南北に区切る回廊の存在が明らかになったということで、これまで考えられてきた大極殿院の姿が書き換え . . . 本文を読む
コメント

おふさ観音の「風鈴まつり」

2022-08-09 23:44:07 | その他
 藤原宮跡のすぐ北側を東西に走る道(たぶんこれが長寿道と呼ばれる道なのだと思う)を西に向かって歩いて、国道165号線を横断して5分ぐらいの所に、観音霊場、ボケ封じなどで知られる通称「おふさ観音」と呼ばれる小さいお寺がある。    十無量山観音寺というのが正式な名称のようだ。歴史は意外と新しく、慶安年間にというから江戸時代だ。この辺りにあったとされる鯉が淵という池に白い亀に乗った観音様の姿を見つ . . . 本文を読む
コメント

藤原宮跡の「ハスハナ」

2022-08-07 23:01:28 | その他
 先日、藤原宮跡で発掘調査の現地見学会があり、そのついでというわけでもないが、同じ藤原宮跡にある蓮池の蓮の花が満開だという話を聞きつけ、折角の機会なので行ってみることにした。    藤原宮については、飛鳥時代の後期、持統、文武、元明の三代の天皇の宮域であり、大極殿の基壇(通称大宮土壇)として残っている。  発掘調査の結果、東西925m、南北907mの宮域に各辺に三門を開いた大垣で囲まれて、宮 . . . 本文を読む
コメント

天理市北部の古墳をあるく③ ~赤土山古墳~

2022-08-04 23:11:25 | 史跡を歩く
 和邇下神社の杜を出て、農村的な雰囲気から一転住宅街の中に入っていく。山に近づいていくせいか少しづつ傾斜がきつくなってきた。  そうこうしているうちに赤土山古墳の姿が見えてくる。    赤土山古墳は、東大寺山丘陵に位置する古墳で、東大寺山古墳、和邇下神社古墳などとともに東大寺山古墳群を形成している。  全長106.5mの二段築造の前方後円墳であるが、古くは前方後方墳とも言われていた。数次に . . . 本文を読む
コメント

天理市北部の古墳をあるく② ~和邇下神社古墳~

2022-08-01 23:46:16 | 史跡を歩く
 櫟本墓山古墳から、国道169号線に出ると目の前に和邇下神社の朱色の鳥居が見える。鳥居をくぐって参道を歩いていくと徐々に周囲の景色が変わってくる。市街地から一気に農村に変わっていくのである。  ものの5分も歩くと左手に、歌塚と呼ばれ、柿本人麻呂像となぜか蛙の石像が置かれているところがある。    言い伝えによると、柿本人麻呂の遺髪を埋めた場所とも伝えられる。    人麻呂像の傍に何故蛙がうじゃうじ . . . 本文を読む
コメント