追手門学院大学をいったん出て、大学の敷地と住宅街の間の細い道をフェンス沿いに5分ほど歩くと右手に突然大織冠神社と書かれた大きな石碑と鳥居が建っていた。
ここから将軍塚古墳へは、この石段を登っていかないといけない。この石段が結構きつかった。この石段の途中、小さい鉄の棒のようなもので作られた鳥居が建っていた。あまり見かけない、なんとなく珍しい気がした。
ふうふう言いながら、石段を登って . . . 本文を読む
ある日友人から、茨木市の追手門学院大学内の古墳を見に行かないかというメールをいただき、平日に有休をとって見学にでかめることになった。
追手門学院大学については、これまで全くご縁がなかったので、ほとんど情報がなく、確か芥川賞作家の宮本輝の母校ではなかったかという記憶しかない。確か、私の学生の頃、テレビドラマで「青が散る」が放映されていた記憶がある。読んだことがあるのは「泥の河」「蛍川」「道頓堀 . . . 本文を読む
和泉黄金塚古墳の見学会の終了後、北部リージョンセンターで解散。北信太駅までぶらぶらと歩くことにした。府道30号線を北上していくと、左手にこんもりとした小さな森があった。これが信太貝吹山古墳である。
信太貝吹山古墳は、いつもはフェンスで囲われており、門に鍵がかかっているため、近くで見ることができない。ただ、この日は、見学会にあわせて教育委員会の方が門を開けてくれていた。
墳丘は . . . 本文を読む
数年前になるが、和泉市の和泉黄金塚古墳の見学会があり、まだブログにUPしていなかったので、改めて掲載。和泉黄金塚古墳と言えば、ひと昔の古代史の本ではかならずのように取り上げられていた古墳である。昭和20年に森浩一氏や末永正雄氏が緊急調査を行い、短甲や鉄刀、革製漆塗盾などが出土し、昭和25年には、大阪府教育委員会と日本考古学協会の合同調査が行われている。その時には、粘土槨に木棺を収めた埋葬施設が三 . . . 本文を読む
少し前に、近所の神社で夏越の大祓(なごしのおおはらえ)で茅の輪くぐりが行われていた。例年だと、この時期はお祭り等あるのだが、今年度はすべて中止。町内の掲示板に、茅の輪くぐりのポスターが張られており、これまでは気にも留めなかったのだが、今年に限ってはコロナウィルス退散の意味を込めてお参りしてみようと思い立った。
神社の拝殿の前に、ドーンと茅の輪が置かれていた。大人一人 . . . 本文を読む
JR垂水駅から、西へ徒歩で15分ほ歩くと、五色塚古墳の姿が見える。住宅街を歩いていくとちょうど後円部の前に出てきた。
後円部に沿って西側に回り込むと、管理事務所兼ガイダンス施設がある。ここでは五色塚古墳についての知識を得たり、出土した円筒埴輪などが見学できる。
写真では、ガラスが反射してよく見えないが、鰭付朝顔形円筒埴輪や円筒埴輪、勾玉などが展示されている。
鰭付朝 . . . 本文を読む
先日、緊急事態宣言が明けたことを記念して、奈良の長谷寺に紫陽花を見に行った。奈良の長谷寺というと、西国三十三ヶ所霊場の第八番札所であり、古くから「源氏物語」や「枕草子」などの古典文学の舞台として知られている。
また、花の寺としても知られ、桜やぼたん、紫陽花などの名所としても知られている。ちょうど、緊急事態宣言(3度目)が明けた時が、紫陽花の季節でもあったので、一路、近鉄電車に揺られて長 . . . 本文を読む