与楽鑵子塚古墳から寺崎白壁塚古墳に至る道筋は、これまでいくつもの古墳を見てきた中でも、かなり上位に来るお気に入りのルート。今回も竹林の中をくぐっていくぞと意気込んでいくと、そこには目を疑うような光景が・・・。
何と竹林が綺麗に伐採されて、寺崎白壁塚古墳まで素通しになっているではないか?一瞬、我が目を疑ったが、この状況は疑うべくもない。なんたることか、あまりの暴力的な光景に立ちすくむしか . . . 本文を読む
益田岩船から令和の古墳として有名になった牽牛子塚古墳に抜ける道、はじめは竹林を、次第に雑木林の中を歩くようになった。思ったよりも山深い道で、倒木などもあり、あまり使われていない道なのかもしれない。2、30分ほど歩くと、イノシシよけのゲートがあり、それをくぐるとちょうど牽牛子塚古墳の裏側に出た。
ピカピカのピラミッドのような牽牛子塚古墳を横目に、与楽カンジョ古墳をめざして歩く。途中、 . . . 本文を読む
沼山古墳から少し道を戻って、今度は益田岩船への登り口に到着する。登り口には、益田岩船についての解説板が立てられている。ここからの登り道は、意外ときつい。はじめは階段になっているので、すいすいと登っていくが、しばらくすると急坂の山道になる。ここで何とこれまでお世話になった橿原市の職員の方と偶然出会う。せっかくなので様子を見に来たとのこと。これからの予定を話すと健脚ですねえと笑っておられた。まあ、世 . . . 本文を読む
小谷古墳から今度は、貝吹山の山麓を南の方向に下る。途中、史跡益田の岩船への登り道があるのだが、まずは、次の目的地、沼山古墳をめざす。この日は、小谷古墳同様に、普段施錠をされている古墳の扉を開けてもらうことになっている。ただ、小谷古墳で、かなりの時間滞在したので急がないといけない。
益田の岩船への案内のすぐ横に、奈良県の子ども総合支援センターがあり、そのすぐ前にある白橿近隣公園内に沼山古 . . . 本文を読む
奈良県の橿原市の南部、高取町との間の越智丘陵に貝吹山と呼ばれる標高200mほどの低山があり、その山頂には中世、貝吹山城と呼ばれる山城が築かれ、また、その山麓には、小谷古墳や沼山古墳など多くの古墳が築かれている。今回は、その東側斜面にある古墳を中心に巡検していくことになった。
しかも貝吹山周辺の古墳のうち、通常は鍵がかけられていて石室の中に入室できない古墳のいくつかを、特別に入室させてもらう機 . . . 本文を読む
遂に目的地、大阪は阪急淡路駅に到着、最終章である。
高槻市、茨木市で散々迷ったあと、府道14号線(大阪高槻京都線)に合流。正直、北摂の方は全く土地勘がないので、方角の基準が全くわからない。だいたいいろんな河川を越えてきたが、それが全くどの方向に流れているのか皆目見当もつかなかった。考えりゃGoogleマップだけを頼りに京都から大阪の淡路までは自転車で走ろうというのも無謀と言えば無謀だわな . . . 本文を読む
いよいよ大阪というところで、国道171号線が歩道がないということで、ちょっとだけ迂回ルートを取ることにした。阪急京都線の大山崎駅を越えたあたりで、離宮八幡宮という神社の前を通る。
あれ、ちょっと聞いたことがあるなあと思って立ち寄ってみる。製油発祥の地という石碑を見て、なるほど離宮八幡宮は、大山崎油座という油売りの専売特許を持っていたのかあ。あっ、そういえ . . . 本文を読む
いよいよ雅な平安京から離れ、国道171号線、通称西国街道をひた走る。西国街道は、京都から下関迄続いており、律令時代に整備された山陽道とほぼ重なるのだそうだ。
西国街道を遠くに見える日本電産のビルを目標に走る。そして、京都市南区、向日市、長岡京市を縦断。その間一級河川である桂川を渡る。
時期的に、ちょうど河川敷一面には菜の花が黄色い花を咲かせており、春の訪れを感じさせて . . . 本文を読む
島原を抜けて、さらに千本通を下る、すると市電が置かれている公園を見つける。ここが梅小路公園。最近は、鉄道博物館などが出来て、京都の新しい観光スポットとして老若男女問わず賑わっている。
静態保存されている市電に乗るなどして休憩。実際に市電に乗った記憶は、少しだけある。たぶん、小学校の低学年ぐらいの頃。記憶にあるのは、この市電、広軌1形車。ちなみに市電 . . . 本文を読む
京都の大学を卒業した娘の引っ越しの手伝いに上洛。ついで自転車も引き上げないとなということで、京都から大阪まで自転車で行ってやろうと計画。ちょうど娘の住んでいたところは、かつて平安宮の中心施設大極殿があった場所に隣接している。ついでに平安京の南北の大きさも体感してみようと思い立ち、朝11時、平安宮大極殿跡を出発した。
まずは、大極殿跡から、昔の平安京の朱雀 . . . 本文を読む