JR二条駅を降りて、駅の前を南北に通る千本通を少し北へ上がると道路の左側に朱雀門跡を示す石碑が立っている。
朱雀門は、平安京の大内裏を造営した時に造られた十二門の一つで、朱雀門に南には、幅約70mもある朱雀大路が羅城門まで続いていた。ちなみに朱雀大路は、現在の千本通にあたる。
その朱雀門は、幅47m、奥行き14mもある朱塗りの柱で造られた壮大な楼門であったと言われている。平安宮の正 . . . 本文を読む
京都は、千本出水から出水通を西へ、ちょうど千本通と七本松通との中間にあたる場所にある石材店の横の小さなスペースに「宴の松原」と刻まれた石碑と京都市が建てた説明板が立っている。
宴の松原というのは、あまり聞かれない名称であるが、これは平安京が造営されたときに、大内裏の西側、豊楽院の北側にあった空間地で、南北約430m、東西約250mの広さがあり、平安京しか見られない空間である。
近くにある . . . 本文を読む
観光客でにぎわう京都三条通り。アーケードのある通りを越えて西へ向かうと、麩屋町通りとの交差点の少し手前の雑居ビルの外部にある階段の下に何やら由来のありそうな石が一つポツンと建てられている。石の左側には弁慶石と書かれた石碑が立っている。
この何の変哲もない石であるが、どうやら源平合戦で名高い武蔵坊弁慶と因縁のある石であるらしい。調べてみるとこんな話が伝わっている。
武蔵坊弁慶は、幼少の頃三 . . . 本文を読む
京都は三条通りのもう一本南に六角通と呼ばれる東西の道があり、烏丸通とほぼ交わる場所に西国三十三ヶ所の札所六角堂(頂法寺)がある。六角堂の通称名は、頂法寺の本堂が六角形をしていることから、この名が一般に広まったものである。
頂法寺こと六角堂の創建は、飛鳥時代、聖徳太子と関連すると言われている。聖徳太子の念持仏であった如意輪観音に、物部守屋との戦いに勝ったならば、四天王寺を建立すると先勝祈 . . . 本文を読む
藤井寺駅から北西へ1.5kmほど歩くと、住宅街の中に、島泉平塚古墳と島泉丸山古墳が一体となって造られた雄略天皇陵がある。
ちょうど拝所の裏側の少し盛り上がった場所が島泉平塚古墳だと思われる。よく観察してみると陵墓内の森の中にも盛り上がっている場所とそうでない場所がある。この感じは、橿原市にある垂仁天皇皇子倭彦命墓として宮内庁が管理している桝山古墳と似ている。
島泉平塚古墳については . . . 本文を読む