今回は、御所市の古墳をいくつか見て回ろうという事で、JR御所駅で下車。
初めてのJR御所駅下車である。意外と大きい駅で驚き。駅舎が、木造でなかなか渋い。いい感じである。御所駅でこうやって残せるんなら、JR畝傍駅の駅舎も何とか残してほしいと思う。(ちょっと話がそれたな。)
駅舎自体は、明治29(1896)年に建てられた開業当初のものであるらしい。JRの旧国鉄時代の駅舎は、やっぱりその街の玄関口という感じで非常に重厚な趣があっていいなあ。明治時代の建築、あるいは産業遺産として、後世に残していった欲しい。
さて、駅を出たあと、南に向かい、柳田川に沿って歩くと、国道24号線に出た。柳田川の堤には、桜の花がまだ残っており、樹の隙間から葛城山が見え、春らしいいい景観となっていた。
国道24号線を南下。しばらく歩くと鴨都波神社の参道が右手にある。
結構、鎮守の森が深そうで、静謐で森閑とした感じであった。
鴨都波神社は、社伝によれば、崇神天皇のころ、大田田根子命(大国主命の子孫で神君、鴨君の祖先とされる)の孫である大賀茂都美命が創建したと伝えられている。祭神は、事代主命と下照姫命で、葛城氏、鴨氏によって祀られた神社である。
この鴨氏は、後、京都に移り、上賀茂神社、下鴨神社といった神社を創建することになる。
この鴨都波神社の地下には、弥生時代中頃の遺跡が眠っており、鴨都波遺跡と呼ばれている。かなり古くから人間の活動の場となっていたのであろう。
ちなみに、高鴨神社(上鴨社)、葛城御歳神社(中鴨社)に対して、下鴨社と称されてるらしい。
ここで、今後の旅の安全を願い、拝んでおいた。
次は孝昭天皇陵へ向かう。
孝昭天皇陵の東隣には、孝昭天皇陵の域内に孝昭宮という小さな社があった。元は孝昭天皇陵の域内にあったらしく、文久の修陵の際に、東隣の場所に移って来たそうだ。
孝昭天皇については、父と母のことしか古事記や日本書紀には記述されておらず、欠史八代のうちの一人であり、その実在性も疑われている。
桜も散り始め。風にそよいで花びらがちっていくなあ。
さて、孝昭天皇陵だが、地形の関係だろうか、正面から拝所を見ることが出来なくなっている。陵自体は古墳ではなさそうで、独立した小丘陵で、その大部分を玉垣で囲んで陵域としているようである。ただ、遺跡地図を見ると、一つ円墳があるようだ。
他の欠史八代とされる天皇のうち、3代の安寧天皇から8代の孝元天皇に至るまで、同じように丘陵の一部を天皇陵として治定している。このことだけでも、この辺りの天皇の記述は怪しいのがわかるというもの。
この後は、再び国道24号線に戻ってから、蛇穴(さらぎ)という集落を通って、室宮山古墳へ向かうことにしよう。
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