休日はデジカメ持ってぶらぶらと📷

アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

古市古墳群をあるく(藤井寺市編) 番外編 ~国府遺跡、衣縫廃寺~

2016-05-24 01:37:47 | 史跡を歩く
 市野山古墳の陪冢にあたる衣縫塚古墳から北へ向かうと志貴県主神社がある。    この辺りは、古くは志紀郡と呼ばれており、志貴県主と同族の志貴首一族であったと伝えられる。県主というのは、大化の改新以前の地方の行政組織であり、国の下位に属していたと考えられている。志貴県主については、古くは古事記に雄略天皇が河内の国を行幸したときに、志機の大県主が、天皇の宮と同じように、家の屋根に堅魚木を上げている . . . 本文を読む
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奈良国立博物館 「国宝 信貴山縁起絵巻 ~朝護孫子寺と毘沙門天王信仰の至宝~」展へ行った!

2016-05-22 00:59:34 | 博物館へ行こう
 今、奈良国立博物館でやっている特別展「国宝 信貴山縁起絵巻 ~朝護孫子寺と毘沙門天王信仰の至宝」を見に行ってきた。朝、電車の連絡がうまくいかず博物館に着いた時は10時過ぎ、ちょっと出遅れたかなと博物館にてチケットを購入し、中に入る。2階に上がっていくとすでに長蛇の列。作品を見るまでには、30分待ちとのこと。後ろからで良ければ、先に通してくれるのだが、信貴山縁起絵巻を見るために来たのだからここは当 . . . 本文を読む
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仏果を得ず

2016-05-15 07:35:26 | 読書日記
 「仏果を得ず」  三浦しおん 著 双葉文庫  少し前に、ずっと本屋さんで「大阪の本屋さんがおすすめする本」ということで平積みになっていて気になっていた1冊。取り扱っている題材が文楽ということで、ちょっと躊躇しておりましたが、読んでみると結構、作品の世界にすっぽりとはまってしまった。  文楽については、高校の時に、日本橋にある国立文楽劇場に、高校の課外授業の一環で見にいったことがある。この本にも . . . 本文を読む
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古市古墳群をあるく(藤井寺市編)⑩ ~松川塚古墳・その他~

2016-05-13 00:33:00 | 史跡を歩く
 土師の里駅から、藤井寺市にある古墳の中で足を踏み入れていない松川塚古墳を見に行くために、南へ向かう。土師ノ里駅の前には仲津山古墳の陪冢と考えられる鍋塚古墳がある。前回、訪問したときは、階段にロープが張られており、墳丘に登ることができなかったが、この日は、ロープもなく、墳丘に登ることができた。登ったからといって埋葬施設が見れるとかいう訳でもないのだが、コフニストの性なのかつい墳丘に上がってしまう。 . . . 本文を読む
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古市古墳群をあるく(藤井寺市編)⑨ ~唐櫃山古墳・衣縫塚古墳~

2016-05-09 00:03:24 | 史跡を歩く
 近鉄土師ノ里駅の前を東西に走る府道堺大和高田線を越えると工事中のフェンスが建っている。フェンスには「百舌鳥・古市古墳群を世界遺産に!」というスローガンが書かれている。現在、堺市、藤井寺市、羽曳野市を中心に「百舌鳥古墳群」と「古市古墳群」を世界遺産に登録しようという動きがある。正直、両古墳群を構成している古墳のかなりの部分が破壊、消滅している中で遅きに失するという気持ちもあるが、それでも今かろうじ . . . 本文を読む
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天王寺界隈を歩く③ ~口縄坂と源聖寺坂~

2016-05-06 00:39:05 | 文学をたどる
 家隆塚からしばらく北へ歩くと、「夫婦善哉」で知られる織田作之助の文学碑がある。引用されているのは、織田作之助の「木の都」の一節である。せっかくなので原文を引用してみる。  「口繩坂は寒々と木が枯れて、白い風が走つてゐた。私は石段を降りて行きながら、もうこの坂を登り降りすることも当分あるまいと思つた。青春の回想の甘さは終り、新しい現実が私に向き直つて来たやうに思はれた。風は木の梢にはげしく突つ掛 . . . 本文を読む
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早朝の奈良 ③ ~般若寺周辺~

2016-05-05 00:26:54 | 史跡を歩く
 東大寺転害門の前を南北に通っている道は、「京街道」と呼ばれ、大和の国と山城の国を結ぶ古代からの街道である。転害門から京街道を北へ向かって歩いていくと、佐保川を越えた辺りから急に坂がきつくなる。少し行くと北山十八間戸と呼ばれる建物があり、その建物の三叉路を左側に行くと建物の間に、夕日地蔵と呼ばれる石仏が建っている。    この石仏は、永正6年(1509年)に制作されたという銘が残っており、今か . . . 本文を読む
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早朝の奈良 ② ~大仏殿周辺~

2016-05-02 00:54:18 | 史跡を歩く
 大仏殿を出て、手向山八幡宮へ向かう。途中、参道から右手を見ると、昨年の秋に現地説明会を見に来た東塔院跡の基壇がすっかり埋め戻されていた。(「東大寺東塔院 発掘調査現地説明会」参照)    手向山八幡宮は、紅葉の名所であり、菅原道真が「このたびは幣もとりあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに」と詠んだ歌は、百人一首に採録されており、著名なものとなっている。境内には、菅原道真の腰掛石と歌碑が建ってい . . . 本文を読む
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