コナベ古墳の北側にある航空自衛隊幹部学校の横を通って北へ向かう。この辺りになると、人家も少なくなり、人通りも少なくなる。
道の左側に、仁徳天皇皇后磐之媛命陵の参道がある。
ヒシアゲ古墳は、現在仁徳天皇の皇后磐之媛命の御陵として宮内庁が管理している。この参道は、まっすく拝所に続いていて、景色もいいので、僕の中ではお気に入りの部類である。
この参道に沿って、ヒシアゲ古墳の二重目周濠が残って . . . 本文を読む
ウワナベ古墳のすぐそばにコナベ古墳があり、二つの古墳の間は狭いところでは、50mもないほどである。しかも現在は、この狭い場所の北側には航空自衛隊の施設がある。
佐紀盾列古墳群の特色とも言えるかもしれないが、西群の、佐紀陵山古墳や佐紀石塚山古墳、佐紀高塚古墳と同様に、ウワナベ古墳、この後、探索予定のヒシアゲ古墳と一緒に狭い場所の犇くように大型古墳が築かれている。同時期の古市古墳群や百舌鳥古墳群 . . . 本文を読む
境目谷古墳から住宅地の中を歩いていくと、JR奈良線に差し掛かろうかというところに、一体が藪のようになった場所があった。周囲を鉄条網で囲われていて立ち入ることができないが、どうも前方後円墳らしい墳丘が見える。
奈良県の遺跡地図によると、全長56mの前方後円墳であり、ウワナベ古墳のい号陪冢として宮内庁が管理をしている。ただ、ウワナベ古墳からは、少し距離があり、間には現在JR奈良線が走ってい . . . 本文を読む
黒髪橋から、西へ少し行くと、黒髪山稲荷神社と呼ばれる小さな神社がある。神社のあるあたりを黒髪山と言い、記紀の中にその謂れとされる物語が伝えられている。
垂仁天皇の頃、垂仁天皇の皇后であった狭穂媛は、兄である狭穂彦王が皇位を狙って反乱を起こしたときに、兄の狭穂彦王のもとに走った。その時、すでに狭穂媛は垂仁天皇の子どもを身ごもっており、その子を出産後、垂仁天皇に引き渡すとき、自らも垂仁天皇側につ . . . 本文を読む
元正天皇陵から、県道に戻って元来た道を戻ってくると、コンビニエンスストアとドリームランドの跡地の間に「聖武天皇皇太子那冨山墓」と刻まれた小さな石標がある。
そこから、細い幾分か舗装された、ほとんど人が通らないような道を県道から左に入って登っていくと、途中、眼下にはドリームランドの跡地であった広い空間が見える。さらに登っていくと少し平坦な場所に出る。この道の先には、住宅らしきものが見える . . . 本文を読む
元明天皇陵から元正天皇陵に行くには、一旦県道に出て、反対側、つまり西へ延びる道を歩いていくことになる。
遠くに、元正天皇陵の拝所の小屋が見える。
右手に駐車場があり、その奥に元正天皇陵の拝所が見える。元正天皇陵は、元明天皇陵と違ってトラック等の行き来もなく、田んぼを前にして、ひっそりとたたずんでいる。
元正天皇陵も、元明天皇と同様に丘陵をぐるりと柵で囲んでおり、古墳 . . . 本文を読む
「奈良市北部の古墳をあるく」、第2シリーズというところで、佐紀盾列古墳群の東群及びその周辺の古墳等を訪ねて歩くこととしたい。
まずは、奈良時代の最初の天皇、元明天皇陵を訪ねるところから始めよう。
元明天皇陵へは、県道44号線(奈良加茂線)を北上していくことになる。途中、聖武天皇皇太子那富山墓に入る小径があるのだが、まずは、 . . . 本文を読む
これまでのコースとは別に、平城宮跡の発掘調査の現地説明会に参加した後、平城宮の大極殿の北の方の山々を眺めていると、一つだけポツンと古墳らしき高まりを見つけることができる。
これが市庭古墳と呼ばれる古墳である。一見、円墳のように見えるが、平城宮跡の発掘調査により、奈良時代平城宮を造る際に削平された前方部が検出され、墳丘長253mの堂々たる、巨大前方後円墳であることが判明している。
平城京の . . . 本文を読む
塩塚古墳から北へ行くと、雑木林と言うか、畑地の中にポツンと笹などに覆われて、藪になっている場所がある。
これがオセ山古墳で、マラ塚古墳、ゲンオ塚古墳とも呼ばれることもある。一見、円墳のように見えるが、測量調査、前方部が削平されているとのことで、帆立貝型古墳ではないかと言われている。(奈良県の遺跡地図では、前方後円墳となっている。)航空写真を見ると、古墳の西側に前方部がありそうではある。 . . . 本文を読む
瓢箪山古墳から東へ向かうと、途中で住宅街が一面となっていく。これまでと景色が一変するのでちょっとびっくりした。そうしてしばらく歩くと、左手に、塩塚古墳のこんもりとした森が見える。
古墳に近づいてみると、東側の半分は樹がなく、丸坊主の状態である。そのため、墳丘の形状がきれいに見ることができた。
塩塚古墳は、墳丘長105mの中型の前方後円墳で、周囲を盾形の周濠が巡っている。ちなみ . . . 本文を読む
佐紀陵山古墳の拝所から、南へ佐紀高塚古墳の前方部を右手に見て、佐紀陵山古墳の南にある八幡神社を周って、今度は、瓢箪山古墳をめざして北上していった。
途中、竹藪があり、のぞき込んでみると、濠のようなものと地面の高まりが見えるため、これが猫塚古墳かと思って何枚か写真を撮ってみて、その後、Googleマップで調べてみると古墳ではなく、超昇寺城という戦国時代の筒井氏が造った城の跡であることがわかった . . . 本文を読む