
昼食を取ったコンビニから、帯解黄金塚古墳のある丘陵地に戻る途中、妙な建物を見つけた。何じゃろと思って近寄ってみてびっくり!
何とモーモーと鳴く、牛さんを発見。こんな平野部の隅に牧場もどきがあるとは、恐るべし。

しかも、この牛の飼育ハウスについては、詳細は不明。もしかしたら、もう消えてなくなっているのかもしれない。春の日の幻かな。
先ほどの丘陵地を越えて、さらに東の方へ向いて歩いていくと、御霊神社の鬱蒼とした森が見える。

今回は、そこはスルーして、東へ向いて歩いていくとため池のほとりに木で作られた万葉歌碑が立っている代の天皇、元正天皇の御製の歌である。「あしひきの山行きしかば山人の朕に得しめし山つとそこれ」と書かれている。

この歌碑が立てられている池を見ると池の南端に築島のようなものがある。なんとこれが古墳で、大川池塚古墳と呼ばれており、直径4mほどの小さな円墳である。

歌碑の横にあった説明板によると、古墳の周濠を広げて、このため池が造られたようである。古墳の上には弁天様を祀った祠が建てられており、古墳に使われたのではないかなと思うような石が手水鉢などに再利用されていた。古墳の周濠を広げてため池を作るというのはよくある話ではあるが、ここまで極端なのもあまり見ない気がする。廂を貸して母屋取られるといった感じか。

ちょっとした珍八景ではあると思う。


古墳から、元の道に戻って谷沿いを歩いていくと、道に沿っていくつか土盛りが並んでいる。これが五つ塚古墳群と呼ばれるもので、円墳、方墳、円墳、方墳、円墳と順序良く並んでおり、円墳が古墳時代後期、方墳が終末期の築造と言われている。

それぞれの古墳が横穴式石室を持っているのだが、残念なことにすべて、埋められていて、石室内に入ることはかなわなかった。かつては開口していたらしい。

せめて、五つ並んでいる全体を写してみたいという欲求にかられ、古墳の南側に開墾されている田んぼの畔からチャレンジしてみた。たぶん、五つ全部入っているはずである。いかがであろう。しかし、かなり畦道が悪く、ぬかるんでいたため、靴がドロドロになってしまった。


この道をさらに奥に行くと七つ塚古墳群、山村廃寺などがあるらしいが、見つけきれなかった。
この後は、五つ塚古墳群の道を挟んで向かい側の丘陵にある円照寺墓山古墳を探すことにした。
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