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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

章説・トキワ荘・春

2014-06-23 07:14:02 | 読書日記
 章説・トキワ荘・春
 石ノ森 章太郎著 風塵社

 ちょっと前になるけど、大阪歴史博物館で「マンガの力」という展覧会を見てから、マンガの黎明期に、手塚治虫をはじめ、本書の著者である石ノ森章太郎や赤塚不二夫、藤子不二雄などがキラ星の如くマンガ家が集まってきたトキワ荘に興味を覚え、古書店を回って手に入れたのが本書である。
 本書は、「トキワ荘の青春」という書名で講談社文庫として出版された回想録に、マンガ「トキワ荘物語」を加えて再刊されたものである。 

 本書は、1981年 NHKで放送されたドキュメンタリー「わが青春のトキワ荘」に触発されて書かれたもののようである。(このドキュメンタリーのメインは森安なおやだったような気がする。)トキワ荘というのは、1950年ごろ~1982年まで東京都豊島区にあったアパートで、手塚治虫が居住したのを皮切りに、藤子不二雄や石ノ森章太郎、赤塚不二夫、寺田ヒロオなど、マンガ黎明期を支えたマンガ家たちが集まっていたことで知られたアパートであった。
 石ノ森章太郎は、本書を自身のお姉さんの死から回想を始めている。そして、最後の「光と影」の章でも、姉の死について細かく触れている。そういえば、石ノ森章太郎のマンガに出てくる女性は、何となくお姉さん的な女性であるような気がする。ずっと石ノ森章太郎の作品に影を落とし、作品の中に生き続けていたのかもしれない。

 そして、上京直後の食あたりで中毒を起こした話。映像化するなら、この場面から始めたいなあ。本書を元に作られた映画「トキワ荘の青春」はどんな始まりなんだろう。

 トキワ荘には、多くのマンガかが集まったが、どうやら自然に始まったわけではないようだ。出版社が発掘したマンガ家の卵をトキワ荘に連れてきて住まわしたようで、売れっ子作家が多く出て来たのも必然と言えそうである。

 トキワ荘に集まったマンガ家は、寺田ヒロオを新漫画党を結成し、切磋琢磨していくわけだが、この新漫画党のメンバーの交流を中心にエピソードが語られていく。色気も金もないが、夢だけがあったというフレーズを地で行ったような青春群像が描かれていく。夢をかなえて売れっ子作家になっていくもの、夢に破れていくものなど様々だ。夢をかなえたものも、理想と商業主義のはざまでジレンマに揺れる。売れる漫画と描きたいマンガのはざま。そうした中で、寺田ヒロオは、マンガを書かなくなったし、石ノ森章太郎は、いったん日本から海外へ逃亡する。

 何とも厳しい世界だなあ。描きたいことと売れることが一致すればいいのだが、なかなかそういう訳にもいかない。どこで現実と折れ合うのか?折れ合っていかなければ、生き残っていけないのだ。なんともはや・・・。
 
 現在のマンガは、今や、日本の文化の中心的な存在になっている。サブカルチャーであった時代から、主流になり、世界にも輸出されようとしている。マンガは、様々なジャンルに拡散していっている。子どものおやつから大人も含めた主食とでも言えるようなものになっている。だけどなんか中身が薄くなっているような気がするのも事実である。

 マンガの神様は、太っているのだろうか?見かけだけが豪華だが、実は貧相となっていないだろうか。

 トキワ荘も、売れっ子作家になったもの、夢かなわなかったもの、みんなそこから出ていく。石ノ森章太郎がトキワ荘にいた期間は6年だそうだ。この期間は、胎動期とも言える期間であったのかもしれない。

 しかし考えれば、手塚治虫、石ノ森章太郎、藤子不二雄等のマンガにどれだけ夢や希望やわくわくとしたものをもらったのだろう。確実に僕の人格の一部を作っている。生まれながらに、マンガ、そしてアニメに漬かることのことのできた世代である。マンガを買うことも読むことにも、自由であり、場合によっては学校の図書館でも読めたのである。これだけ一つの文化を享受できたのである。ありがたいことだ。

 
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