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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

カント先生の散歩

2016-08-13 12:23:30 | 読書日記
 カント先生の散歩
 池内 紀著 潮文庫

 ドイツ古典主義哲学の大家、イマヌエル・カントの生涯を描いた伝記風のエッセイである。カントについては、この本の初めの方に出てくるのだが、カント哲学を代表する著作として「純粋理性批判」「実践理性批判」「判断力批判」が三部作として著名であるものの、第1作目の「純粋理性批判」を読もうとして、最初の数ページで挫折する旧制高校生が多かったという話が出てくる。北杜夫の「どくとるマンボウ青春記」にも、カントにまつわる旧制高校生の話が出ていて、旧制高校に入るとすぐさまカントを読んだものの、「神明にかけて理解できず」それでも、友人と議論をする時はカントいわくを振り回していたという話が出ている。また、カントよりも哲学的な旧制高校生なんて表現も出てくる。(読み返してみると、北杜夫ではなく、芥川龍之介が言い始めたみたいだなこの表現。)
 そういえば、私も、旧制の高校生ではないが、哲学の講義を取っていた関係で、デカルト、カント、ヘーゲルぐらいは読まないとなあと魔が差し、「純粋理性批判」を購入するも見事に数ページで挫折。今も本棚の中で眠っている。でも、こういう気分を少しでも味わえた大学時代というのもいいものである。
 
 話を少し戻して、カントがいた時代を年表で書いてみるとこんな感じになる。

 1724年 出生
 1747年 ケーニヒスベルグ大学を卒業
 1770年 ケーニヒスベルグ大学の哲学教授に就任
 1781年 「純粋理性批判」を出版
 1788年 「実践理性批判」を出版
 1790年 「判断力批判」を出版
 1795年 「永遠平和のために」を出版
 1804年 79歳で死去

 日本は、江戸時代、暴れん坊将軍徳川吉宗の享保の改革が行われている頃である。亡くなった1804年は、年号でいうとちょうど文化元年、化政文化と呼ばれる町人文化が発達した時代である。世界史的に見ると、ブルジョワ革命が世界中あっちこちでおこった時代であり、アメリカ独立革命は、1775年から始まっており、フランス革命は、1789年に起こっている。王政や旧体制にかわってブルジョワ階級が新しく台頭してきた時代である。社会が大きく変動してきた時代である。
 そういった時代にカントは生涯を送ったのであり、新しい思想、哲学が求められた時代であったのである。

 しかし、本書を読んでみると、いつもしかめっ面をして、難しいことばっかり話して、人を寄せ付けないようなイメージが崩れてしまう。社交的な人柄だし、大学の学長や評議員を長期間努めるなど現実社会にもきちんと対応できた人だったのである。大学の哲学教授というと研究室と教室、あるいは自宅との往復のみで、コミュニケーションの乏しいようなイメージを持っているのだが、全くそうじゃないらしい。といってもほとんどカント自身は、ドイツのケーニヒスベルグからは出たことはないらしい。だた、本書によると友人たちからは、外部の情報を十二分に得ることが出来ていたのである。

 カントの三大批判書はさておき、今の社会の情勢の中で、カントが表した「永遠平和のために」は非常に示唆する内容が多いような気がする。日本国憲法の改正として、日本国憲法の前文、第9条に表される平和主義、国際協調主義が、越え高に主張される。日本国憲法が希求続けた世界の平和を論じることなく、憲法改正だけが議論される、奇妙な現実がある。中身を語ることなく改正を叫ぶ政治屋の言動のみがマスコミを報じていて、ポピュリズムによる政治というのはこういうことなのかなあと奇妙に右傾化した世の中を感じる。考えてみれば、僕らの思想形成に影響を及ぼしたであろう中高生の時、まだ、学校の中には、戦争を体験し、教え子を二度と戦場に送らないということを本気で話をしていた先生方がおられた。その当時は、めんどくさいなあと感じていたが、どこか記憶の底に残っている。今の教育現場にはそういった先生はもういない。テレビやゲームでヒーロー化した戦争のみがシミレーションされ、イメージが固定化されていく。
 「戦争のない社会をどうやってつくるのか」もう古いのかもしれないが、いまだに意味を持つ命題だと思う。この命題を希求し、めざしていく姿勢がなければ平和というものは得ることはできないということを、述べているのであろう。国際連合的なものに期待を寄せている。そういえば、今、日本では、国際連合や国際裁判所などの国際的な協調を行っている機関に対して、情報が極めて少ないのはなぜだろうか?
 最後にカントは、「永遠平和は空虚な理念ではなく、我々に課せられた使命である。」と述べている。平和を希求していかない限り、平和は訪れないのである。ウルトラセブンの最終回、地球防衛軍のキリヤマ隊長は、傷ついたセブンを助けるためにこう叫ぶ。「地球の平和は、人類自らつかみ取らなければならない」

 この本を読んでいくと、久しぶりに哲学関係の本でもなんて思うのだが、なかなか根気よく本を読む出来なくなっているので、無理かなあ。ちょっと小難しい本を集中して、時間も忘れて読むことのできたあの時代が懐かしく思えるこのごろである。
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