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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

仏果を得ず

2016-05-15 07:35:26 | 読書日記
 「仏果を得ず」
 三浦しおん 著 双葉文庫

 少し前に、ずっと本屋さんで「大阪の本屋さんがおすすめする本」ということで平積みになっていて気になっていた1冊。取り扱っている題材が文楽ということで、ちょっと躊躇しておりましたが、読んでみると結構、作品の世界にすっぽりとはまってしまった。
 文楽については、高校の時に、日本橋にある国立文楽劇場に、高校の課外授業の一環で見にいったことがある。この本にも出てくるが、ご多分にもれず、あまり興味を持たずに見ていたような気がする。どんな内容だったかも覚えていない。たぶん現地解散だったので友人たちとこの後、どこいこうっていうことばかり考えていたのであろう。この頃の僕は、日本史には興味はあるけれど、近世、江戸時代はも一つだなあと思っていた。大学に入ったときは、中世史ブームで、中世史、古代史、近現代史、に比べて近世史はイマイチパッとしていなかった記憶がある。

 話が少し横道にそれてしまった。「仏果に得ず」も「舟を編む」と同様に、一つのことに長時間にわたって打ち込み若者が描かれている。今回は、文楽の義太夫の世界を窮めんとする若者を、周りがそれとなく助けている。特に、師匠の銀太夫と相方を努める三味線弾きの兎一郎との関係が、突き放すようでいて、それとなく主人公の健太夫の成長を助けている関係がいい。義太夫の頂点を窮めようとすれば、優れた三味線弾きと二人で世界を作り上げていくことが必要なのである。昔、ヒカルの碁で神の一手に近づこうとすれば、等し力を持った2人がいるというセリフがあったけど、同じようなものだなあ。お互いに力を拮抗させて、切磋琢磨してさらなる高みに突き進んでいくということだろう。

 「船を編む」もそうだけど、この小説に出てくる人たちはいい人たちばかり。陰となり陽となり主人公の成長を見届けている。正直、なかなかいないよ。こういう人たち。

 章立ても文楽の演目になっている。そういえば、目次ではなく、演目になっていたな。取り上げられた演目は「幕開き三番叟」「女殺油地獄」「日高川入相花王」「ひらがな盛衰記」「心中天の網島」「妹背山婦女庭訓」「仮名手本忠臣蔵」である。演目の内容が、小説のストーリーとつながっている。小説の題名「仏果を得ず」は「仮名手本忠臣蔵」のセリフから来ているのかな。仏果とは、死後の世界を言うのだそうだが、文楽の主人公は来世を頼んで死ぬことで、自らの世界を完結させる。しかし、対照的に義太夫の世界を窮めるのは生き続けていかなければいけない。つまり来世にはないのである。だから仏果を得ずということなのだろう。

 文楽は近世の民衆が愛した芸能である。忠義なんてものに振り回されている武士の世界というのは馬鹿らしいもんだということを極端な世界観で描いているものが多いようだ。忠義ちゅうもんに努めるがあまり、周りを振り回して不幸に落とし言えれるという人はいてるよなあ。というかほんと同じ職場にいてるんだよなあ。お勤め先が役所なもんで、議会議会っていうて、言うこと聞かないとと熱心になるばかりにそれに振り回されて、本人は周りが見えていないものだから、周りはどんどん変な仕事が増えていく、あるいは本筋からどんどん遠ざかる、しいては市民に迷惑がかかるてな感じかな。こういう人たちが、最近のお騒がせ勘違い議員を作っている一因なんだろうな。

 とはいえ、この小説、面白かった。時間を忘れてのめりこめたし、ちょっとは文楽という奴も機会があれば見てやろうぐらいには思えた。駅のポスターでみると、社会人向けの入門講座というのもあるようだしね。ちょっと近づきがたい伝統芸能、少しはお近づきになれるきっかけになるといいね。
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