4月19日、高槻市北部芥川上流空谷橋付近で有史以前に渡来したのではないかということで学術的にも注目されている野生のモモ(バラ科サクラ属)の花を見ました。(むかごの高槻4月22日記事参照)
9月末、近くを通りかかったおり、その後どうなっているのか気になって立ち寄ってみました。
9月も末というのにまだ青い小さな果実が枝にぶら下がっていました。
モモは、もともと中国北部原産で、中国では古くから栽培され、ペルシャや小アジアを経由して、ギリシャ、ローマへ、さらには地中海沿岸を経て伝わったことから、ヨーロッパではかつてペルシャが原産地と考えられていたため、学名もPurunus persicaなっています。
モモはいつごろ渡来したのか、日本で古事記にも記載があり、最近の発掘では弥生時代、さらにはもっとさかのぼって縄文期の地層からも核が出土した例も出ています。
高槻の野生のモモは、枝の細いことなど形態的な特徴に加えて、秋に熟すること,果実が小さいこと、
核の表面の皺が少なくて低いことなど、各地の遺跡で発見されているものや、日本のほかの地域でわずかに生育している野生とされるモモと一致する特徴を持っています。
果樹として栽培されるのは江戸時代以降で、現在のような大きくおいしい品種は江戸時代になってからといわれています。高槻の野生のモモをかじってみましたが、わずかにモモの香りがするものの、苦い酸味があり、とても食べられるものではありませんでした。
各地の遺跡で出土している、昔のモモが食べられてものか、祭祀用に使われたものか、この青い実をかじった限りではわかりませんでした。
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