むかごの日記Ⅱ

70歳を過ぎてにわかに植物観察に関心を持ち、カメラを提げて、山野を歩いています。新・むかごの日記より引っ越しました。

楠若葉

2020-04-18 10:59:56 | 植物観察記録

新・むかごの日記、むかごの日記Ⅱと約15年間続けた植物関係ブログでしたが、素人の悲しさ、さすがにネタ切れ状態になり怠けていると、いつの間にか2年間も休載になっていました。

最近のコロナ騒ぎもあって、八十路の老爺の安否を尋ねる電話をいただいたりして、申しわけなく思っています。ネットを借りて元気にしていることをご報告いたします。

不要不急の外出自粛で最近はもっぱら近所の散歩でストレスと運動不足解消のこのごろです。

徒然なるままに、主として近所の奥さん相手に、身近な植物の話題をインスタグラムに投稿しています。アカウントをお持ちの方は mukago8897 検索して下さい。

下は最近のインスタです。

公園の一角に時ならぬ紅葉樹が見えました。
近づいてみると紅葉と見えたのはクスノキ・楠の新芽でした。
常緑広葉樹である楠ですが、春になると去年の葉をすっかり落とし、新芽と入れ替わります。
俳句の季語にもなっている「楠若葉」といわれる現象です。

<time class="FH9sR Nzb55" style="background: 0px 0px; margin: 0px 12px 0px 0px; padding: 0px; border: 0px currentColor; line-height: 14px; font-family: inherit; font-size: 12px; font-style: inherit; font-variant: inherit; font-weight: 400; vertical-align: baseline; display: inline; cursor: default; font-stretch: inherit;" title="2020年4月18日" datetime="2020-04-17T22:49:53.000Z">3時間前</time>

 


七草粥(自前で採集)

2019-01-06 11:11:19 | 植物観察記録

明けましておめでとうございます。

気が付けばいつの間にか長い間休載していました。新しい年を機にもう頑張りたいと思いますのでよろしくお願いいたします。

明日7日は七草粥です。

正月7日に摘み取って七草粥に入れる春の七草とは、一般的には左大臣四辻善成が詠んだとされる“せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ”とされています。

花を見るだけの秋の七草に対し、質素とはいえ今も食べられる身近な植物である春の七草の方は、現在そのまま標準和名で呼ばれるのはセリ、ナズナだけであり、また改良された野菜としてはすずなのカブとすずしろのダイコンだけです。このことは、由来のはっきりしている秋の七草に対して、春の七草の風習のおこりや、歴史が今一つ定かではないことに関係がありそうです。 

 日本の書物で正月7日に新しい菜を食べることを最初に記録するのは「皇大神宮儀式帳」(804年)とされますが、ここには菜の数は書かれてなく、7種に定着するのは平安時代で、911年正月七日醍醐天皇から七種菜が献じられたことが一条兼良の「公事根源」(1422年)に載りますが、その七種が何であったかは明記されていません。また枕草子に“七日の若菜”の段に、子供の持ってきた草を“耳無草となんいふ“と笑う記事がありますが、ここでも七草の種類までは書いていません。

鎌倉時代の「年中行事誹秘抄」(1290年代に成立)には、正月最初の子の日に食べる12種の菜を挙げているほか、別に七種の菜“も使われていて、その種類は”薺、繁縷、芹、菁、御行、須々代、仏座“で今の七草粥とは順序が違いますが同じとなっています。正月上子は必ずしも七日ではありませんが、江戸時代に幕府が五節句の一つとして正月七日を式日に定めたことでこれが定着したものと考えられます。 

今ではほとんどすたれてしまっていますが、「七草なずな、唐土の鳥が日本の土地にわたらぬ先に・・・」と囃しながら七草を刻む風習は、中国の古い風習が影響しているのではないかと考えられています。6世紀に成立し中国最初の歳時記「荊楚歳時記」に正月七日の夜は鬼(鳥)が多く渡るので家々は床や戸を打つなどして追い払いました。また同書には「正月七日を人日と為す。七種の菜を以て羹を為る」とあることなどが、わが国でも正月七日の7種の菜を食べて、若菜の息吹、生命力を体に取り込もうとする風習や、七草囃子につながったと考えられます。 

 「年中行事誹秘抄」に始まる七種の菜は現在の七草と一致しますが、順序が異なり、セリから並べられるのは「連歌至宝抄」(1585年)が最も古く、それには“せり、なづな、ごぎょう、たびらこ、ほとけのざ、すずな、すすしろ これぞ七草“とあり、今はおなじものとされる”たびらこ“と”ほとけのざ“が別種として扱われたり、”はこべら“を欠いています。塧嚢抄(あいのうしょう)(1446年)、連歌至宝抄(1585年)、御伽草子(室町時代)などにも現れますが、今は定着している七草も古い諸文献では様々に表現されていて後世の人を悩ませてきました。

 正月七日に食べる七草粥は、新しい年を平和に暮らせることを願い、邪気を払う意味で食する古い風習ですが、今ではこの風習もだんだん薄れてきているというのは淋しいことです。

本来春の野に出て摘むのが春の七種でしょうが、今ではスーパーで七草のセットが販売されているというのも味気なく、中にはホトケノザとして、外来のシソ科ものが入っているとかの悲しい話もあります。

そんな中、我が家では、歩いて5分のところで、野菜となっている大根(すすな)、蕪(すずしろ)以外の50種は自前で摘むことにしています。

写真の左上から時計回りで芹(セリ)、薺(ナズナ)、ごぎょう(ハハコグサ)、はこべら(ハコベ)、ほとけのざ(コオニタビラコ)の5種です。


ハマウド:浜独活(山陰海岸で)

2018-06-12 18:21:04 | 植物観察記録

山陰海岸ジオパーク浦富海岸の岩陰に人の背丈より高い立派なハマウド:浜独活(セリ科シシウド属)の群落があり、大きな花序に沢山蕾をつけていました。

関東地方以西〜沖縄の海岸に生える高さ1〜1.5mの多年草で、茎は太くて暗紫色を帯び、上部で枝分かれします。葉は大型の1〜2回3出羽状複葉で、葉柄の基部はふくらんで鞘状になり、小葉は卵状楕円形で厚くて強い光沢があります。4~6月枝先から複散形花序を出し、白色の小さな花を密につけます。

ウドの名がついていますが、ウド: 独活のウコギ科に対しこちらはせり科です。もっともこちらも食べられるそうです。また、若芽を食用にするアシタバに似てなくはありませんが、アシタバよりはるかに大型でいかつい感じであり、花期もアシタバの秋に対し、ハマウドは初夏、アシタバのように茎を切っても黄色い汁が出ないなど大きく違っています。


ハマダイコン:浜大根(山陰海岸で⑤)

2018-06-11 13:15:33 | 植物観察記録

夕暮れの山陰海岸牧谷海水浴場の草原にハマダイコン:浜大根(アブラナ科ダイコン属)が遅い花を着けていました。

海岸の砂地に生える2年草で、高さは30~70㎝、ダイコンに似ているが根はあまり太くならず、堅くて食べられません。

花期は4~6月、茎の先に直径2㎝ほどの十字形の花を多数つけます。花色はダイコンより濃く、淡紫色をしています。

果実は長さ5~8cmで、種子のところで数珠状に膨れ、水に浮かんで散布される構造になっていようです。

海岸に限らず琵琶湖湖畔などにも群生しているくらいで、全国どこにでも見られる草のためか、何回も見たり、写真を撮ったりしていながら、今までこのブログに取り上げていないことがわかり、夕暮れのおぼろげな写真での初登場となりました。

あまりり見る機会もない日本海側の海浜植物でしたが、太平洋側と何も変わらないのは、少し不思議な感じでした。

 


メマツヨイグサ:女待宵草(山陰海岸で④)

2018-06-10 09:44:27 | 植物観察記録

              メマツヨイグサ

山陰海岸ジオパーク巡りの泊まりは鳥取県岩美町の牧谷海水浴場のすぐ近くでした。夕食をすまして夕景を見ようと海岸に出たときはすでに日没後で、見ているうちに夕映えから黄昏、夕闇と一帯は光を失ってゆきました。暗くなった浜でほのかに浮かび上がっていたのがマツヨイグサの仲間の黄色い花でした。

暗いので仔細はわかりませんでしたが、大きい花はメマツヨイグサ:女松宵草小さい花はコマツヨイグサ:小待宵草(いずれもアカバナ科マツヨイグサ属)と見ました。

               コマツヨイグサ

始めてみる夕闇のなかに浮かび上がる松宵草のほのかな黄花は、なるほど名前にふさわしいと感じさせられていました。


タイトゴメ:大唐米(山陰海岸で③)

2018-06-08 16:57:03 | 植物観察記録

山陰海岸ジオパーク城原海岸にタイトゴメ:大唐米(ベンケイソウ科キリンソウ属)生えていました。

関東地方以西〜九州の海岸の岩上に生え、茎は長く這って多く分枝し、葉は密に互生し、長さ3~7㎜で先は丸くなります。花期は5~7月、茎の上部に濃い黄色の星形の花を3~10個つけます。

大唐米とは小粒の下等米のことで、厚みのある小さい葉を大唐米に見立ててこの名があります。
高さは10㎝足らずですが、海岸の岩場や礫地におおい多年草で、岩に張り付くように広がり、とくに花のころはよく目立ちます。ちょうど今盛りでした。秋には全草赤く色づきます。
タイトゴメと聞いて、あるいは大唐米と読んで、今では下等米と理解する人はまずいないでしょうから、この草は名前での不名誉を免れているといえます。

 

 

 


ハマボッス:浜払子(山陰海岸で②)

2018-06-07 10:47:49 | 植物観察記録

 鳥鳥取県岩美町の城原海岸の岩場の隙間にへばりつくように咲いていたのがハマボッス(サクラソウ科オカトラノオ属)です。

海岸の岩場や崖などによく見られる越年草で、茎は赤みを帯びることが多く、根元でよく分枝して、高さ10~40cmになります。

5~6月茎の先に総状花序をだし、白い花を多数つけます。花は直径1cmほどで、葉のように見える苞の脇に1個ずつつきます。

 果実は直径5mmほどの赤い朔果で、先端に花柱の跡が残り、基部の苞は指輪の立て爪のように見えます。果皮は硬く、熟すと尖った先端の小さな穴から稜のある楕円形の種子を放出しますが、そのあとも枝にそのまま残ります。

 和名は浜払子で、全体の様子を仏具の払子に見立てたというのですが、ぴったりといった感じではありません。

 


ハマヒルガオ:浜昼顔(山陰海岸で①)

2018-06-06 15:38:46 | 植物観察記録

山陰海岸ジオパーク(むかごの高槻参照)を訪れた際、ふだん見る機会がない海浜植物のいくつかに出会える余得がありました。

鳥取県岩美町の城原海岸に咲いていたのがハマヒルガオ:浜昼顔(ヒルガオ科ヒルガオ属)です。海岸に咲く花といえば、ハマナスについで知られているのがこのハマヒルガオです。

海岸の砂に生える多年草で、白く太い地下茎を砂の中で伸ばし広がってゆきますが、他の草木に巻きつくことはあまりありません。丸くて艶のある葉は、酷熱や乾燥など海岸特有の過酷な環境の中で水分の蒸発を防ぐようになっています。
5~6月ごろ咲く花は、葉より長い花柄を持ち、ラッパ状の花冠は直径4~5cmで、淡い紅色です。萼片は5個、オシベ5個とメシベ1個は花冠に納まって付いています。
白い縞の入ったピンクの花は艶やかな濃い緑の葉とよく合って、珍しいほどのナギという日本海の微風に揺れていました。


バイカモ:梅花藻(清流にのみ生きるかよわさ)

2018-06-06 09:29:11 | 植物観察記録

久しぶりの投稿です。

6月2日、急に思い立ち兵庫県新温泉町にある田君川バイカモ公園へ行ってきました。バイカモ:梅花藻は、湧水など、年間を通じて15℃前後の水温が保たれる、浅くてきれいな流水中だけに生えるキンポウゲ科の多年草です。

7年前にあるグループで訪れてその見事さ感銘し、一度妻に見せたいと思っての訪問でいた。近くでは滋賀県の醒ヶ井や高島町針江などが知られていますが、規模は小さく、水面上に出るわずかな花を撮影に苦労するのに、田君川では川一杯に咲いていて驚いたものでした。

期待を込めて行った田君川でしたが、7年前と打って変わって、清流こそ同じですが、バイカモはところどころ咲いているという状況で少なからずがっかりでした。

地元のの古老のお話では、子供のころは何も手入れをしなくても川一杯に咲いていたのが、アシなどが生え茂り一時衰えたのを官民挙げての再生活動で、保護育成が進み復活していたのが、昨年の大雨で流されてしまい淋しくなっているとのことでした。

この多君川のバイカモは、本来は群落の規模の大きいことで抜きんでており、河口からわずか4㎞、標高10mのところに生育していることと併せて学術的にも貴重なものとされています。再び以前の見事さに戻ることを念じながら淋しい水面を撮影していました。

 

下の写真は2011年6月撮影のものです。


オオバヒョウタンボク:大葉瓢箪木(瓢箪にはならない)

2018-03-24 10:11:15 | 植物観察記録

植物園にオオバヒョウタンボク:大葉瓢箪木(スイカズラ科スイカズラ属)が咲いていました。

別名アラゲヒョウタンボクともいわれ、本州の脊梁山脈の山地に多く見られる落葉低木で、高さは1~2mになります。対生する葉は両面ともに毛があり、縁や裏面の脈上、葉柄には開出する長い毛が多くつきます。

この仲間は、真っ赤に熟す果実が2個くっつくので、多くはヒョウタンボクの名がつきますが、オオバヒョウタンボクは2個並んで付き合着はしません。