日比谷同友会 書道愛好会

日比谷同友会 サークル活動

第92回例会(平成25年3月7日)

2013年03月18日 | 例会報告
◇ 先生の講話

1.空海の『風信帖』について

『風信帖』は空海が最澄にあてた手紙3通を巻子本に仕立てたもの。教王護国寺(東寺)蔵。国宝に指定されている。第1通の書き出しが「風信雲書・・・」となっているのでこの巻全体を風信帖という。第2通を忽披(こつひ)帖、第3通を忽恵(こつけい)帖と区別することもある。
  風信帖は巧妙にして変化に富み、筆力があり、高雅である。その書風の根底には王羲之の書があろうが、それに空海の個性が加わり独自の書となっている。空海の書跡のうちで最も優れている。

2.日本の書の源『王羲之』について

中国4世紀の東晋時代に活躍し、『書聖』とも呼ばれる王羲之の書跡は奈良時代に日本に多く伝えられた。それらの多くは聖武天皇の御物であった。正倉院文書に中に王羲之の手紙を臨書したものが収められている。最澄や空海の書跡にも王羲之風のものがある。
  日本独特の書といわれる『和様』も王羲之の書を日本化したもの。中国風がすたれていた平安時代にも王羲之は最も尊重されその書を習うものは絶えなかった。
  和様を書いた最初の人は平安時代の小野道風。その字形は丹精で点画は豊潤にして温雅で、和風の典型と言ってよい。これを王羲之の書と比べると字形も点画もよく似ている。道風は王羲之の書をよく習いそれをもとに和風を書くようになったのである。
 藤原行成は小野道風の書を手本にするとともに王羲之の書も習ったらしい。
  中世、近世には、宋・元・明の書風が流行したが、当時もやはり王羲之が重んじられた。現在も王羲之は最も尊重され、その「蘭亭序」、「十七帖」は手本として用いられている。
  このように王羲之の書は日本の書の源になっており、日本の書は王羲之の書を基盤にして発展したということができる。
  王羲之の書風が日本人の筆の持ち方と側筆の書き方に合うようだ。

3.検定試験課題作品の書き方について

段を取ろうとする人の課題作品の書き振りを見ると、楷書はOKだが、行書、草書はNG。行書は1文字を、草書は全文字を一筆で書くことが必要。一筆で書けないときは、一つ手前の点画に戻ってそこから書き始めると文字の流れがうまくいくので覚えておくとよい。

◇ 実技指導

 講話に引き続き、検定試験課題「遊心」(半紙)、「山河四望春」(条幅)の会員の作品について長時間にわたり、朱書きによる懇切丁寧な添削指導が行われた。

◇ 配布資料

「『風信帖』空海 国宝 教王護国寺」 原稿 小林碧雲先生
「日本の書の源『王羲之』について」  原稿 同

(出席者 8名)  (荻野 記)


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする