ひーさんの散歩道

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アラハバキ神と謎の古代史「記紀」 7  「あらはばきと神社」終り

2009年11月21日 23時29分44秒 | アラハバキ関連

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アラハバキ神と謎の古代史「記紀」4 ヒミコ
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アラハバキ神と謎の古代史「記紀」6

大湯環状列石(ストーンサークル)この記事はここをクリック

アラハバキと謎の古代史はHPにまとめています。ここに記載した記事も説の一つでしょう。 縄文の昔から私たちの古い先祖が守り続けた一つの信仰なのかも知れません。どうぞホームページで確認して下さい。 「あらはばき」

アラハバキの信仰は弥生時代のごく初期、あるいは縄文時代のごく終わりの頃に渡来したものである。
そしてその原点が南アラビヤのヤマン地方にあり、アラハバキの語源は最高の神の意味である。
古代アラビア語の「アラハバキ」からきている。

かつて、中山太郎氏は「アラハバキ神は天孫族が、我が国に渡来する以前に、先住民族によって祭られた神、すなわち地主神である」という鋭い指摘をしたが(日本民族学②大和書房)
それ以上の追求は出なかった。

私も以前そう思っていました、またアラバキ族とかアラハバキ族という言葉も耳にします。
おそらくこの信仰を持っていたものを総称して表していた言葉なのでしょう。
アラハバキ族は和田氏が作ったウソでしたここに訂正します。詳しくは「偽書東日流外三郡誌」
時代が下れば、これも否定はできないと思います。
しかし、ここで述べているのはどこから発生したのかを追求していますので、もっと遡って考えましょう。


南アラビヤからインドへ

南アラビヤからインドに入って住み着いた一団は、その後アーリア系の侵入で森林広野に住んでいたので「アーラヴィ」(林住族)と呼ばれたことが、紀元三世紀のインド・マウリア王朝の宰相カウテリアの著書「実利論」に出てくる。


インドから中国へ

アラハキ神はシルクロード経由で雑密僧によって中国西北部の?奴に入った。
中国本土では三世紀の三国時代(220~280)西域の雑密僧によってアラハバキを含むプレ雑密僧文化が「呉」に入り江南を中心として中国全土に広がった。
8世紀の唐代(618~907)
密教教典の訳出が行われた。
この時代には、音写ではなく義訳による漢訳教典が続々と現れて、「元帥」「大元帥」の形になって行きました。

この漢訳教典は宮廷に設けられた内道場で、?命により秘訳されたということは、皇帝以外には行うことが許されない秘法であったことを物語る。
この時点でアラハバキ神の性格は護法神から国家鎮護の「大元帥明王法」として皇帝独占の秘法へと変わった。
(通常大元帥明王は「帥」の字を読まず「だいげんみょうおう」とよんでいる)


中国から日本へ

9世紀になると中国で漢訳された密教経典や道教と習合した大元帥明王法は遣唐使により日本へもたらされることになった。
小栗栖(オグルス)
承和4年(837)に請来(しょうらい)空海の奏上、仁寿元年(851)以降、朝廷では二つの密教秘法が毎年正月八日に行われた。
一つの「御七日後修法」(ごしちにちのみしほ)と呼ばれ天皇の玉体護持と国家安穏を祈る。
真言密教の秘密法で、もう一つが「大元帥御修法(だいげんのみしほ)」で怨敵、逆臣の調伏、国家安寧を祈る大法であった。

※古語辞典では=「大元帥の法」だいげんーのーほふ
陰暦正月八日から~十四日までの七日間、冶部省(じぶしょう)で国家鎮護のために大元帥明王と本尊として行った大法会(ほうえ)
【栄花】みはてぬゆめ
「大元帥の法といふことは、ただ公(おおやけ)のみぞ昔より行はせ給ひける」
〔訳〕大元元帥の法会ということはもっぱら朝廷だけが昔から行いなされていきた。

空海は真言密教の開祖であるが、梵語・ペルシャ語・アラビア語にも通じ、はるかインド、さらにはアラハバキの原点に指向していたのです。
古代信仰のアラハバキがインドから中国に入り大元明王に変身して皇帝独占の秘密法となったのを見逃すはずはなかった。

当時、仏教は国家仏教で庶民とは縁遠い宗教であったが、渡会氏が外宮を大元尊神とする教理を打ち立てたのと同様に、仏教に組み込まれて外道に落とされたアラハバキ神の本流への復活が狙いだったのでは無いだろうか。

政府間レベルの中国との遣唐使による国友の他に物部氏系や古代アラハバキ信仰を持って弥生初期に渡来した古氏族は、独自のルートをもって中国と交流があり道教と習合した「大元」を知っていたとしなければなるまい。




アラハバキと神社
弥生の初期に渡来した部族の最高神アラハバキの信仰も「記紀」の影響や仏教による変容で、すっかり影をひそめ江戸時代には、何神であるかは不明になってしまった。
わずかに古代氏族が王権の抹殺をのがれるために密かに今日までその伝統を守り続けた。
かろうじて文献のみその名をとどめるか、あるいは、末社で密かに生きつづけるのにすぎない。

神社や寺院にはアラハバキの名こそ消えてしまったが弥生文化といえば稲作と同時に製鉄の始まりであるからアラハバキ神は製鉄とも密接な関係があることを無視できない、草鞋、鉄製下駄を供えたり、目の神様になっていたり、習俗から見て元の神が変容していることを示す、例が数多く発見できる。
それから、多くの本殿や本堂ではなく、末社・摂社に追いやられているので注意したい

※稲作は弥生から・・・という歴史はもう古いです。縄文時代に日本では始まっていたようです。昔は5千年前と言われていて中国が6千年前といわれていたのですが、今は日本の方が中国より古く7千年前と言われているそうです。記事にしようと思っていますが忙しくて・・・

あらはばき神社はどんなところに見られるでしょう。

【青森県】 津軽地方は平安になるまで中央の大和朝廷の勢力が及びませんでしたから、かなり残っているはずですが、あまり発見されていない。
青森市松森=麁脛縢明神社(あらはばきみょうじんしゃ) 現在:松森神社(松森明神)
五所川原市=中山山地の中山修験の霊場・・・かつては古修験の聖地、仏教による変化とともに名前は消えたが、恐山のイタコの信仰とともに最も古い信仰であり、アラハバキと推測
津軽の荒磯神社・洗磯神社・磯崎神社はかつて荒脛巾神社であった。 洗磯崎神社

【宮城県】 私の記事にある岩出山の荒脛社多賀城の荒脛巾神社

【秋田県】 雄勝郡大沢村上法寺山・・・阿良波々岐権現社・荒羽祇神社/仙北郡美郷町 客殿神社/横手市 金峰神社(アラハバキ)/横手市
【岩手県】 「丹内山神社」/花巻東和町

【山形県】 古修験の信仰から出羽三山も可能性がある

【福島県】 会津若松市湊町赤井・・・荒脛巾神社
      あらはばき神社/会津若松・平沢
      田村郡三春町・・・・・・田村大元神社

【千葉県】 市原郡姉ヶ崎町の式内社・姉崎神社・末社に新波々木社がある
      船橋市・・大神宮、古くは音富比(オオヒ=大火か?)神宮と呼ばれていた。その社家は最近まで木更津の富の家筋で、九十九代の系譜があるという。富氏との関係があるという。

【神奈川】 横浜市戸塚区公田町に通称「アラハバキ」と呼ばれる地名があり、高さ80センチほどの石の祠は「アラハバキさま」という。
      厚木市小野の式内社・小野神社末社に阿羅破婆枳神社がある。かつては本殿にあったもの。

【埼玉県】 かなり多くありますので割愛します。氷川神社が沢山あります。その末社が荒脛巾神社又は荒脛社・荒脛巾明神といわれています。    隠されたアラハバキ神の謎 2/川越氷川神社  隠されたアラハバキ神の謎/氷川神社編

【東京都】 江戸城に荒脛巾祠堂があり、大田道観が城神として信仰、のち大元明神に改称している。
      五日市町養沢の門客人明神社「新編武蔵風土記稿」にアラハバキ」と片仮名で訓みをつけている。
      秋川市二宮・・二宮神社末社は、荒脛社である
      などなど。。。

【山梨県】 上都留郡下和井村の百歳山春日神社には地蔵尊の立像アラハバキ二体がある。

【静岡県】 伊豆の三島大社はかつて荒脛社だった。

【愛知県】 宝飯郡一宮町の式内社・砥鹿神社(とがじんじゃ)はかつて4キロほど北にある本宮山(刀鹿の峰)の頂上にあった。現在奥宮として残っておりその摂社が荒羽々気神社がある。

【新潟県】 越後の一宮といえば弥彦神社、その記録によれば神社の一角に「アラハバキ門」がある。

【京都府】 丹後の籠神社の祭神が大元尊神である。

【広島県】 安芸の宮島で知られる厳島神社の地主神は、土地では「おおもとさま」と呼んでいる。

【鳥取県】 東伯町保に大元神社(八幡さま)がある。(神社名鑑)

【島根県】 出雲大社の境内末社に門神社二社があり、出雲大社資料館の彰古館には寛政8年(1668)作成の古社図が展示してあり、門客人社と記載されている。
これは、多賀城の荒脛巾神社の記事の中で門客人の説明をしています。

八束郡千酌の爾佐神社の境外社・荒神社は、通称「お客さん」とか「まろとさん」と言われ、「アラハバキさん」と呼ばれていました。これも多賀城の荒脛巾神社で説明しています。

太田市大森町(旧、邇摩郡大森町字佐摩)の城上神社境内社が大元神社である。 (神社名鑑)
太田市祖式町(旧、邑智郡祖式村祖式)の八幡宮境内社が大元神社である。(神社名鑑)
那珂郡弥栄村木郡賀(旧、杵束村木都賀)の八幡宮境内社が大元神社である。(神社名鑑)
など他に11社ある。

【岡山県】 新見市石蟹に大本神社がある。(神社名鑑)

【愛媛県】 八幡市浜若山に大元神社がある。 (神社名鑑)
      北宇和郡広見町内深田に大本神社がある(神社名鑑)
【高知県】 安芸市赤野に大元神社(旧、大本社・大本明神で大元神を祀っていた) (神社名鑑)

【壱岐】 壱岐郡郷ノ浦町渡良の物部布都神社は社記には阿良波加大明神とある。(壱岐国誌)
     ここには、氏神のアラハカ様に入って漂着したという物部氏の降臨伝承がある。

【大分県】宇佐市の宇佐八幡の奥宮は大元山(御許山)の頂上にあり、大元神社という。

大元神楽舞・大元神楽式の神事がある神社    

大元神楽は石見神楽とも言われる。
出雲の佐陀大社(島根県ハ束郡鹿島町)の神楽をその中心として、出雲全部にあまねく普及し山陰、山陽方面のも広く分布するようになった。


【島根県】
江津市の高倉山八幡宮 (神社名鑑)
邑智郡石見町の賀茂神社(神社名鑑)
邑智郡石見町の大原神社(神社名鑑)
邑智郡石見町の諏訪神社(神社名鑑)
邑智郡桜江町の八幡宮=郡鳩八幡宮(神社名鑑)
邑智郡川本町の三原八幡宮(神社名鑑)
邑智郡瑞穂町の八幡神社(神社名鑑)
那珂郡旭町の市木神社=旧、馬場八幡(神社名鑑)
邇摩郡温泉津町の八幡宮(神社名鑑)

地名・寺院に残るアラハバキ
「和名妙」にはアラハバキの元の発音に近いと思われる、「アラハカ」の郷名が出ている。
武蔵国豊島郡荒墓郷
越前国坂井郡荒都泊郷
常陸国那珂郡荒墓郷

難波四天王の旧地名は荒墓邑といい、四天王の山号は現在でも「荒陵山」(訓読みするとアラハカ)である。
鳥羽市小浜町区内の二見ケ浦沖合にある「飛島」は古くは「阿波良岐島」「淡良岐島」といっていた。


この他にも、アラビア語との関係や日本文化のルーツについて書きたいのですが、長くなりましたので、またいずれ・・この辺でひとまず区切りとします。

最後に、神代文字を紹介します。
秋田物部氏「物部秘史」が未公開のまま、秋田県協和町、唐松神社:名誉宮司物部長照氏に代々伝えられてきたが昭和五十八年に公刊された。
「天津祝詞」の中に「物部文字」が記されていますが、この文字は「アヒルクサ文字」といわれる字体で春日文字とか琉球神道史の中の十二支などにもこの文字の流れを見ることができるそうです。
アヒルクサ文字というのは、伊勢神宮や出雲大社などの由緒ある神社あるいわ旧家に古くから伝わる神代文字の一つのことだが、九州の阿比留家に伝わる文字の草書体と考えられたことから、江戸時代の国学者・平田篤胤らによって「アヒル草文字」と命名された。
本来はアヒル文字とは別個に紀元前に発注した文字で、最近は甲骨文字の草書体ではないかという説もある。



後は小出しに書きたいと思います。
まだまだ、興味深い話があります。

ホームページ「あらはばき」 にまとめています。加筆訂正してあります
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24 コメント

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Unknown (桃源児)
2009-11-22 05:21:59
古代アラビアですか、アラハバキ、遠い所に期限があるんですね。
東北だけなのかと思っていたら全国にあるというのが、驚きでした。
早起きが辛い季節となりました (クロンシュタット)
2009-11-22 06:32:24
ヤマンとはイエメンのアラビア語読みですね。
あの地域はイスラム化される前はユダヤ教が信仰されていました。
インドやトルコやエジプトやエチオピアとも関わりがあります。最近ではアルカイダ。
地理的位置のため、文明の十字路みたいな地域となってきました。
私にとってはポール・ニザンです。

秋田のアラハバキ神社は両親の実家(私の生誕地)のすぐ近くです。
これからは、東京のアラハバキ探りをしてみようかなと思います。


桃源児さんへ (ひー)
2009-11-22 07:19:59
遅くまで起きていたのですね。
本日も仕事の為、今から出勤です。
コメ、ありがとうございます。
私も驚きでありますが。関東や島根が多いですね。
クロンシュタットさんへ (ひー)
2009-11-22 07:32:05
文化や語源のルーツはやはり世界的に考えないとダメですね。
日本語ですら、方言という同類の中にありますが、土地により全く違う言葉を持つのですから、世界的に考えたらかなり違うものになりますが、根源が同じだと流れを引き継いでいる場合もありますね。
奥深い・・・いや、深すぎる。
アヒル草文字 (維真尽(^^))
2009-11-22 09:35:57
なにか~
アラビヤ文字に似てますね (^^♪

荒神さんとの繋がりは
何かあるんでしょう~か (^_-)~☆
コメントが・・・ (酔漢です )
2009-11-22 12:04:48
壮大な仮説と立証。
ブログというよりひー様が論文をお書きになられております。
それにしましても、コメントをお書きになられております皆様も史実をよくご存知でいらっしゃいます。
「ほー」「そうか」「そうだったのか」の連続の酔漢です。
ストーンサークルですが、塩竈小学校時代。
「宇宙人へのメッセージだべ」と結論つけました学級新聞係一同でした。
「イギリスさも秋田さもあんだとっしゃ!」
「空さぁとべねば、不可能だべ」
「ナスカ平原と繫がりがあんでねぇか」
小学生の発想でした・・・。
いーさんへ (ひー)
2009-11-22 17:00:53
この字を見た時は、これが日本語かと驚きました。
信仰とはどのような絡みがあるのかは知りませんが、これが日本語の仮名に変換出来ることはわかりました。それも九州で発生した文字が、秋田の小さな町に残っている方が驚きかも。
歴史は繋がっているということですね。

これはこれ、今は今ですから、神社の参拝は今まで通り、今祀られて神に手を合わせたいと思います。
酔漢さんへ (ひー)
2009-11-22 17:21:15
ストーンサークルやストーンヘンジ…は今でも、用途は不明なのかも知れませんね。
墓や祭場とも言われますが、現地に行くと謎が深まります。

宇宙船の基地の方がしっくりくるかも?
古代の天文学も進んでいたようですし。
想像以上の知識を持っていたのでしょうね。
あれっ (あーさん)
2009-11-24 11:26:13
あんぱんの前に、ここにコメントしたのが消えてるぅ???

anyhow  力作な記事、ひーさんの熱意と努力には頭が下がります。
手抜き指向の拙には到底出来ない業です。

船橋大神宮 以前にUPしたのをT.Bさせて貰いました。

アラビア起源のアラハバキ 素人にもなんとなく判りますね。
アラーの神がオリジン?
あーさんへ (ひー)
2009-11-24 23:06:23
TBありがとうございました。

消してないと思いますが?

簡単に言うとオリジンですが、仏教や道教などの影響を受けながら伝承されたと思います。

問題は、一部偽書扱いされた資料も基にしているところもあります。
しかし、偽書と決め付けるのも良くないことだと思いますね。
真実は誰も知らないのですから。

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