ひーさんの散歩道

道には、様々な歴史や文化が息づいている。
歴史に触れ風景に感動し忘れていた何かを探したい。

多賀城廃寺跡(高崎廃寺)

2017年11月06日 21時29分01秒 | 多賀城の散歩道
多賀城廃寺跡(高崎廃寺)


伊勢の記事を書こうと思いつつ秋も終わるので、地元の多賀城廃寺跡を動画で記録しておきました。

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2 コメント

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奈良時代始めに栄えていた? (りひと)
2017-11-23 13:41:01
ひーさんありがとうございます。奈良を調べているとどうも東北と絡む個人的理由がそこにありそうに思います。

動画観ていても金堂跡、講堂跡までとどんどんその跡をプラスして頭に入れていたらどうも聖徳太子とか天平とかそっちまで頭がいってしまいました。凄い知識と文化があったはずですよ。平城京の頃と並立ならばありそうですね!中心は平城京でしてその他は歴史からすっかり光も当たっていないので光さえ与えられたら凄い物が各地で出てきそうだと思ってましたけど多賀は筆頭ですね。多賀繋がりで近江と関わると神奈川とも繋がるので墨書き土器とかの要素も揃うように思います。役所的な機能としての木簡や土器についた文字と組織役所としての機能も律令からだと追いつくはずなしですよ。私の妄想は遣唐使は唐じゃなく東北に行ってないか?というところ。僧房だったか?僧に対しての建物があり講堂があるとなると教育機関もあるんじゃないかなあ?と。そこは研究者さんにお任せしましょう。研究者には言えない素人の意見を出す役割を務めます。

で各地の廃寺なんですけど、どうも跡は残ってくれてますね、情報も。で外国とかだとそこに上書きして行くような気がするのにそれをしていないこの奈良時代以前の廃寺跡には不思議な力感じますね。今の状態を映像で保存していただき感謝ですね。硯の石の産地が東北が有名だったとか講演会で聞いたのでなぜだろうかと思ってましたけど墨と硯の関係性も考えると妥当かもしれませんよ。そういう文化があったんでしょうね。長屋王との関係も気になってきますね。

で役所になる前はお寺と工房のセットが気になっています、法隆寺とか吉野とかの関係では。

なので多賀城跡の周りに工房跡は出ていないのかなあ?と。場所がいまいち頭に入っていないのですが物の移動を含める流通経路がしっかりしていれば東北の上の方の漆器とかもすぐ手配して送れた可能性もあるのか?物の調達は役所では必要ですし、ここは弥生時代かな?その頃からのネットワークがあれば出来ちゃうんですよね。で環濠集落になっていないなら荒らされてもいない安全な時代ならどんどん進化もするでしょう。神奈川はどうも環濠になっているので護りが必要なエリアになっていたと思います。

縄文の頃からというより旧石器の頃から人いたはずですから栄えていないはずもなく。日本の中でも豊かで優れた地域だったなら凄い事になりますね。

今お年寄りは、意欲満々で各地の勉強してます。この先若い方がこうした分野に世代的上の方に忖度しないで事実をどんどん発見してくれると面白くなりますね。この前14県が研究分野で意見交換したり発表をしたりという組織がある事を知りました。県や国境も外して地域の文化や歴史を土の中から探ってみると先入観と違う事実も見えてくるんではないかな?
地層もそう人間の意思の及ぶところではないはずはずですので。

面白い時代に生きているのが嬉しく感じますね。
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りひとさんへ (ひー)
2017-11-23 16:27:01
硯は、宮城県雄勝が産出地です。
石巻から北東の方です。
かなり津波に破壊された町ですが、日本の硯の多くはここのものです。

多賀城は蝦夷に火をつけられ相当の建物が燃えてしまいました。律令国家に支配されてきた蝦夷の反乱がおこったのです。「続日本紀」に記録が残っているようです。
確か瓦職人は朝鮮から坂上田村麻呂が連れてきたと記憶しています。 ここには多くの職人が居たはずだと思います。

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