ひーさんの散歩道

道には、様々な歴史や文化が息づいている。
歴史に触れ風景に感動し忘れていた何かを探したい。

久那斗神社(仙人権現里宮)

2019年05月12日 17時13分17秒 | 神社仏閣狛犬(地域がある場合は各地域)
久那斗神社(仙人権現里宮) 国指定重要文化財


どこなのか迷いながら走っていると案山子が・・・・
「ここですよ!」と言わんばかり。
面白いから写真を撮ろうと車を降りたら、トップの看板が遠くに見えました。
カーナビでも完璧に特定できずにいました。


久那斗神社という名前は、明治になってからのもので、それ以前は仙人権現の里見や宮と呼ばれていました。
仙人権現とは、仙人山の神のことです。 仙人山の峠には、奥宮が、伊澤家住宅の背後には里宮が建てられ、ともに仙人権現がまつられています。
伊澤家は江戸時代中期の天明年間(1781~89)の修験者、多聞院秀慶の子孫と伝えられ、代々、羽黒派の修験道を伝えるとともに、里宮の管理人(別当)を勤めてきました。
 当時の和賀・沢内地方の15ヶ村では、多聞院を含む5院の修験者が宗教活動を行い、村人の日常生活に深く関わっていました。
多聞院は、5院の中でも最も多い8ヶ村を縄張りとして活動したと云われます。
しかし明治政府が修験道を禁止したため修験道はそれまでの活動を続けることが出来なくなりました。
これに伴い、里宮も久那斗神社へと名前が改められたのです。
久那斗神とは、道の神のことです。 仙人峠には、かつて和賀地方と秋田地方とを結ぶ旧街道が通っていました。
旧街道は、平泉に金を運んだという言い伝えから「秀衡街道」とも呼ばれました。
道の神の名前に改められた背景には、こうした古くからの人々の交流があったためとみられます。
                              北上市教育委員会 説明版から

仙人峠にある久那斗神社奥宮は、秀衡が祖先の霊を久那斗権現としてまつったものと伝えられる。
奥羽山脈を挟んで秀衡街道の西と東には、同じ神がまつられています。
この街道を往来する人たちの安全を願い祀られたものだと思います。

奥宮は、そうとう歩くので今回は時間の関係でパスしました。 
秀衡街道も獣道みたいなところも多いようです。
    
ご存じない方に「秀衡」とは、平泉の藤原秀衡(ふじわらのひでひら)平安時代です。
初代、清衡、2代基衡、3代秀衡、4代泰衡ですね。 平泉の話をすると長くなるので割愛します。
蝦夷と国府軍の闘い、前九年の役と清衡の義理の兄弟との喧嘩である後三年の役が有名ですね。

久那斗というと、当ブログでは何度も出てくる出雲神族の記事に出てきますね。

 明かされた古代出雲王国の秘密 から

 サイノカミとクナトの大神

サイノカミの夫婦神像があり向家では、それを先祖神として拝んでいた。
サイノカミの主神・クナト大神は、出雲族の指導者だったと伝えられる。
かれの妻、幸姫の命は、サイノカミの母神となっている。
サイノカミの特色は、子孫繁栄の神である。 つまり「縁結びと子宝の神」とも言われている。

 クナトノ大神と出雲国の発祥

クナトという人は古代インドのドラビダ族の王であったが大勢の部下を引き連れて日本へ民族移動を始めた。
ゴビ砂漠を北に進み、シベリアのアムール川を筏で下って、津軽半島に上陸したという。
その後彼らは南に移住して広がった。

クナト王の子孫はイズモに住み着いた。
インドの熱帯では常緑樹が濃緑色に茂っていた。 それに対して新しい土地では春に芽が出た森の色が目にしみるように美しく感じられた。
かれらは、その色をめでて自分達の地方「出芽の国(イズメ)」と呼んだ。
その発音が変化して「出雲の国」になったと伝わる。

出雲地方ではサイノカミの祭りが盛んになった。
クナト王の直系の向家が出雲東部の神魂(かもす)神社[松江市大庭]の丘にあった。
その地の大庭の地名は神祭りの場だったことから来ているらしい。
そこから東方にサイノカミの主神・クナト大神のこもる大神山(大山:ダイセン)が良く見える。
人々は大庭に集まり、向家が司祭となって大神山を遥拝(ようはい)した。
出雲地方以外からも多くの人が祭に参加した。
その結果、向家が王家と仰がれた。 その氏子の広がりが出雲大国となった。
そしてサイノカミ信仰が出雲王国の国教なった。

一般的には、岐の神(くなどのかみ)別名は、久那土神、久那止神、久那戸神、久那斗神、車戸神、来名戸祖神、岐神、衝立船戸神、車戸大明神、久那度神、クナド大神、クナトの神、クナト大神、熊野大神、久刀  と多岐にわたる。
道祖神の原型であり、お地蔵さんも同じ意味だと思います。

最近行った、息栖神社や香取神宮の境内にある六所神社もそうですね。



ハスの時期には見事に咲くようです。



多聞院伊澤家住宅


ありました。 ありました。





境内社 

不明?
向側にももう一社














北上線ですが、この線路を横断します。
横断する場所の敷石はコールタールみたいなもので固められていました。崩れないようにですね。






何年も来ようと思っていましたが、やっと里宮ですが来れました。


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8 コメント

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久那斗 (きんごろう)
2019-05-14 18:20:10
昔は集落の入口には道祖神が置かれていて「隠れて悪い事をしてもお地蔵様はすべて見ているのだよ・・・」などと言われていたのを思い出しました。邪気や邪念を祓う目的だったのでしょうが、最近は見かけなくなりましたが。

奥州藤原氏が久那斗を祖霊神としていたのは興味深いですね。奥州に侵攻した際に先住民と婚姻関係を結び、久那斗神を取り込んで祀ることによって支配を固めていったのでしょうか。
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きんごろうさんへ (ひー)
2019-05-14 21:07:46
わざわざメセージありがとうございます。
ご存じでしたね。
藤原経清の奥さんが安倍頼時の娘つまり俘囚長であるので蝦夷ですね。

村の入口には、色々な形で疫病や邪気が入るのを防ぐために祀られているものがありました。
以前、東北歴史博物館の中の映像を見れる映画館を小さくした部屋で見ました。
展示もしていましたが。
久那斗や岐神系は古いことがわかりますね。
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世界遺産になるのを知っていたのですか! (クロンシュタット)
2019-05-15 05:06:43
大河ドラマ「炎立つ」を思い出しますね。
藤原経清は渡辺謙さんでした。プロローグが多賀城でした。
源氏が悪役として描かれて、東北人のための大河ドラマ、みたいな印象があります。

北上線を含め、JR東日本の非電化路線は、ほぼすべてがキハ110系になってしまいました。
性能はいいんでしょうが、座席配置が2人掛けと1人掛けの並列で、なんだかなぁです。
立ち客なんかほとんどいないのでしょうから、すべて2人掛けにして欲しいです。
すんません。鉄道写真にはすぐ反応してしまします。
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クロンシュタットさんへ (ひー)
2019-05-15 15:31:42
世界遺産は偶然です。見て来て良かった。
ただ、やはり路面からはその醍醐味が感じられないんですよね。 上空から見てみたいです。

「炎立つ」はDVDがあるので再度みようかと思います。 渡辺謙さんは、二役したような?

110系は東北本線も走っているのですが、カラーリングが同じなので、がっかりです。
山形の米坂線もこれですが、たまにオレンジのカラーリングの車両が走ります。 

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Unknown (りひと)
2019-05-17 06:02:56
車戸もクナトなんですね。
けどいい神社が無事で残ってくれていてこちらの記事で写真も由緒や名前の変遷残るって本当ありがたいですね、ひーさんありがとうございます。

でクナトいればあれば必然的に幸の神もあるんでしょうね。何しろ子孫繁栄ももたらされるので当時もとてもその地で大事だったはずです。
無事に行けて良かったですね。ありがとうございます。
その時代ごとの変遷をうまく越えて今ある事に感謝です。
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広瀬川。 (綱永井寵生)
2019-05-17 14:22:55
久那戸大神は多賀城でも祀られていますね。

奥州藤原氏は広瀬川に柵を造り、頼朝の兵と対峙したと聞いています。

友人の神社もそうですが、仙台神宮等々、天照大神を祀る神社が広瀬川の高台部分に鎮座している。そして大歳神が地主神だった。

そこでもしかしたらと思い友人の神社を調べたら、やはりお地蔵様も祀られていました。

広瀬川は奥州藤原氏にとって境界線だったのは間違いないようです。七北田川同様、多くの血が流れています。
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Unknown (hi-sann_001)
2019-05-19 12:35:21
ひー
りひとさんへ
車戸は、一覧にあったからそのまま転記しましたが、微妙。
まぁ意外に神社にはあて字が多いかも。
塞の神も探したいですね!
変化している場合もあるでしょうから、気をつけないと。
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Unknown (hi-sann_001)
2019-05-19 13:10:50
綱永井さんへ
ひー
多賀神社には、書いてありますね。
自分の記事にあります。
仙台大神宮ですかね?
近くだと足が重いようでまだ行ってません。御朱印帳持ってそのうち行きたいと思います。
神社名が久那斗神社は少ないような気がします。
国府があるラインがほぼ境でしょうから色々あったでしょうね。
政府にエミシは南の方に強制的に移動させられます。または南から北に移動させられたものもいます。
その頃の柵は胆沢ですかね。
過去記事に書いてあるのですが、あまりあり過ぎて見つかりません。
広瀬川の高台てどこでしょうね。
自分には愛宕神社しか思い出せない?
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