三宮神社
御祭神:湍津姫命 (天照大神之御子)
御鎮座:神戸市中央区三宮町(旧地名)攝津国矢田部神戸村
御由緒:創始年代不詳ねれど江戸時代享保年間の手水鉢、寛延元年の石灯籠が現存しているが、」それは以前尼崎藩領であったため、藩公の信仰の篤い所から奉納されたものと伝聞されている。
明治維新以前は周辺は三・四十戸余りの田園的一寒村であったが慶應三年十二月七日(1868年1月1日)に神戸の浦が開港されるに至って急速に開発され(割愛)
祭神に関する由緒等が無く割愛しました。(クリックすると大きくなります)
祭神の湍津姫命ですが「多岐都比売命」とも書きます。一宮の由緒に、中津宮の「湍津姫神(タギツヒメ)」と記載しています。タギツヒメを主祭神として祀る神社は中津宮のほか、青森県の岩木山神社など。 また宗像三女神の一柱として各地の宗像神社・厳島神社などで、アマテラスとスサノオの誓約で生まれた五男三女神とともに各地の八王子神社などで祀られている。
高津姫神とも記述するようです。
やはり一・二・三宮神社は「五男三女神」と関連づけされていますね。四宮神社から八宮神社はいずれ行きたいと考えていますが、いつになるか? 定年してチャンスがあれば、連れ合いと車で日本一周することを夢見ています。叶えばいいのですが。
その時に行きたかった神社を巡りたいと考えているのです。
大砲
三宮神社境内の南隅に「史蹟神戸事件発生の地」と刻んだ石標がある。
300年近くも続いた徳川幕府も時勢の流れに抗し得ず、ついに慶応3年10月14日大政奉還を申し出た。その原因の1つに神戸開港の難問題があった。
慶應3年12月9日皇政復古の大令は発せられたが実力はまだ朝廷に備わらず 前将軍慶喜はなお大勢力を握っていて徳川方大名の向背。殊に近畿のそれは朝廷の最も警戒するところであった。果して翌明治元年正月3日に鳥羽伏見の変が起った。これより先 朝廷は徳川親藩の尼崎の押えとして備前藩を西宮へ警備のため出張を命じた。備前藩では明治元年正月元旦から5日にわたり約2000の兵を進発せしめた。その内4日に岡山を発った家老日置刀帯忠尚のひきいる約500の一隊が11日午後1時頃 三宮神社前に進んだ時 突然外国人が行列を横断しようとしたので 無礼を怒った藩士が その外国人を傷けたのがもとで 当時港に碇泊中の米、英、仏、伊、和、普の外国軍艦の 陸戦隊と銃火を交える騒ぎとなった。事の拡大を恐れた備前兵は機を見て早々に過ぎ去ったのち 神戸は外国人のために完全に占領されるに至り国難来を思わせた。
神戸の町民は極度の不安にかられ 家を捨てて野山に逃れた。
同15日に東久世通禧を勅使とする一行は 明治天皇の宣言書を捧げて6ケ国代表と 神戸運上所(のちの神戸税関)で会見して 始めて天皇親政になっていることを外国へ伝えた。この宣言書には国璽が用いられていた。日本開闢以来 外交上の文書に国璽を用いられたのは これが最初の重大事実であり 正に日本外交史の第1頁を飾るものである。しかもこれが神戸運上所においてのことであることは銘記さるべきである。
そして談判の結果 この事件の発砲責任者を各国士官立ち会いの面前で 死刑に処すべしとの 要求を受けた。当時われにこれを拒む力を持たなかった。天皇も御心を悩まされたが ついに命を奉じて 備前藩士 滝善三郎正信は責を一身に負い兵庫永福寺で見事な切腹をして事件は落着をみた。正信の犠牲は日本を植民地化せず 神戸を第2の上海、香港たらしめずに済んだ。幕末より明治の初めにかけて外交上の難関は多かったが この事件ほど外交史上に重大性を帯びて その推移に興味ある事件はけだし稀であろう。
この事件は、三宮神社前で起こったので 始めは三宮事件と称せられていたが 後に「神戸事件」と改めたのである。
生麦事件は習いますが、こんな事件があったのですね。
石巻港や気仙沼港にも共同浴場があったと思います。
海上保安庁も以前は塩水のお風呂にはいっていたようです。
神戸には八宮神社まであります。五男三女神ですからやはり八社に別れているのかも知れませんまだ調べていませんでしたが?
今回は歩ける範囲で三社まででした。
いずれ回りたいと思います。
港って色々な意味で重要な地になるのでしょうね。
古代港になっている場所で信仰に共通項見つけたいですね。ヨーロッパでは港にはお風呂があったとか聞いた事ありますけど石風呂とかないのかなぁ?もしかしたら石風呂が古墳に利用されてたりしないかな?
長い間海の上だとお風呂に入りたくなりそうですけど、上陸するときに祓いの意味もありそうに思いますね。
滝とかも神戸で探してみますね。
結果、大人の休日きっぷの話でした。
3日間乗り放題だったかな。プラス北海道は少し高いですが・・・・
自分も大人の休日倶楽部のカード持っています。 女性が年齢的に有利なんですよ。
割引率が違いますからね。
問題は東日本という壁ですね。 西日本も使えると嬉しいんですけどね。
植民地・・・最近の話題では香港ですね。
以前のイギリス領の時は、自由に過ごし若い人は皆英語を話せてミドルネームを持っていました。 中国に返還され生活環境は大きく変わりつつあります。 中国共産党の監視下に置かれてしまえば彼らの自由は制限されます。 若者の気持ちは大いにわかります。
それを、天安門のように武力で制圧するのは問題があると思います。
つまり、植民地にされてもどんな国に植民地にされるかで、大きく変わりますね。
太平洋戦争後だったと思いますが、日本も朝鮮半島のように二分化される構想があったそうです。白河の関から北はソビエトで南はアメリカだったそうです。 しかし、日本に駐在していたアメリカ人が反対して実行されなかったそうです。 聞いた話ですがね。
鉄道での一周はマネー$がかかりそうですね。 急がなければ一般道行けますからね。
といってもその時に今の体力があるかどうかですね。 乗るよりも撮り鉄の方が自分にはあってるかも?
令和天皇もこれで一段落ですかね。
最近は弟君の態度が何かと話題になっています。 嫉妬ですかね?
生麦、神戸、下関、鹿児島....実際の危機は数多くありましたね。
のらりくらりの徳川政権も、実は高尚な対外政策であったのかと、思うこともあります。
車で日本一周。
私は当然?鉄道で日本一周を夢見ていますが、軍資金がなかなか....
さて、今日も早朝から仕事です。
迎賓館のすぐ近くの現場で、昨日はお巡りさんを数百人目撃しました。