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日韓関係、慰安婦の「朝日大誤報」日本が受けた「傷」は深い

2014年09月22日 19時24分38秒 | Weblog

日韓関係、慰安婦の「朝日大誤報」日本が受けた「傷」は深い

勝又壽良の経済時評

(2014年9月22日)

強制連行説を信じた取材力
傲慢なエリート主義紛々

朝日新聞社の木村伊量(ただかず)社長は9月11日、記者会見を開いて朝日新聞「二大誤報」について正式謝罪した。

一つは、戦前の慰安婦問題である。軍部が強制連行したという誤報。

もう一つは、2011年3月の東電福島原発での事故発生時に関するもの。

すでに周知の問題であるから改めて、ことの顛末を取り上げる必要もない。

両誤報は日本人のイメージを著しく損ねたことは疑いない。

前者は、「性奴隷」という言葉を世界に流布させた。後者は、東電社員が現場の所長命令を無視、職場を離脱したという事実に反する報道である。

ともに、人権に関わる問題である。こういう言葉は使いたくないが、日本人の「名誉」を朝日新聞自ら貶めるものであった。

8月初め、朝日新聞が慰安婦報道の一部誤報を認めた特集で、朝日社長は謝罪会見も開かず、世間の批判に対し「強気」で臨んでいた。

さすが、二度目の誤報を認めたことから、やむなく記者会見を開き広く謝罪して、自らの進退にも言及した。

幸か不幸か、朝日新聞は日本を代表する報道機関の一つとされている。

その朝日が、日本人にとってもっともシビアである「名誉」を踏みにじる誤報をしてしまった。

世界における日本の地位低下に大きく影響しただけでない。慰安婦問題では、中韓との外交関係を険悪化させて現在に至っている。

いわゆる「歴史認識問題」として、日本は言われなき批判を浴びてきた。その責任はきわめて重いと言わざるを得ない。

朝日新聞社長による謝罪会見で、慰安婦強制連行説は否定された結果、韓国が歩み寄り姿勢を見せ始めている。

韓国外務相が、日本との関係改善に意欲を示したのだ。

「過去の問題に明らかな立場を堅持しながらも、そのほかに安保や経済協力、国民交流などは歴史葛藤とは連係させず、増大していこうというバランスの取れた立場を持っている」(『中央日報』9月18日付け)とした。

強制連行説を信じた取材力
これまで朝日は、「強制連行」という架空の話しを真に受けてきた。

報道後に、多くの疑問が出されてきたが、一度も検証せずに放置した。実に、最初の報道から32年もかかっている。

その責任は、報道機関の存在に関わる重大問題である。

とくに、外交問題にまで発展し、国連からも非難されるにいたった事態は、朝日新聞としてどのように償うのか。

朝日新聞も、太平洋戦争に加担した。

そういうメディアとしての責任を、重く受け止めていることは知っている。

私が30年間勤めた東洋経済新報社は、石橋湛山(後の総理大臣)を筆頭にして戦前から戦中にかけて、「戦争反対」の立場を堅持した。

戦時中、東條首相から弾圧されて紙の配給をギリギリまで減らされた。

だが、当時の内務省警保局長の町村金五氏(現・衆院議員町村信孝氏の実父)は、東洋経済新報の「リベラリズム」に理解があったので、紙の配給を止められずに済んだのである。

町村金五氏は、後に「東條首相から、東洋経済新報は戦時下には好ましからぬ雑誌なるが故に、特に監視を厳にすべき旨要望されたことがあった」(『東洋経済新報社 百年史』)と証言している。

石橋湛山は、「自爆」しても戦争に加担しない。強い決意を東洋経済社内で披瀝していたのだ。

東洋経済から比べると、朝日新聞は軍部に迎合し戦争を賛美した責任を免れない。

戦後はこの「反動」から、ことごとく自民党政府の政策に反対する立場に変わった。

それはそれで、批判されることではない。「商業紙」であるから、自らの経営を考慮することも必要である。

読者を増やす手段として、政治的革新の意見を採用して、その主張を鮮明にしても不思議はない。

問題なのは、日本の政治外交方針を朝日の主張に合わせさせる。

そういう不遜な試みが、民主主義の現在においてとうてい受け入れがたいのだ。

朝日は、中国の『人民日報』や『新華社通信』と立場が違う。

日本のメディアの一つに過ぎない。日本の世論をリードしたい。こういう野望は、抱くべきであるまい。読者に物事を判断する材料の一つを提供する程度で十分なのだ。

紙の媒体は、いずれ淘汰されると言われている。

朝日社内でも、デジタル媒体への転換が模索されている。

木村社長は、デジタル媒体への転換旗手としての課題を担ってきた。

朝日社内では、部数維持の最後の砦として、日教組を読者の核に据えていると聞く。

日教組を放さないためには、保守党政権に対峙して行かざるを得ない。これが、朝日新聞の生命線であり、慰安婦問題の検証を放置させてきた本当の理由であろう。

自らの主張を貫き通す場合、日本の「商業紙」は経営規模が大きすぎる。

朝日の発行部数は720万部とされる。この「巨大企業体」が、大衆紙でなくクオリティー・ペーパーであり続けること自体が無理である。

発行部数にこだわらず、主義主張を鮮明にしていくならばそれはそれでよいであろう。

発行部数にこだわることはないのだ。日教組を最後の読者につなぎ止めるべく、主張をまげる必要もあるまい。それで結構である。

ただ、「巨大企業体」を維持したい。そのためには、国益を朝日の主張に従属させる。

そういう戦略が間違いなのだ。

これが原因となり、32年間も慰安婦の誤報訂正をせずに、無駄な時間を費やしてきた。

誤報を認めることが、朝日の部数減を招く。そうした営業的な配慮が先行してきたことは間違いない。

朝日の「社益」優先姿勢が、日本の「国益」を犠牲にしたとも言えるのだ。

朝日新聞記者のOBが、興味ある記事を書いている。

いかにも朝日記者らしい論理を振りかざし、朝日を「正義の見方」として位置づけている。

朝日に批判的メディアは、十把一絡げで「リベラルメディアを袋だたき」としている。これが、朝日社内の本音かも知れないので紹介したい。メディア・エリート主義が紛々としている。この記事は、木村社長の謝罪会見前に書かれている。

『ダイヤモンドオンライン』(9月11日付け)は、元朝日新聞編集員の山田厚司氏による「袋だたきの朝日新聞、リベラルメディアの退潮に喜ぶのは誰か」と題して、次のように伝えている。

① 「慰安婦問題は、日本の戦争責任をどう見るか、という歴史認識と密接につながっている。

朝日新聞を糾弾する人脈は『新しい歴史教科書を創る会』など歴史修正、あるいは『戦後レジームからの脱却』を目指すグループと微妙に重なっている。

産經新聞が発行する『正論』がこの種の論客を擁し、自民党と密接な関係を持つ保守派の『日本会議』とも重なっている。

日本国憲法の精神を掲げる朝日新聞と、憲法改正を叫ぶ勢力の対峙が『慰安婦問題』に投影した。緊張関係は安倍晋三氏が自民党総裁になって一段と高まった」。

慰安婦問題は、日本の戦争責任をどう見るかという歴史認識に関わる。

山田氏は、先ずこう大上段に振りかぶってくる。

戦争責任を、日本政府は講和条約締結時に認めている。中国や韓国との「平和条約」でも認め、折に触れそれを繰り返してきた。

そもそも慰安婦問題は、日本政府が強制的に連行したか否かが問われていることだ。

日本政府は、その事実を否定してきた。朝日新聞は、吉田なる人物の「虚言」を検証することなく繰り返し記事にして、日本の戦争責任を追及してきた。問題は、ここにあるのだ。

戦前の日本には「公娼制度」が存在した。

売春(自由意思に基づく)を国家管理にして、女性が悪徳業者から搾取されないようにしてきた。

この延長線上に、海外での兵隊用に慰安所が開設されたのだ。

経営主体は民間業者である。軍部は、女性が業者から搾取されるのを防ぐ。病気の予防をする。

そういう間接的な管理であった。この問題は、私が二度このブログで詳細に取り上げた。このブログの左下に「検索」欄があるので、そこへ「慰安婦」と書いて調べていただきたい。

女性(慰安婦)は、日本人や朝鮮人が多かった。

家庭環境は貧しく自分の意思で「慰安婦」になったと、元日本兵の回顧録(山田清吉『武漢兵站』図書出版社 1978年12月刊)に記されている。

この本の出版は、朝日によって慰安婦問題の誤報が出る前のことである。当時の「公娼制度」の理解なしに、慰安婦の問題を真に理解することは困難である。現在の「売春禁止法」の意識で取材・報道した、朝日記者の認識が足りなかったのだ。

山田氏は、巧妙に問題をすり替えている。

朝日の記事に疑問を呈したのが、朝日と報道姿勢が異なる産経新聞だから問題だとしている。

焦点は、強制連行が事実か否かの一点にある。政治信条の右も左も関係ない。まさに、ジャーナリズムの原点が問われている。そこへ、右や左の立場を持ち込む朝日が間違えている。山田氏も反省が必要であろう。

ならば問いたい。政治信条が、社会から多数説として受け入れられている。

そう考えるならば、事実の有無は問題ないのか。これこそ、強権政治の中国で通用する話しである。

基本的に、記事は正確性、信頼性、透明性の観点から問われなければならない。

記事に問題が指摘されたならば、この原点に立ち戻ることである。これは、ジャーナリズムの憲法である。

それを、32年間も検証せずに放置してきた。その責任が、あたかも産経新聞にあるかごとき言い分は、自らのジャーナリスト失格宣言と同じである。

自ら筆を折るべきであろう。念のために申し添えよう。安倍政権は32年前から存在したわけでない。

報道と評論は分かちがたいと思う。事実に基づく報道をして、その上に評論することが正しい。

「戦争責任」追及の根拠にされた記事が、実はねつ造であった。

したがって、そこで展開された評論は、正当性を持ち得ないはずだ。山田氏は、報道記事の間違を認めるが、評論(戦争責任)は正しいと強弁している。長年、ジャーナリズムでメシを食ってきた人間の発言としては、不可解と言わざるを得ない。

傲慢なエリート主義紛々
② 「野党が無力化したいま、安倍首相が進める政策の抑止力は『世論』が担っている。

国会議員の過半数で改憲を発議できるようにする憲法97条改正が頓挫したのも、憲法9条の空洞化を促す集団的自衛権に『厳格な制約条件』が付いたのも、世論の力によるものだ。野党が抵抗勢力の時は国会対策が重要だった。

いま政権はメディア対策に力点を置くようになった。メディアが権力を監視するのではなく、権力がメディアを監視する時代である」。

ここまで来ると、話題を完全にすり替えている。朝日の本音部分がはっきり浮かび上がるのだ。

朝日の読者はすべて「反自民」「反安倍」なのか。朝日は、野党の機関紙に成り下がったのか。

もっとも、日教組の利益を最後まで守るのが、朝日の「社益」になるとしている。その点で、すでに日教組機関紙であると任じていると言える。

日本は民主主義政治である。多数決制度である。

自民党も野党に転落している。国民の選択によって政権は変わるのだ。

山田氏の主張によれば、自民党は悪、野党は善という単純図式で日本政治を捉えている。

これを敷衍すれば、朝日は善となる。他紙は悪となりかねない。

れが、自称「日本のオピニオンリーダー」だとしたら、なんとも恥ずかしい認識である。ジャーナリストを返上すべきだろう。民主主義は価値の多元化である。専制主義は価値の一元化である。日本は、中国と違う政治体制である。そこを間違えては困る。

元・朝日新聞編集委員(同志社大学教授)の加藤千洋氏は、定年退職後に北京でこう発言した。

「GDPで日本が上であった時、日中外交は日本が指導権を取った。現在のGDPは、日中が逆転したので中国が指導権を握って当然」(『人民網』)。

明らかに、中国へ媚びた発言である。私はこのブログ(2011年4月18日)で厳しく批判した。

大変に誤解を招く発言である。GDPの規模によって、一国の外交政策が左右されるとは信じがたいのだ。

加藤氏については「知中派」という紹介が付されている。私から言えば、「知中派」ではない。中国へ、口当たりの良いお世辞を言っているだけである。

③ 「改憲でも原発再稼働でも、最大の抵抗勢力は朝日新聞という見方が官邸にはあると指摘する政府関係者もいる。

こうした状況が朝日の内部に『自分たちが頑張らなければ』という使命感をかき立ててきた。

見る人によっては『独善的』であり『鼻持ちならないエリート感覚』と映る。

政治の右傾化が朝日の編集局を頑なにしている。吉田証言は限りなく怪しくても、『ウソでした』と表明すれば歴史認識の修正を迫る勢力を勢い付かせる、という懸念もあった。

間違いは潔く認めようという決断のはずが、中途半端な説明となって逆効果を招き、朝日たたきを招いた」。

国民のなかには、改憲も原発再稼働も賛成という人々がいる。

「最大の抵抗勢力は朝日新聞」という見方は、朝日の記者が不注意に発言して歩いている結果なのだ。

自らを高く相手に売りつける。そういう魂胆であろう。

朝日は一度、第二次安倍政権発足直後、安倍首相に接近したと伝えられた。

ことの真偽は不明としても、部数増加という営業姿勢から「軟化」した事実はないのか。

それが再び、安倍政権と対決方向に変わったのは、営業的に得策である。

そう判断を下したのではないか。現に、原発反対を鮮明にしたところ、部数が増えたという新聞三紙(朝日・毎日・東京)の話しも聞く。

「商業紙」は、こうした営業動機によって主義主張が変わりうるのである。

朝日が、自社の主張を貫き通す場合、朝日に反対の主張を持つ言論機関の存在は許されないのか。

互いに自社の主張をしながら切磋琢磨して行く。それが、民主主義社会の価値多元化のルールであろう。

すべて、朝日の主張通りにしたい。そのためには、誤報を検証せずに32年間も頬被りしても良い。山田氏は、こういった屁理屈を言っているに等しい。そこに気づいて貰いたいのだ。

朝日の「自意識過剰」は、戦前の軍部迎合時代と何らの変化もないようだ。

戦前は軍部に迎合し、現在は野党の提灯持ちで満足している。

私は、1960年の安保騒動時の朝日の社説を覚えている。

安保改定は戦争を招くと主張した。

その後、戦争になったか。歴史は朝日の主張と異なっている。朝日の「エリート主義」に基づき、日本の将来を朝日が決める。

そういう錯覚ほど危険なものはない。民主社会では、エリート主義は国の将来を誤らせる危険因子である。

日本は中国でないのだ。平和で民主主義を大切にする。そういう「国づくり」を目指しているはずだ。

山田氏は、朝日を「リベラリズム」と称している。

リベラリズムとは何か。改めて問い直したい。現代の自由主義(リベラリズム)は、自己と他者の自由を尊重する社会的公正を指向する思想体系のことをいう。

この単純なことから言えば、朝日に対抗する主義主張とも折り合いをつけねばならないはずだ。

唯我独尊の世界ではない。朝日は自らを正当化して、他紙の主張を危険な保守主義として退ける。

これを、リベラリズムとは呼ばれない。保守主義と呼ぶのがふさわしいのだ。あるいは、頑迷な保守主義と言った方が適切かも知れない。ますます、中国の習近平氏の主張に似てくる気がする。

日新聞の過去の記事が、国際社会における日本の評価に「悪い影響を与えた」と思う人が71%に達し、「そうは思わない」の16%を大きく上回った。

これは、読売新聞(9月5日付け)の世論調査の結果である。

日本の評価に「悪い影響を与えた」との回答は、男女ともに多く、男性で78%、女性でも65%を占めた。

年代別では20~30歳代71%、40~50歳代76%、60歳以上は68%だった

この結果を見ても、山田氏はなお、日本の「慰安婦=戦争責任」として追及するのだろうか。





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