北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都幕間旅情】光明寺,仄かに紅葉はじまる椛の名所伽藍は時代劇"無用庵隠居修行"日向半兵衛の世界

2023-09-20 20:23:35 | 写真
■無用庵隠居修行
 椛がもう色づき始めているとしょうしょう驚くと共に嗚呼この階段この屋根はちょうどいまテレビで見る情景が広がっている、と少々感慨深い。

 時代劇は撮影し続けてこそ、とおもうのですよね。無用庵隠居修行、水谷豊さんの新作時代劇が第7段となりました、浅見光彦シリーズのように水谷さん、7か8あたりで切り上げるのか、藤田まことの京都殺人案内のようにライフワークにしてくれるか期待したい。

 水谷豊さん。ドラマの相棒が放映されるまでは、基本的にテレビよりも本を読んで映画を観てというわたしには中々テレビで見る機会はなかったのですが、流れるように斜めみていた浅見光彦シリーズ最初の映像化で主役を張っていた方だ。1980年代の話ですがね。

 東京湾炎上、この映画をみた際に水谷豊さんの演技幅の広さに驚かされたけれども、手塚治先生のバンパイヤ、その実写版も演じていたことを知って驚く。大昔父の書架で読んだトッペイくん役ですよ。そしてあの世界観を実写化していたことにも驚くのですけれども。

 藤田まことさん、時代劇に大きな転換点を示したのは、連続テレビ時代劇として鬼平犯科帳を映像化した松本幸四郎さんはじめ多くの俳優の活躍があるのですが、藤田まことさんの喜劇俳優出身故に殺陣が下手、という個性を撮影技巧で活かした作品が大きいとおもう。

 寺田聰さん主演の映画、雨あがる、という作品がありましたが、その最初の実写化は藤田まことさん主演のテレビドラマ夫婦旅新居酒屋百選、じゃなかった夫婦旅-さらば浪人、その第一話雨あがる、でしたが、主人公である三沢伊平は剣術指南役で達人という設定だ。

 殺陣で、電光石火の描写も細部を省くことで目にも留まらぬ瞬間映像として描いたことで、これは一つの殺陣の見せ方を現したのだと思う。これは、必殺仕事人、と受け継がれていまして、逆に表現すると時代劇の主役を張れる俳優層をおおきく広げた、といえる。

 無用庵隠居修行、さて水谷豊さん主演の時代劇に視点を戻しますと、やはり日向半兵衛、直参旗本の大番士は剣術達人と言うことですが、水谷さんは時代劇畑の人ではなく殺陣は、まあ、という。しかし、映像の技巧で達人のように描くことで仕上げた。凄う事だと思う。

 海老沢泰久氏、無用庵隠居修行は小説家の海老沢さんがオール讀物にて2008年に発表した短編小説なのですが、第7段が映像化されることは非常にうれしい、というのもこの原作小説は短編集であり6作品までしかないのですから、7は無理かな、と気にはなっていた。

 日向半兵衛という主人公、ここまで人気ならば是非続編をと思うのですが、非常に残念なことに原作者の海老沢さんが2009年に旅立たれていまして、生前の晩年作となっているのです。日向さん活躍の原作、読んでみたいなあとおもいつつ、古本屋でも探せばいいのか。

 時代劇、東映チャンネルなど有線放送では新作が制作され続けているようですが、テレビ時代劇となりますとどうしても弱い。そして俳優からスタッフから監督に脚本まで、裾野をすべて含んだ上で成り立つのが映画産業、いったん途絶えると、それは西海が難しい。

 作品世界がある程度視聴率という部分でささえられているからこその新作となっているのでしょうし、それ故に原作のストックを越えているのかもしれなけれども新作を描いてくれる、というのは、出来の方はどうあれども、これは大切なことだ、と思うのですね。

 法然さんの歴史ある寺院がロケ地として出ていますが、今回光明寺に大覚寺にと、京都の歴史風景もまさにオールスター、というところ。こうした作品世界を入り口に歩み進め、歴史と哲学の思索という散策を広げてみるのも、面白いのではないかな、と思うのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】光明寺,浄土門根元地粟生光明寺-京都の長岡京は西山の地に法然さん最初の念仏の地あり

2023-09-20 20:00:14 | 写真
■粟生光明寺探訪記
 九月の半ばというところですが暑さと共に椛が疲れていて紅葉の準備を始めている事に驚くところです。

 光明寺、ここは長岡京市粟生西条ノ内、阪急電鉄長岡天神駅から3㎞ほどの立地にあります西山浄土宗の総本山、粟生光明寺という呼び名でも親しまれ長岡天神駅にも駅前の天神さんとともによくよく見ると粟生光明寺という大きな立て看板が存在感を放っている。

 長岡京市、この地名は新潟の長岡を思い浮かべる方もいらっしゃるようですが京都市のお隣、そして人口8万という府下第四の都市でもあります。そしてこの光明寺は紅葉の名所なのですが、同時に長岡京市の市木もモミジとなっていまして、何か共通しますね。

 無用庵隠居修行。光明寺を拝観に探訪しましたのは、法然さんのお寺を拝もう、というもちろん崇高な意気込みはあるのですが、もう一つはBS朝日が放映する時代劇スペシャル-無用庵隠居修行、その聖地巡礼といいますか、舞台の様子を実際に見たいという思い。

 法然上人、時代劇の舞台とはなっているのですが聖地巡礼とは本来の宗教的な意味で用いるところの聖地巡礼にもふさわしい浄土宗の聖地となっています、何故なら、念仏を唱えれば誰でも救われる、この浄土宗の祈りは12世紀、ここから始まったのですから。

 御影堂に至る石階段は、階段といえば南禅寺や金戒光明寺の情景が記憶によみがえるのですが、ここ光明寺の石階段は一つ一つの段差は低く、なにか招かれているような不思議な情感が漂う。しかし法然さん始まりの金戒光明寺からは阪急と京阪の距離がある。

 高橋茂右衛門宅。この大きな堂宇と伽藍は遡ればもともと、粟生野の里の村役である高橋茂右衛門、その個人宅があった場所という。今では青々と田圃が稲穂を湛えていますが、その昔は京都と奈良を結ぶ街道にあり、ここに法然さんが立ち寄った事が一つの縁、と。

 金戒光明寺では比叡山を降りた法然さんが最初に腰かけた、という岩から紫雲が立ち上り、法然を懐かしんだ信徒や弟子たちにより巨大伽藍が整備されることとなりましたが、勿論、腰かけた時代から堂宇が造営されるまでは大きな時間を要したのは言うまでもない。

 比叡山を降りて自ら衆民を救う信仰の在り方を求めた法然さんは、やみくもに念仏を唱えるという一つの答えを導き出す前に、先ず奈良において仏教の本質を学ぶべく学業の徒を目指したといいまして、当地にはその際に一晩の宿を借りたという歴史がありました。

 国家宗教から民衆の宗教へ仏教が転換する前の時代に、日本仏教は末法元年をへていた関係で大衆の拠り所よりも世界の終焉に備えるという、いわば民衆とは真逆を向いていた時代に在って、法然さんの民衆救済を願う求道者としての姿勢は高橋茂右衛門に響く。

 高橋茂右衛門夫妻は、法然の情熱を聞くうちに、ほんとうの救済への道を見出した際にはもう一度当地においてその法話をお聞かせ願いたい、という願いを託し、その実現までは実に20年もの月日を要したということですが、法然は念仏というものを当地で語った。

 浄土門根元地、当地がこう呼ばれますのは法然が先ず当地において念仏の重要性を語った為、といわれています。承安5年こと西暦1175年の話であり、弟子の蓮生が建久9年こと西暦1198年、当地に庵を開いたことが、今に至る光明寺の始まりとなっています。

 時代劇スペシャル、日向半兵衛を水谷豊が演じる無用庵隠居修行につきましては、新作がまもなく放映されるということで旧作は一挙再放送されているまさにその最中という、こうした中でこれもご縁なのだろう、とこう長岡京市まで歩みを伸ばしました次第です。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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ウクライナ情勢-モスクワ周辺地対空ミサイル配備強化とセヴァストポリ軍港潜水艦ロストフナドヌ破壊

2023-09-20 07:00:36 | 防衛・安全保障
■防衛情報-ウクライナ戦争
  情勢は大きく動いているという率直な印象です。こうした中で最初の話題は自爆用無人機による都市攻撃の脅威と日本も現在は戦域における無人機対策に重点を置いていますが都市攻撃への対策を進める必要性をせまるもの。

 ロシア軍はモスクワ周辺の地対空ミサイル配備を強化している、イギリス国防省ウクライナ戦況報告9月12日付情報としてその概要が示されました。具体的には9月以降首都モスクワ周辺のビル屋上や公共施設屋上にSA-22地対空ミサイルシステムが配備されており、また仮設塔などの上にもSA-22地対空ミサイル配備が行われているとのこと。

 SA-22地対空ミサイルを目立つ場所に配備することについて、イギリス国防省は相次ぐ空軍基地へのウクライナ軍無人機による攻撃等を受け、具体的に攻撃を阻止するのではなく、当局が無人機攻撃に十分備えている、という事を見せつけることが目的ではないか、と分析しています。モスクワは現在、毎日のように無人機攻撃を受け被害が出ています。
■防衛情報-ウクライナ戦争
 数百mとはいうものの場所が場所だけにロシア軍は対応を迫られている構図です。

 ウクライナ軍は南部戦線ザポリージャ州西部において500m程度前進に成功した、ISWアメリカ戦争研究所の9月12日付戦況分析においてその概況を示しています。これはウクライナ軍のタヴリスク地区報道官の発言によるもので、オリヒフの南4kmにあるノヴォダニリフカにおいて前進したとのこと。500mとは重厚なロシア防御線への切り込み。

 東部戦線では一方北部戦域においてロシア軍がスヴァトフの北西14kmのノヴォセリヴスケ地区においてウクライナ軍防衛線へ攻撃を仕掛けており、散発的な攻撃ではなく防衛線を突破しようとする攻勢を仕掛けているとのこと。東部戦線北部ではクピャンスクとスヴァトフとクレミンナにおいて戦闘が継続していますが、具体的な前進はありません。
■セヴァストポリ軍港
 セヴァストポリ軍港が攻撃され揚陸艦と潜水艦が破壊されるというかなり大きな事態が。

 ロシア海軍はセヴァストポリ軍港において整備中であった揚陸艦ミンスクと帰路級潜水艦ロストフナドヌがウクライナ軍ミサイル攻撃を受け修理不能の損害を受けました、イギリス国防省ウクライナ戦況報告9月15日付分析では、ウクライナ軍の攻撃は現地時間の13日未明に行われ、ドックに入渠中であった潜水艦と揚陸艦に命中したもよう。

 キロ級潜水艦はディーゼルエレクトリック方式の通常動力潜水艦で、カリブル巡航ミサイル運用能力を持ちます。しかし、特筆すべきは黒海艦隊の潜水艦が破壊されるのは今回が初めてであり、またロシア海軍にとっても第二次世界大戦後、千島沖で終戦直後に引き上げ船を攻撃し逆に撃沈された潜水艦以降、ソ連時代を通し初めて事故以外で喪失しました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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