北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都発幕間旅情】名古屋城(愛知県名古屋市),ロシアウクライナ戦争におけるウクライナ文化財被害を憂う

2023-09-06 20:23:15 | 旅行記
■軍事目標は住民と文化
 軍事目標は住民と文化、国際公序や強行規範の範疇から外れた目的達成手段としての軍事行動は度々こうした非常識がまかり通る。

 ウクライナの視点に戻る。名古屋からウクライナは遠いが。2022年2月にロシア軍がウクライナ国内のナチス勢力を一掃するという名目で侵攻したさいには、21世紀にとんでもない理由を突きつけて侵攻するものだ、と19世紀的視点に驚かされました。

 ロシア系住民保護を名目に侵攻したのですが、ロシア大統領府はロシア系住民の定義をロシア語話者と定義しましたので、それじゃあ京都外語でロシア語専攻の子もロシア人なのか、と耳を疑ったものの、ロシアの定義ではそうなってしまうらしい。

 侵攻する側の言い分なんてものはまじめに受け止めるよりも、まず、相手に侵攻させない選択肢を防衛力により突きつけなければ、結果的に住民は浄化され文化財は破壊されるのだ、と思った。日本の相手は話が通じるアメリカだったのが僥倖なのか、と思わせるのだ。

 戦うしかないのだよなあ。日本の順番がいつなのかはまだ余地があるのですが、ロシアの視点からウクライナをみれば、ウクライナという国家は元々無く、ロシアのウクライナ地方を敵対勢力のウクライナ人が不法占拠している、という構図で理解している。

 文化財というか、住んでいる住民の価値観を守るためには戦い他ないという、第二次世界大戦後日本がみようとしてこなかった現実をこうも毎日報道で突きつけられますと。占領されても同化政策を受け入れねば、ブチャのように住民が浄化されてしまうから。

 戦災と城郭、廃藩置県が行われた時点で城郭は破却されていますので、この時点で役割は終えていたのでしょうが江戸時代の城郭は軍事施設と言うよりは行政施設の意味合いが大きく、実際問題示威的な建物ではあったものの縄張りは意匠的なものとなっている。

 空襲でこれを根本から、いや櫓部分は無事でしたから天守閣を狙い澄ましたように破壊したことは逆に誤爆であったことを指し示すのですが、返す返すも残念なことです。かりに櫓だけ破壊されていれば、天守が残っていたら、いま考えるのは空しいことですが。

 文化財の破壊、降参とか非武装平和都市宣言をおこなえば、という甘えがありましたが、空襲に対して無防備都市宣言をおこなって免れた事例はあったでしょうか、いや戦後日本の都市は無防備都市宣言をした都市を含め空襲されていない、と反論はあるでしょうが。

 地上戦であれば、占領されるまえに撤退し、市街地を巻き込まないように占領する側に無傷でわたす、という事例は幾つもあります、パリもパレルモも、ローマもこれにあたるところでしょうか。しかしこれは後退する側が追撃を受けないという互恵に基づく。

 無防備都市宣言は防備していた側が撤収する際に行い、そして占領する側も占領の際にインフラを活用する視座から受け入れるものですので、特に航空攻撃に際しては、第二次世界大戦の頃は都市部への無差別爆撃が国際法上禁止されていないことから、行われた。

 文化の破壊は、軍事行動の目的は一つの地いきの併合、攻める側に言わせれば取り返すだけという事になるのでしょうし、歴史的に我が領土とか、我が国に軍事脅威を与えたので併合する、というような主張の前では、相手のアイディンティティを破壊する意味となる。

 お前たちは最初からいなかったのだよ、というような行動、若しくは、あなたたちが消えれば平和になる、という言い分からの平和も求める行為を執られた場合は、まだ人類は武器をとって戦うという選択肢以外見つけていない事を、しょうしょう寂しく思うのですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都発幕間旅情】名古屋城(愛知県名古屋市),戦後間もなく80年というなか名古屋城は未だ戦災復興の最中

2023-09-06 20:00:16 | 旅行記
■復興なった本丸御殿
 本丸御殿を巡るのも本当に久しぶりでしたね。二条城と名古屋城以外の本丸御殿は明治維新後破壊されてしまい名古屋城本丸御殿は空襲で全焼した後に平成末期に漸く復興した。

 名古屋城、戦災に巻き込まれた天守閣ということで記憶する城郭です。ここには名古屋大空襲の日まで国宝天守閣、江戸時代に造営されたままの城郭が残っていましたが、名古屋駅を狙った空襲、焼夷弾が大きくはずれ天守閣に命中、紅蓮の炎に消えました。

 名古屋城は戦災復興の最中です。天守閣は復元天守というよりも戦災からの復興天守なのですから、それそのものに意味があると思うのですが、その復興計画は幅広い。天守閣の木造復元の整備、これとともに櫓の修復が計画されている。東北隅櫓の復元整備へ。

 城郭再整備は本丸表一之門と本丸東一之門と本丸東ニ之門と二之丸の門という、要するにかつての城郭の中々天守閣にたどり着けないという本丸縄張りの再建が続いて行われる。そして本丸に加えて、二の丸についても大規模な修理が行われる計画があります。

 二の丸大手ニの門渡櫓の復元、馬出の復元、本丸多聞櫓の復元、二之丸庭園の保存整備と二之丸御殿及び向屋敷の復元整備、大手門と東門、埋御門と二之丸の櫓の復元整備、展示収蔵施設の整備、御園御門に清水御門及び東御門の復元整備、石垣補修、などなど。

 東海道線というわかりやすい目標がありながら、名古屋城に命中するとは大きく外したものだなあと下手加減を恨むものの、はずれていれば姫路城のような勇壮な天守閣があったのだ、と考えると空しくなるところで、しかし歴とした文化財が一つ、失われた。

 2020年代の視座からは、毎日のようにウクライナの文化財、古い教会や19世紀以前の歴史的建造物が、ロシア軍巡航ミサイルや自爆型無人機、弾道ミサイルにより攻撃されているという報道に接する。爆撃機による絨毯爆撃こそ行われていないけれども。

 絨毯爆撃がウクライナにおいて行われないのは、ウクライナ軍の防空砲兵部隊がS-300にペトリオットと広域防空ミサイルにより全力で爆撃機を抑えているためで、決して数の多くないTu-95やTu-160といった爆撃機をロシア軍が投入を躊躇しているためといえる。

 文化財。戦争には関係ない、とおもえるところですが、第二次大戦中は絨毯爆撃の域内にあったため、という一種巻き込まれるかたちで破壊されている一方、現代は、命中精度がゴミといわれるものでも、誘導弾であるのだからある程度の命中精度は有しています。

 平和、というものを考えると、文化財は狙われうるのだよなあ、と嘆息してしまう。ウクライナで教会や歴史的建造物が狙われるのは、単に狙う側の無能なのかもしれないが、アイディンティティを破壊することで戦争継続の意志を挫こうとしているのではないか。

 戦争って、どうやったら防げるのだろう。こういう素朴な疑問ほど答えるのは難しいのです。重力ってなぜあるのだろうとか、宇宙ってどうやってではなく何故できたのだろう、という視座とおなじように、素朴な疑問ほど実は回答を見いだしにくい。

 攻められる側にも問題があるのだ、という視点は昔日本の非武装平和を説く方かたから主張された、大学生で別にこの人は子供ではないのだけれども、なるほどでは日中戦争は攻められた中国にも責任があったんですね、と返すと、なにもいえなくなる。

 一回ならば誤爆かもしれない、ミサイル防衛においてこちらは子供ではなく国会議員の方が主張した、しかも国会の場で、だ。そんな視座がありましたが、それならば真珠湾攻撃も一回だけなので誤爆だと受け入れなかった側の責任を問えるのか、と問いたくなります。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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ウクライナ情勢-ウクライナ軍はザポリージャ州での更なる前進に成功,南部オリキウと東部クピアンスクが焦点

2023-09-06 07:01:11 | 防衛・安全保障
■防衛情報-ウクライナ戦争
 砲兵だ砲兵だ、こう強調したい状況で日本も99式自走榴弾砲の62口径化など更なる射程延伸に取り組むべきです。

 ウクライナ軍はザポリージャ州での更なる前進に成功した可能性が高い、8月28日付ISWアメリカ戦争研究所ウクライナ戦況分析がその概況をまとめました。これによればウクライナのハンナマリャール国防副大臣の発言が引用され、オリヒウの南4kmから南西7kmのマラトクマチカまで前進しているとしています。これを裏付ける情報について。

 NASAのFIRMS/VIIRs火災赤外線感知衛星情報では8月27日時点でヴェルボヴェ付近のロシア軍主抵抗陣地帯に顕著な広範囲の熱異常を検知しており、ヴェルボヴェがオリヒフの南東18kmに位置、ここまでウクライナ軍が前進しロシア軍との大規模な戦闘が広がっていることを示しています。他方同時にウクライナ軍はバフムト近郊での戦闘中です。

 ISWアメリカ戦争研究所では、バフムトとヴェルボヴェでの戦闘について、バフムトはロシア軍主力を抽出させる陽動作戦の可能性を示しています。ただ、ロシア軍はバフムトのウクライナ軍を引き離すために最精鋭とされる第76親衛空挺師団をルガンスク州での戦闘に転用させており、同時にバフムト南部において再占領のための攻勢を続けています。
■オリキウとクピアンスク
 アメリカはどちらかに絞るべきだとしている戦闘の焦点なのですが当事者視点を考えると難しい点があり、また弱点のように見える状況が実は強みとなる場合もある。

 ウクライナ南部戦線はオリキウと東部クピアンスクの戦闘が完全な焦点となっている、イギリス国防省ウクライナ戦況報告9月2日付報告に示されていました。オリキウではウクライナ軍がロシア軍主陣地線へ接敵しており、ロシア軍第58諸兵科連合軍及び空挺部隊との間で激戦となり、逆にクピアンスクではロシア軍が再攻撃にある程度成功した。

 オリキウとクピアンスク、オリキウでウクライナ軍はロシア軍主陣地線に接敵しているため、ロシア軍はクピアンスクでの再攻勢を強化することで、オリキウとクピアンスクの二か所へウクライナ軍を分散させようとしています。しかしこれは逆にロシア軍自身がオリキウの占領を維持しつつクピアンスクでの攻勢を行うべく兵力を二分している状況です。

 ISWアメリカ戦争研究所は9月3日付戦況分析においてクピャンスク-スヴァトヴェ線でのロシア軍攻撃が失敗しており、ウクライナ軍はオリキウ南東18㎞のノボプロコピフカにおいてある程度の前進を続けているとのロシア国内一部情報を紹介しています。一部報道とはミルブロガーと呼ばれる情報源で国営通信などからの広告収入を得ているもよう。

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