北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都幕間旅情】妙蓮寺,静けさ包む十六羅漢石庭-上京区の寺社仏閣はSAMURAI-GI戦国自衛隊の舞台

2023-09-13 20:23:45 | 写真
■上京区は歴史散策
 寺社仏閣を拝観する際に文化財や風景と歴史も大切ですが静けさというものも実のところ情感の一つとおもう。

 妙蓮寺、鎌倉時代の寺院ですがご承知の通り応仁の乱で洛中一円の建築物は悉く焼失していまして、天文法華の乱により日蓮宗などの寺院は再度破壊されている。故に豊臣秀吉の時代以降の建物、火災により江戸時代に再建された建物が並んでいるという実情です。

 十六羅漢石庭など、新しいとはいえ拝観の際に巡ってゆきますと、それでももう少し観光客といいますか、拝観者が居て賑わっていてもよいように思えるのです。現代日本は政教分離が徹底され、寺院は自ら維持するべく努力しなければなりません、これは簡単でない。

 てんぷるっ!、という寺院が困窮しつつ廃寺とならないための道を模索する若者たちの努力と苦闘を描いた作品があり、昨今アニメ化されてBS-211などで放映されているところですが、寺院への拝観料というのは、これは重要であり、しかし上京区全体が静かだ。

 上京区というのは、もう少し観光客が溢れていてもいいのになあ、こう思うのです。観光客が溢れ市民はバスにも乗れず飲食店は軒並み観光地価格となりコーラ一本買うにも難渋する、NHKの京都に関する話題はこういう印象を与えているようにもみえてしまう。

 寺之内通は、その名の通り歴史ある寺院が並ぶところですが、ほぼほぼ観光客は見かけません。こうして妙蓮寺さんを拝観しました際にも建築学科の学生さんがひとり拝観に来ていただけ、拝観者への対応は実に丁寧で、拝観料を収めますと寺務員さんの案内付き。

 戦国自衛隊、妙蓮寺という寺の名前は劇画の妙蓮寺をご覧の方にはよく知られているのではないかな、と思うのです。戦国自衛隊といえば千葉チャン主演の角川映画、アメリカではSAMURAI-GIとして有名になりました、時折当たりのある邦画の一つという感じ。

 SAMURAI-GIの戦国自衛隊も面白いのですが、映画の方は兵站その他を考えずにぱあっと仕掛けてあっという間に消耗してあっけなく全滅するという、ファンタジーなめんな系作品として知られる、要するに相手を見くびって逆に高度な近代装備が負けるという。

 半村良先生、日本の怪奇系SF小説大家というべき、SFの大家といいますと小松左京御大の右に出る方は今なおいませんので、その半村良先生の原作である戦国自衛隊、初めて小説を手にした際にはあまりに薄い本なので驚きました、ただ、私は漫画版が先でした。

 田辺節雄先生の戦国自衛隊、この方は戦略列島とか地球0年とか、いろいろな作品を劇画で著されていまして、インターネット普及以前によくぞここまで、という現用兵器の描写で有名な方なのですが、妙蓮寺、実は田辺先生の戦国自衛隊では重要な舞台なのです。

 妙蓮寺の変、ネタバレはあまり好きではないのですが、漫画版の戦国自衛隊は上下二巻のしっかりと描かれている作品で、ソ連軍軍事圧力を背景に自衛隊最大規模の演習が行われる最中、中部方面隊と東部方面隊の境界線である新潟富山の県境から場面は始まる。

 伊庭義明三尉は普通科ではなく武器科の幹部として大量のトラックと警備の普通科班と武器科隊員たちとともにタイムスリップするために、兵站を重要視して戦いを進めてゆくのですが、最後に細川藤孝が謀反を起こし討たれる、それが妙蓮寺の変、というもの。

 SF愛好家には名前だけ知られている妙蓮寺さんなのですが、この通り実在の寺院でもあるのです。もちろん日蓮と戦国自衛隊にかかわりはないのですが、拝観としてSF作品を入り口に妙蓮寺へ歩み進めるというのも一つの出会いではないかな、ともおもうのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】妙蓮寺,曼荼羅本尊とともに日蓮遺命を布教の地を京都に定めた最初の地は柳の木の下

2023-09-13 20:00:46 | 写真
■卯木山妙蓮寺参詣
 京都も徐々に暑さが許容範囲に入る中で撮影した情景を見ますとやはりまだまだ夏空という今日この頃に堀川通りを下りました。

 妙蓮寺、ここは京都市上京区寺之内通大宮東入る妙蓮寺前町という、堀川通から少し入った立地にあります鎌倉時代からの寺院です。この堂宇がならびます一帯は日蓮宗寺院が多く、歴史をたどれば織田信長や豊臣秀吉の宿所として選ばれていたという由緒もある。

 卯木山妙蓮寺、かの日像により開かれた寺院でして日像さんというのは宝塔寺はじめ京都を散策していますと、時折名前に出会うという日蓮さんの弟弟子です。弟弟子というのは比喩ではなく、実兄の日朗さんが日蓮に師事していましたので、文字通り弟弟子、と。

 京都は保守的な街、と誤解されるところですけれども、制度的には保守的でも町衆は新しいものを向かい入れるところでして、日蓮宗が成り立つ際に洛中の寺院は多くがその追放を求めたものの、民衆信仰により支えられ洛中に、そして全国へ定着してゆきました。

 永仁2年こと西暦1294年、前年に曼荼羅本尊を授けられ日蓮の教えを広めるべし、こうした日朗が日蓮から直々に受けた遺命を日像も受け継ぐうえで布教の地を京都に定めました。この決意をしたのは日蓮所縁の地、能登半島の七尾でありまして、そこから上洛へ。

 卯木山妙蓮寺という山号は、卯木という名前がもともと柳を示す由来があるといいまして、当時布教を行うにも所縁の寺院は京都には無く、日像さん一人熱心に幾日も柳の木下で念仏を唱えており、その柳の木はすぐ隣に柳屋酒店という商店が営まれていたという。

 五条西洞院の柳酒屋、日像さんへ最初に帰依した町衆の方がこの柳酒屋さんで、最初は柳の下で熱心に念仏を唱える様子を見ているだけなのでしたが、法話などを説法を重ねるのちにご主人の逝去を機に夫人が出家しまして、夫人は妙蓮法尼として堂宇を拓くことに。

 柳酒屋の柳から木と卯を転じて卯木山妙法蓮華寺、長いので略して妙蓮寺になったという。妙顕寺などほかの日蓮宗寺院と同じく天文年間は西暦1536年の天文法華の乱で焼失することになりましたが、6年後に後奈良天皇は法華宗帰洛の綸旨を下し帰洛が許される。

 豊臣秀吉の京都大改造の際には現在地に移転することとなり、この寺之内通界隈は日蓮宗の本山が並ぶところとなりました。そして、堀川通の向かいにあります本法寺のように、開かれた寺院となっているのが特色であるようにおもう、襖絵などを撮影していい、と。

 長谷川派奥書院及び玄関の間障壁画、重要文化財に指定されているのですが撮影する事が許されていまして、春夏秋冬、この日もものすごい暑さであったので雪景色は幻想のようにみえていたのですけれども、紙本金地著色松桜図などを愛でるように拝見できました。

 本阿弥光悦筆の立正安国論なども収蔵していまして、考えれば本阿弥光悦を京都で迎えたのは同じ日蓮宗寺院であるお隣の本法寺だった、という事に気づきまして、そう寺院は芸術とかかわりを強めていたのが中世の時代の日本の特色なのだよなあ、と考えさせられる。

 長谷川等伯はじめ、実は仏教絵画も書いていると表現するべきか仏教絵画以外も書いていると表現するべきか、日本の文化史において中央の権力者は自らの実用品としての美術以外には無頓着なものが長くありまして、故に大衆文化の担い手は別のところが必要に。

 日蓮宗が芸術をどのように受け止めたのかについては、もう少し調べる機会が欲しいところなのですけれども、安易に布教のための手段ではないことはその画風から確かなことといえるのですよね。こうした気風を受け止めつつ、拝観して巡るのは実に愉しいのだ。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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ウクライナ情勢-北朝鮮暴風号はレオパルト2と戦うか?プーチン大統領キムジョンウン総書記首脳会談へ

2023-09-13 07:00:45 | 国際・政治
■防衛情報-ウクライナ戦争
 東方経済フォーラムとともにロシアと北朝鮮の関係が徐々に対等な関係へ近づいているように見えます。

 ロシアのプーチン大統領と北朝鮮のキムジョンウン総書記はきょうにもロシアアムール州の宇宙基地において首脳会談に臨むものとみられます。その内容については示されていませんが、ロシアウクライナ戦争の長期化を背景に極端な弾薬不足と装備不足に悩まされるロシアと、人工衛星打ち上げ技術や潜水艦技術を欲する北朝鮮の立場が背景にあります。

 北朝鮮軍は火砲数において世界最大規模の砲兵部隊を有しており、軍事境界線付近に配置される火砲だけでNATOではドイツ連邦軍の100倍近い火力を有しています。それは対砲兵能力や陣地変換などの砲兵近代化水準では高水準ではありませんが、火力で苦戦するロシア軍には必要な弾薬を持ちます。一方で北朝鮮には先端軍事技術が不足している現状が。

 軍事偵察衛星打ち上げに連続して失敗している北朝鮮と、先日2017年から船体建造の様子がテレビ報道されていた新型潜水艦を竣工させた北朝鮮ですが、キロ級潜水艦や通常動力型で弾道ミサイル搭載という点では清級弾道ミサイル潜水艦などと比較し、極端に細い船体形状などその技術的水準は高くなく、ロシアからの技術協力を欲しているのでしょう。
■暴風号は供与されるか
 ロシアが欲しているのは弾薬であるという視点もありますが戦車が不足している事も事実です、するとある可能性がわずかではあるのですが。

 北朝鮮の戦車暴風号や千里馬号などの独自戦車がウクライナ軍レオパルト2と戦闘を交える可能性が、多少なりとも出てきました。少し前にはロシアの戦車技術水準の停滞から、中国の98G式戦車とウクライナ国内でラインメタル社が生産の意向を示しているパンター戦車が激突する可能性がありましたが、中国は今なお中立に近い立場で静観しています。

 暴風号と2020年にはアメリカのM-1戦車を模倣した名称不明故にM-2020戦車と公開年度から命名されている戦車が存在します。これらの戦車はどこまで、一見してセンサー系に見えるものが実際に機能するかは不明ですが、北朝鮮はT-62戦車を国産化しているとされ、技術的には古いものの充分動く可能性があり、数が揃えば大きな脅威となりえます。

 ストライカー機動砲に酷似した装備が2020年に登場しましたが、似ているのは外見だけえハッチなどから旧式のBTR-60装甲車上に牽引式のD-30榴弾砲を搭載したものでした。対戦車機動砲としてはほぼ能力を発揮出来ませんが、装輪自走砲としてみた場合は有用な火力支援車輛と成り得るもので、外見の模倣以上に独自の運用能力を持つのは特徴です。

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