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訃報:松林宗恵監督 潜水艦イ57降伏せず・太平洋の嵐・連合艦隊

2009-08-16 12:34:25 | 映画

◆太平洋戦争を語り継いだ予備少尉・僧侶の監督

 映画監督の松林宗恵監督が、昨日朝、急性心不全により亡くなられたとのこと。享年89歳。蕎麦をパチンする森繁久彌と小林圭樹、フランキー堺に加東大介が賑やかな“社長シリーズ”が有名のようだが、戦争映画の監督としても有名だ。

Img_7496  終戦記念日に逝かれるとは。松林宗恵監督、こして故岡本喜八監督の作品などを何度も観返した後で、正直、最近の日本映画で戦争を描いた作品を並べると、どうも見る気になれないのが正直なところ。検証もちょっと、と思う点がありますし、なによりも俳優も監督も、思い切って普通に娯楽映画にした方がいいのでは、と思う事もある。DVDなどで観ていただければ、これは共感できるのだろうか。

Img_8370 『潜水艦イ57降伏せず』、この作品のDVD化で松林監督の名前を知られた方も多いのではないか。終戦直前、沖縄方面での特攻作戦にあたっていた大型潜水艦イ57が特殊任務を帯びて大西洋カナリア諸島に某国外交官を輸送する映画『潜水艦イ57降伏せず』、河本艦長を池辺良が演じ、髭の先任将校志村大尉は三橋達也が演じた。

Img_59431  兵学校を出たばかりの甲板士官山野少尉を久保明が演た。 医師であるとともに最後まで明るく海軍軍人を貫いた中沢軍医中尉に平田昭彦、外交官のベルジェ氏を東宝の外国人といったらこの人というべきアンドリューヒューズが固め、イタリア領事館の紹介で出演した20世紀東宝最大の謎マリアラウレンディも出演。

Img_7219  作品は、当時海上自衛隊唯一の潜水艦である“くろしお”で長期ロケを行い、連合国駆逐艦には、当時の海上自衛隊の護衛艦が次々と登場、爆雷攻撃のシーンも実写で、ヘッジホッグ対潜擲弾の実写シーンも。水中の爆発は、円谷英二の特撮と上手く噛み合っていて、團伊玖磨の音楽も素晴らしい。

Img_7506  何しろ日本特撮の始祖が研究の末に映像美を醸し、しかも音楽は日本有数の作曲家が担当、これほどの迫力の潜水艦映画は、日本では今後考えられず、世界のどの映画祭に出しても誇れる一本、海軍OBも唸らされた作品とのこと。しかし、映画を通じて、なんというか、これはDVD観ていただければ伝わるのだけれども、空気を上手く描いている。

Img_1176  戦争の空気を伝える作品、これはどのようにして描かれたのか、龍谷大学で卒業とともに僧侶となり、その価値観の下で映画を創りたいと日大芸術学部に進み同時に東宝に入社、しかし在学中の1944年海軍兵科予備学生へ、予備少尉として陸戦隊指揮官に着任し実際にアモイに派遣、そこで終戦を迎えている。こうした経験が映画に反映されているのではないだろうかと考える次第。

Img_7497  真珠湾攻撃からミッドウェー海戦までを描き、艦攻搭乗員の海軍士官という視点から戦争を描いた『太平洋の嵐』、平和な東京の市民の視線から全面核戦争の恐怖を描いた『世界大戦争』、紫電改を駆って末期の本土防空に活躍した剣部隊、やや娯楽色がある中で最後が響く『太平洋の翼』。

Img_7503  東宝が1981年に最大の戦争映画として世に送り出した『連合艦隊』、太平洋戦争の開戦から、戦艦大和の沈没までを通じて太平洋戦争を振り返った大河のような戦争映画、そして実質的に東宝が8.15シリーズとして制作した最後の戦争映画であり、その後は、アクション映画やSF映画の延長としての戦争映画だけとなってしまったが、この大作のメガホンを執ったのも松林宗恵監督である。

Img_1210  戦争に参加した戦前派からのメッセージを、次の戦争が起こるまでの語り部として映画を作り続けた松林宗恵監督、遺作となる覚悟で全力を注ぎこんだ『連合艦隊』1981年を最後に映画監督を引退したが、講演活動などは精力的に行われていたとのこと、謹んでご冥福をお祈りいたします。9月10日午後1時半、東京都世田谷区成城1の4の1の東宝スタジオNo.8ステージにて、お別れの会が行われる。

HARUNA

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コメント (4)
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