北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

8.15 終戦の日 日本の戦争への不関与という国是、そして平和の問題

2009-08-15 23:21:13 | 北大路機関特別企画

◆1945.08.15

 本日は終戦記念日。大日本帝国が連合国にポツダム宣言の受諾を宣言し、それを国民に向けて発表し、全部隊に停戦を命令した日である。しかし、その日以来、日本は平和主義を掲げることで世界の戦争という問題に、実質的な不関与を国是としてきた。本日はこの点について少し考えたい。

Img_4743  真珠湾攻撃から僅か半年で東南アジア全域を制圧し、豪州へ空襲、太平洋方面の戦線は南太平洋から米豪通商路に脅威を与え、空母機動部隊は遠くインド洋に展開、インド亜大陸にその威力の一端を向けた。北方アリューシャン列島の一部も占領、中国とアメリカ、そしてイギリス、オランダを相手に戦闘を繰り広げた。

Img_8952  島嶼部を巡る戦いは、必然的に洋上の制海権を巡る激戦となり、海戦史上あらゆる空母同士の海戦は、全て日本との間で戦われ、総力戦における国力減殺を目的とした日本の諸都市への無差別爆撃が繰り返され、最後には二度にわたる核攻撃までもを行い、不可侵条約を結んでいたソ連軍までもが参戦し、圧力を加えたことで、ようやく大日本帝国は降伏に至った。

Img_0298  しかし、日本は全土が文字通り最前線となったドイツと比べれば、サイパンや沖縄本島などの一部を除き、市民を巻き込んだ市街戦には至らず、最後の悲劇は防ぐことができたのかもしれない。帝国議会が大日本帝国憲法から日本国憲法への改正を認め、アメリカをはじめ連合国の総意として講和が成り立ち、主権を回復した。

Img_0963  憲法九条に、戦争の放棄を盛り込んだことにより、世界の平和を巡る問題に、日本は不関与することにより、国際政治に影響を及ぼさないようしよう、という指針が定められたわけではあるが、終戦の時点で連合国が展望した以上に、日本の復興は思いのほか早く、その経済力は世界に影響を及ぼす立場となった。

Img_06551  主権を回復し、自国の防衛は自国により行う必要とともに、防衛力により自国民に影響が及ばない程度に周辺地域の安定させる必要が生じ、結果、歪なかたちでの防衛力を構築する必要に迫られたが、同時に経済活動は全地球規模で展開されるものであり、その必要上から、そして東西冷戦における要求から、その防衛力を経済力に合わせたものに拡大しつつ今日に至る。

Img_31631  武力が無ければ戦争が起きないという事は、現実問題としては正しく、失礼な論法だが、中国大陸に日本が侵攻した際、例えば日本の特務機関などが中国での平和運動を扇動し、結果、中国国内で無抵抗運動が広がれば、日中戦争は起きなかったであろう。しかし、それが国際公序に適っているかと問われればそうではなく、同じ論調で日本の無防備を唱える平和主義には大きな落とし穴がある。従って、均衡を破らない程度の、つまり自衛力としての軍事力は必要となる訳だ。

Img_5060_1  他方で、自衛力としての軍事力を整備しつつも、日本国憲法の解釈として、集団的自衛権の行使を禁じている日本政府は、本来、集団的自衛権の行使の下での国際公序の実現のための国際公共財となるべき軍事力を、世界の為に使う事が出来ず今に至る。同時に、個別的自衛権に限られた軍事力の行使は、国際管理の下ではなく一国の意思により動かすものとなり、いわばこの集団的自衛権行使の違憲判断が世界に意思とは異なる影響を及ぼしているとも言える状態にある。

Img_5464  日本が平和主義を国是として、戦争という国際関係の捻れに対して、関与を拒否していることにより、日本以外の諸国民が、代わって流血を強いられているわけであり、日本よりも豊かでない人たちをも、結果的にではあるが、より深い苦痛と死の正面に立たせることを強いているとも言える訳である。

Img_1617  平和主義という形ではあれ、世界への不関与を以て日本一国の安寧を保とうとする手法は、これは戦争に対する一種の鎖国で、もちろん、国民の命を預かる行政府としては平和的生存権の保障も重大な意味を持つのではあるが、国際公序からは離れているのではないかとも考える次第。

Img_8491  意図したかは論点に含めず、日本国は経済的に大きくなり、国際金融への影響、対外直接投資の規模や、精密機器の世界への供給、技術の錬成、製品の市場として、様々な点で日本の動静は世界に影響を及ぼす大きな地位となっており、結果、こうした様々な面への影響力を有する国は、必然的に、安定し、負の影響を周辺に及ぼさないという義務もあるように思える。

Img_2507  もうひとつ、軍事力の面で、国際社会において安定と秩序の回復や復興への端緒を構築する上で軍事力の助けを必要する諸国民に対して、自国が平時において、供することのできる自衛力を供するということは、果たして悪なのだろうか。無意識に、他国と日本、命の価値の線引きを、日本の平和主義は行っているようにも思えてくる。

Img_4001  もっとも、関与しるべき、とはいっても、これは国内に、これまで国際と国内で引いていた、防衛と安全保障の面での命の線引きを行うべき、という論点ではない。日本の総意として、平和と世界危機に、無視ではなく世界の一員として、関与し、是正する方向に向かうべきではないか、というのが、一つの命題だ。

Img_1616  食料自給率の話題がよく取り上げられるが、食糧の輸入が途絶すれば云々と危機感を煽る発言の数々。しかし、食糧の輸入が途絶するような状況であれば、工業国日本への原材料の供給は、エネルギーの輸入は、どうなるのかまで踏み込んだ発言は少ない。しかし、食糧は完全に途絶しても他のものは順調、という危機の形態を考えるのはナンセンスであることは間違いない。即ち、日本は世界の一員であり、共存と補完関係のもとで成り立っている訳である。このことを考えれば、終戦の日から今日まで、特に軍事力の面で世界に不関与を続けてきた日本外交の在り方は、これからも不変であるべきか否か、再検討の機会も必要になってる区のではないか、そう考える次第。

HARUNA

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