熊本日日新聞、石牟礼道子さんの聞書「わたしを語る『葭の渚』」を連載/東本高志@大分

2009-02-02 11:55:00 | Weblog

熊本日日新聞は昨年の11月から約3か月に渡って『苦海浄土』の作家・石牟礼道子さんの
聞書「わたしを語る『葭の渚』」を連載していましたが、昨日1月31日付の第79回で同連載
は一端休止されることになりました。同紙によればこの連載はしばらくして再開されるとのこ
とですが、一応の区切りではあります。

同連載は聞書ではあるものの、いやそれだけに記者という第三者の目を通した石牟礼道子
という稀有な作家の思想とことばの源泉の貴重な記録ともなっているように思います。

注:同連載は30日以内の記事までは下記のくまにちコムで読むことができます(ただし、今
なら同連載全回分を読むことができるようです。お見逃しなく。無料登録要)。
http://kumanichi.com/feature/kataru/ishimure/20081111001.shtml

なお、はじめに石牟礼さんの「いま」を考える上で、朝日新聞に掲載された石牟礼道子さん
とに文化人類学者の渡辺靖さんの対談をあわせて下記に掲げておこうと思います。


東本高志@大分
taka.h77@basil.ocn.ne.jp

■生きていく強さ弱さとは ――石牟礼道子さんに文化人類学者渡辺靖さんが聞く
(朝日新聞 2008年12月8日)

「生きづらい」と言う前に。自分ではどうしようもない苦しみ、水俣病と長く寄り添った作家と、
希望のありかを考えた。【クロス×トーク】

◆風や草と語る、営みのちから

 渡辺 お会いする前に、熊本県水俣市にある水俣病資料館に寄ってきました。屋上から
見た不知火海と天草諸島がひたすら美しく、息をのみました。それだけに、つつましやかに
暮らしていた人々を襲った水俣病の悲惨さを、強く感じました。

 石牟礼 静かで、のどかで、ひそやかで。それが幸せだったと、水俣病が起きて実感した
んです。もう、大変な落差でしたから。先祖代々のお墓を守ってきた人たちが、全く意外な
苦行を強いられたわけですので。

 渡辺 「苦海浄土」では言葉を畳みかけて主張するのではなく、のどかな日常の描写を大
切にされていましたね。

 石牟礼 あまりに切ないもので、書かずにいられませんでしたし、都会に住む人たちにふ
るさとの意味を思い出してほしいと思いました。

 渡辺 読みながら、水俣病の患者さんとチッソの幹部がわかりあえない当時のさまに、こ
の世の不条理を思いました。

 石牟礼 水俣の北にある津奈木町の患者さんたちがチッソの幹部に面会した時に「もう
会社への義理を捨てなくてはならない」と話したんです。その場にいた私は驚きました。隣
村の大企業のことを、何をしてもらったわけでもないのに、そこまで誇りに思っていたのか
と。私は幹部に「この方たちの心をどう思われますか」と尋ねました。そうしたら「石牟礼さ
ん、ここは文学を語るところではありません。交渉事です」って。絶句いたしました。

 渡辺 それは決定的な裂け目ですね。

 石牟礼 はい。患者さんたちは極限状態なのに、チッソへは「お願いに行く」と言ってま
した。でも、会社側は金を要求しに来たという扱いですから。患者さんたちは東京の社長
さんに会いたいと言い出しました。一番偉い人なら、自分たちの苦しみをわかってくれる
はずだと。「大変でしたね、やっとわからせてもらいました」と言ってもらいたかったのです。
そうすれば救われる。でも、それはなかったですね。

 渡辺 気持ちを受け取るということに、どうしようもない意識の差があったのですね。そ
ういった裂け目は今も格差の問題などで見られますが、埋めていくことはできるのでしょ
うか。

 石牟礼 私の周りの年寄りたちは子どもを褒める時に「おまえは魂の深か子じゃね」
と言うんです。「勉強ができるそうだね」とは言わない。「魂が深い」というのは、その子の
人格の将来をおもんばかった、とてもいいことばです。褒められた方も意味を考えますし。
要は、人様を思いやることができるかどうかだと思います。そういう心根のやさしさを、ど
うやって身につけていくかでしょう。

 渡辺 競争社会のなかでは、その尊さや価値はどんどん顧みられなくなっています。

 石牟礼 人をけ落とす力のある人が勝ち組になっていて。けれども、弱肉強食の動物
に対し、人間には弱者をないがしろにすることを克服する知性があります。一番最初に
あるべき知性なのに、それに気づいていない大人たちが多すぎるのだと思います。

 渡辺 学歴社会で学んだ知識だけでは、ただ一人の魂でさえ読み取ることができない
と書かれていますね。

◆倫理の高さ 方言の世界にこそ

 石牟礼 はい。私の触れた限り、人様を思いやる倫理の高さというか深さは、純然た
る方言の世界にありましたから。自分の思いを標準語に置き換えて出すと、もともと持
っていた情感みたいなものが抜け落ちてしまう。心を表現するのに、ことばはとても大
切です。だから、方言を大事にしたい。

 渡辺 方言でしか成り立たない世界があるのですね。

 石牟礼 宇宙感が違うんです。夕方、海の方から畑に向かって西風が吹いてくる。
「西あげ殿(どの)が吹いてこらすぞ、早う戻ろう」って。風にも敬称をつけるんです。私
の母は、小麦には「団子になってくれようぞ」、畑の草には「2、3日来んうち、太うなっ
たね」と話しかけていました。精霊たちと物を言っているんですよ。

 渡辺 ところで、石牟礼さんは幼い頃から、現世は奈落だと感じていたそうですね。

 石牟礼 極貧の中で育ちましたから。うちの先隣が女郎屋さんで、私は売られるの
ならサーカスがいいと思って、練習しました。梁(はり)に帯をひっかけて、足でぶら下
がって、こう揺れる。近所の子を集めて見せました。学校へあがる前ですが、上手だ
ったんですよ(笑)。ですから、一介の貧民であるという意識が常にあります。負ける
方の側に属しているという思いも。

 渡辺 学生たちと話していると、やさしい気持ちはあっても、それを実際の物事の改
善に結びつけられないことにジレンマを感じています。行動することは難しいですから。

 石牟礼 水俣病患者を最初に診たチッソ付属病院の細川一院長は死の直前、工場
の排水が原因だと突き止めた実験結果があると告白されました。会社に愛着を持っ
ておられましたが、体質を変えないと会社も救われないとおっしゃっていました。

 渡辺 ぎりぎりのところで生まれる希望ですね。いろいろな方の生き様に接してこら
れて、生きる強さというものを、どのようにお考えですか。

 石牟礼 強さではなく、弱さを考えます。よく、自我の塊みたいな人が、ひとたび挫
折すると折れてしまう。わからないですね、人間は強いのか弱いのか。私自身は、曖
昧模糊(あいまいもこ)として長生きし過ぎ。でも、生かされているからには、お返しを
しなければと思っています。できたら、天草の乱を題材にお能を書きたいと思ってい
ます。天草四郎、会ってみたかったです。

◆海と空のあいだに見た情念 ――対談の余白に 渡辺靖
 絶望、怒り、悲しみ、うらみ、裏切り、ねたみ、あざけり、迷い、許し、慈しみ――水
俣の海と空のあいだに石牟礼さんが見たのは、壮絶極まる人間の情念だった。それ
はまた、弱い人間の「強さ」と強い人間の「弱さ」を心に刻み留めた瞬間でもあった。
 直線的な論理や合理性だけでは計りきれない、人間の「強さ」と「弱さ」を描き続け
る石牟礼さん。「心を全部崩壊させた子の中から未来を考える子が出てくるかもしれ
ない」 ――か細くも凛(りん)とほほ笑みながらそう語る石牟礼さんのお姿に、とてつ
もないヒューマニズムを感じた。
 それは人生の苦海を知る者だけが真に語り得る、深い魂の言の葉だった。

 石牟礼道子(いしむれ・みちこ) 27年生まれ。代用教員の後、熊本県水俣市で主
婦をしながら創作活動に入る。69年、水俣病を描き、鎮魂の文学と評された「苦海
浄土(くがいじょうど)」を出版。水俣病患者の支援運動にも携わる。マグサイサイ賞、
朝日賞など受賞。著書に「十六夜橋」など。全集も刊行中。新作能「不知火」の上演
でも注目を浴びた。

 渡辺靖(わたなべ・やすし) 67年生まれ。慶応大教授。文化政策論。近著に「アメ
リカン・センター」。

石牟礼道子さん

 


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