「お前が犯人だ、カネ返せ!」――25歳自衛官を自殺に追い込んだ警務隊濡れ衣捜査 遺族が語る無念
三宅勝久
「私はしておりません。本当にしてないです・‥もう疲れました」――痛ましい言葉を残して、2007年5月、陸上自衛隊の3曹・上田大助さん(享年25)は自殺した。きっかけは、約1ヶ月前に部隊内で起きた20万円入り手提げ金庫の紛失事件。物証が何ひとつないまま上田3曹は「お前が犯人だ」と上司からきめつけられ、警務隊によって連日10時間を超す過酷な取り調べを受けた。その挙句の悲劇だった。「家族思いのやさしい子だった。やさしすぎた。助けてくれって甘えてほしかった」。事件から5年、沈黙を破って遺族は苦悩に満ちた胸中を記者に語った
【Digest】
◇警務官がブルブル震えていた
◇「心配しなくていい」と言った最後の帰省
◇昇任―金庫番着任の直後に事件発生
◇金庫を持ち出したのは誰か
◇4日間で43時間の猛烈な「自白強要」
◇横柄な態度で部下の死を告げた中隊長
◇悲しみは癒えず
◇「一緒に生きていこうね」ブログ
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◇警務官がブルブル震えていた
2007年5月14日、北海道名寄市にある陸上自衛隊の「第2特科連隊第2大隊第4中隊」という通信部隊で悲劇は起きた。この日の早朝、「カマボコ」などと呼ばれている屋内訓練場の中で、上田大助3曹(25歳)が首を吊っているのが発見された。病院に運ばれたがすでに時遅く、死亡が確認された。
上田3曹は「営内舎」という駐屯地内の宿舎で生活していた。営内舎とカマボコまでの距離は数百メートルほどある。死亡推定時刻は14日の午前5時ごろ。ほかの隊員が起床する前に営内舎を抜け出し、屋内訓練場へ入って自殺を決行したらしい。
自殺に使ったロープは、訓練場の床から高さ約3メートルほどのところに結ばれていた。誰の目にもすぐにとまる場所だったことから、「抗議の意味を込めた自殺だったに違いない」と遺族は思った。
「抗議」の意図を込めた自殺だった可能性は、遺書からも推測できる。
上田3曹が持っていた携帯電話のデータのなかに遺書はあった。作成時刻は5月14日午前零時24分。死亡する4時間あまり前にあたる。送信された痕跡はなく「原稿」の状態で保存されていた。
遺書
私はしておりません。本当にしていないです。ですがしていないけど自分が怪しいのは自分でも分かります。適当、ウソもついたし自業自得だと思います。金庫を盗んでないけど証明しようもないし。証明しようがありません。自分で思い出せないし誰に聞くこともできない。お母さん、兄弟には本当にごめんね。もう疲れました。親不孝ですよね。本当にごめんなさい。精神的に疲れました。本当に疲れました。もう限界です。ほかに犯人は絶対にいます。だれかはわかりませんが犯人は自分のことを恨んでいたのでしょうか? おとしいれようとしたのかわかりませんが犯人を本当にうらみます。犯人を見つけてください。お願いします。(後略)
「していない」「金庫を盗んでない」「もう限界です」「犯人を見つけてください」――意味ありげなこれらのメッセージに、遺族は思い当たる節があった。10日ほど前、上田3曹は実家に帰省した。その際、家族にある話を漏らしている。
「大助から電話があったのは4月下旬のことでした‥・」
大助さんの姉が振り返る
◇「心配しなくていい」と言った最後の帰省
電話の用件は5月の連休の予定についてだった。
「いまちょっとしたことがあって連休は帰れないかもしれない。いや帰れると思うけど‥・」
大助さんは電話口でそう言った。家族思いで里帰りは欠かしたことがない。何かあったのか。姉は尋ねたが、「帰ったら言うよ」と思わせぶりな言い方しかしなかった。
結局、この電話から10日後の5月2日、大助さんは家族に元気そうな顔をみせる。駐屯地から100キロメートル以上離れたT市の実家に戻って一泊。その際、母親に事件のことを話している。
「おれ金庫番してて、金庫なくなってた。心配しなくていい」
ごく簡単にそう言っただけだった。翌5月3日には近くの姉のところへ泊まった。このときも事件のことを話している。母親に語ったよりもやや詳しい。
〈僕が管理を任されていたのは4中隊の部屋にある大金庫だった。その中に手提げ金庫があって中に20万円ほど入っていた。隊の互助会費だった。4月20日の朝、いつものように大金庫の鍵をあけて中を点検した。すると、手提げ金庫がなかった。上司に報告した。中隊長から個室に呼ばれて「お前が盗ったんだろう」と責められた。帰省できないかもしれないと覚悟していた。でも最終的に、帰ってっていいよと言われたので帰ることができた〉
およそこのような内容だった。深刻な様子には見えなかった。まさか自殺するような危機的な状況が迫っているとは、家族の誰も想像できなかった。
◇昇任―金庫番着任の直後に事件発生
大助さんが金庫番をするようになったのは、事件のわずか1ヶ月足らず前のことだった。そこにこの事件の不思議さがある。金庫番という重責を担ったばかりの隊員が、自分が管理しているカネに手を付けるという大胆なことをするものか、筆者は疑問に思う。
遺族の話では、大助さんは高校卒業後、就職難のなかで家族に勧められて自衛隊に入った。選抜試験の難しい「曹候補学生」という枠での入隊だ.....この続きの文章、および全ての拡大画像は、会員のみに提供されております。
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三宅勝久
「私はしておりません。本当にしてないです・‥もう疲れました」――痛ましい言葉を残して、2007年5月、陸上自衛隊の3曹・上田大助さん(享年25)は自殺した。きっかけは、約1ヶ月前に部隊内で起きた20万円入り手提げ金庫の紛失事件。物証が何ひとつないまま上田3曹は「お前が犯人だ」と上司からきめつけられ、警務隊によって連日10時間を超す過酷な取り調べを受けた。その挙句の悲劇だった。「家族思いのやさしい子だった。やさしすぎた。助けてくれって甘えてほしかった」。事件から5年、沈黙を破って遺族は苦悩に満ちた胸中を記者に語った
【Digest】
◇警務官がブルブル震えていた
◇「心配しなくていい」と言った最後の帰省
◇昇任―金庫番着任の直後に事件発生
◇金庫を持ち出したのは誰か
◇4日間で43時間の猛烈な「自白強要」
◇横柄な態度で部下の死を告げた中隊長
◇悲しみは癒えず
◇「一緒に生きていこうね」ブログ
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◇警務官がブルブル震えていた
2007年5月14日、北海道名寄市にある陸上自衛隊の「第2特科連隊第2大隊第4中隊」という通信部隊で悲劇は起きた。この日の早朝、「カマボコ」などと呼ばれている屋内訓練場の中で、上田大助3曹(25歳)が首を吊っているのが発見された。病院に運ばれたがすでに時遅く、死亡が確認された。
上田3曹は「営内舎」という駐屯地内の宿舎で生活していた。営内舎とカマボコまでの距離は数百メートルほどある。死亡推定時刻は14日の午前5時ごろ。ほかの隊員が起床する前に営内舎を抜け出し、屋内訓練場へ入って自殺を決行したらしい。
自殺に使ったロープは、訓練場の床から高さ約3メートルほどのところに結ばれていた。誰の目にもすぐにとまる場所だったことから、「抗議の意味を込めた自殺だったに違いない」と遺族は思った。
「抗議」の意図を込めた自殺だった可能性は、遺書からも推測できる。
上田3曹が持っていた携帯電話のデータのなかに遺書はあった。作成時刻は5月14日午前零時24分。死亡する4時間あまり前にあたる。送信された痕跡はなく「原稿」の状態で保存されていた。
遺書
私はしておりません。本当にしていないです。ですがしていないけど自分が怪しいのは自分でも分かります。適当、ウソもついたし自業自得だと思います。金庫を盗んでないけど証明しようもないし。証明しようがありません。自分で思い出せないし誰に聞くこともできない。お母さん、兄弟には本当にごめんね。もう疲れました。親不孝ですよね。本当にごめんなさい。精神的に疲れました。本当に疲れました。もう限界です。ほかに犯人は絶対にいます。だれかはわかりませんが犯人は自分のことを恨んでいたのでしょうか? おとしいれようとしたのかわかりませんが犯人を本当にうらみます。犯人を見つけてください。お願いします。(後略)
「していない」「金庫を盗んでない」「もう限界です」「犯人を見つけてください」――意味ありげなこれらのメッセージに、遺族は思い当たる節があった。10日ほど前、上田3曹は実家に帰省した。その際、家族にある話を漏らしている。
「大助から電話があったのは4月下旬のことでした‥・」
大助さんの姉が振り返る
◇「心配しなくていい」と言った最後の帰省
電話の用件は5月の連休の予定についてだった。
「いまちょっとしたことがあって連休は帰れないかもしれない。いや帰れると思うけど‥・」
大助さんは電話口でそう言った。家族思いで里帰りは欠かしたことがない。何かあったのか。姉は尋ねたが、「帰ったら言うよ」と思わせぶりな言い方しかしなかった。
結局、この電話から10日後の5月2日、大助さんは家族に元気そうな顔をみせる。駐屯地から100キロメートル以上離れたT市の実家に戻って一泊。その際、母親に事件のことを話している。
「おれ金庫番してて、金庫なくなってた。心配しなくていい」
ごく簡単にそう言っただけだった。翌5月3日には近くの姉のところへ泊まった。このときも事件のことを話している。母親に語ったよりもやや詳しい。
〈僕が管理を任されていたのは4中隊の部屋にある大金庫だった。その中に手提げ金庫があって中に20万円ほど入っていた。隊の互助会費だった。4月20日の朝、いつものように大金庫の鍵をあけて中を点検した。すると、手提げ金庫がなかった。上司に報告した。中隊長から個室に呼ばれて「お前が盗ったんだろう」と責められた。帰省できないかもしれないと覚悟していた。でも最終的に、帰ってっていいよと言われたので帰ることができた〉
およそこのような内容だった。深刻な様子には見えなかった。まさか自殺するような危機的な状況が迫っているとは、家族の誰も想像できなかった。
◇昇任―金庫番着任の直後に事件発生
大助さんが金庫番をするようになったのは、事件のわずか1ヶ月足らず前のことだった。そこにこの事件の不思議さがある。金庫番という重責を担ったばかりの隊員が、自分が管理しているカネに手を付けるという大胆なことをするものか、筆者は疑問に思う。
遺族の話では、大助さんは高校卒業後、就職難のなかで家族に勧められて自衛隊に入った。選抜試験の難しい「曹候補学生」という枠での入隊だ.....この続きの文章、および全ての拡大画像は、会員のみに提供されております。
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