NHK・Eテレ「日本人は何を考えてきたのか」第9回・大本教 民衆は何を求めたのか

2013-01-03 23:29:44 | 社会
坂井貴司さんから
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 明治維新は、日本人、特に民衆の精神に混乱をもたらしました。
 
 ヨーロッパやアメリカの機械文明に対して日本人は、一見すると驚異的な順応力を発揮して吸収していったようでした。
しかし急速な都市化と、徳川幕府体制を支えた農村共同体の解体、資本主義の「移植」、功利主義や自由主義、社会主義などの思想の流入は、日本人の精神に混乱をもたらしました。多くの人々が疎外感を感じるようになりました。
 
 民衆は新たな形の救いを求めました。
 
 それが幕末から明治にかけて仏教や神道、そしてキリスト教とは違う民衆宗教を数多く生み出しました。
 
 その中で、急速に信者を増やし、支配階級にも信者を獲得したのが大本教でした。
 
 開祖、出口ナオは「立て替え」「立て直し」と呼ばれる独自の終末観を掲げました。
跡を継いだ出口王仁三郎は大正維新、昭和維新を掲げ、飛躍的に信者数を増やし、注目されました。
しかし、昭和初期、大本教は2度に渡り政府から邪教集団として異常なまで激しい弾圧を受けました。
神殿をダイナマイトで破壊することまでされました。
 
 国家神道体制下の宗教弾圧とされるこの大本教事件から、民衆は何に救いを求めたのかを放送します。
 
NHK教育

「日本人は何を考えてきたのか」

第9回
大本教 民衆は何を求めたのか ~出口なお・王仁三郎~ 
http://www.nhk.or.jp//nihonjin/schedule/0106.html

放送日:1月6日(日)
放送時間:午後10時~11時30分

坂井貴司
福岡県
E-Mail:donko@ac.csf.ne.jp

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昭和編・戦争の時代を生きる

第9回 大本教 民衆は何を求めたのか ~出口なお・王仁三郎~
1月6日(日)午後10時~11時30分

幕末から明治維新後、各地でうまれた民衆宗教。なかでも大本教の開祖・出口なおは、近代化のなかで疎外された民衆の声を「お筆先」で表し、「立て替え」「立て直し」と呼ばれる独自の終末観を唱えた。これを引き継いだ出口王仁三郎は皇道主義のもと、大正維新、昭和維新を掲げ、秋山真之ら海軍上層部にも信者を獲得、飛躍的に教団を拡大していった。しかし、特高警察によって2回にわたる弾圧を受ける。
大本教は、明治維新後の近代化をどのようにとらえていたのか。なぜ国家から危険視されたのかー。
番組では北海道大学准教授の中島岳志さんが亀岡、綾部など大本教ゆかりの地を訪ね、近代日本の民衆思想に分け入り、弾圧事件の真相に迫る。

【出演】中島岳志(北海道大学准教授)、安丸良夫(一橋大学名誉教授)、島薗進(東京大学教授)、三宅民夫アナウンサー

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第10回 昭和維新の指導者たち ~北一輝と大川周明~
1月13日(日)午後10時~11時30分

「昭和維新」を唱道し、軍内部にも影響力を持った思想家・北一輝と大川周明。二人は若き日、社会主義思想の影響を受け、社会の変革を目指していた。その変革構想はまたアジアとの連帯を視野に入れていた。北は辛亥革命で革命派の宋教仁を支援し、大川はインド独立をめざすラース・ビハーリー・ボースらと交流する。大川はやがてイスラム学の研究を進め、大アジア主義を掲げて後進を育成していった。
しかし、北一輝は2・26事件で逮捕され、処刑される。そして大川は敗戦後、A級戦犯容疑者として訴追されるが、精神障害で免訴となった。
二人はアジアの中で、どのような変革の構想を持っていたのか。そして、昭和初期の軍のクーデター、5・15事件、2・26事件にどのように関わっていたのか。ジャーナリストの田原総一朗さんが二人の故郷、新潟県・佐渡や山形県・庄内地方などを訪ね、その思想の軌跡を追う。

【出演】田原総一朗(ジャーナリスト)、松本健一(麗澤大学教授)、三宅民夫アナウンサー

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第11回 近代を超えて ~西田幾多郎と京都学派~
1月20日(日)午後10時~11時30分

「善の研究」で「純粋経験」の論理化につとめた西田幾多郎。人生苦の中で参禅し、西欧近代哲学の主客二分の認識を越える思想を産み出そうと苦闘していた。京都大学教授となった西田の下からは、田辺元、三木清ら多数の人材が輩出し「京都学派」と呼ばれるようになる。
やがて戦争の時代、「近代の超克」を唱える西谷啓治ら4人の京都学派の哲学者に海軍省調査課長の高木惣吉が近づき、戦争の理論化を図った。その会合の様子を記した「大島メモ」が発見され、議論の内容が明らかになった。また、三木清は近衞文麿の昭和研究会に参加し、「東亜協同体」を主張するが、治安維持法違反で逮捕され、終戦直後に獄死する。
番組では、生物学者の福岡伸一さんが、近代と格闘した西田幾多ゆかりの金沢、京都を訪ね、京都学派と戦争との関わりを考えていく。

【出演】福岡伸一(青山学院大学教授)、藤田正勝(京都大学教授)、植村和秀(京都産業大学教授)、三宅民夫アナウンサー

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第12回 女たちは解放をめざす ~平塚らいてうと市川房枝~
1月27日(日)午後10時~11時30分

「元始、女性は太陽であった」。雑誌「青鞜」で高らかに女権を宣言した平塚らいてう。彼女と共に、新婦人協会を設立し、婦人参政権の獲得を目指した市川房枝。二人は戦争に向かう時代の激流に否応なく飲み込まれていく。「母性主義」を掲げた平塚は国家による母子の保護を主張、市川は選挙粛正運動を進め太平洋戦争の総動員体制に協力していく。
敗戦後、最初の総選挙で女性に参政権が認められるが、市川は公職追放された。その後、追放解除となった市川は参議院議員として活躍。平塚と市川は手を携えて、再軍備反対と平和を訴えていった。
番組では、祖母が平塚らいてうの「青鞜」に影響を受けたという法政大学教授の田中優子さんが、ゆかりの人々を訪ね、女性解放運動の歩みをたどっていく。

【出演】田中優子(法政大学教授)、上野千鶴子(NPO法人ウィメンズアクションネットワーク理事長)、伊東敏恵アナウンサー

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再放送も 放送中
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第3回「森と水と共に生きる~田中正造と南方熊楠~」
1月4日(金) 午前0:45~午前2:15

今から100年前、森と水を守ろうとした田中正造と南方熊楠。田中は足尾鉱毒事件に半生をささげた政治家だが、最近、晩年の思想が注目されている。政府の強制立ち退きに反対する谷中村に入り、水と共に生きる思想を深めていった。一方、南方は神社合祀令に反対し、熊野の森を守ろうと奔走する。そこには生物学、民俗学などの幅広い知見に基づいた西洋文明への根源的な批判があった。俳優・西島秀俊さんが、2人の足跡を旅する
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第4回「非戦と平等を求めて~幸徳秋水と堺利彦~」
1月4日(金) 午前2:15~午前3:45

日露戦争で非戦論を唱えた幸徳秋水と堺利彦。1910年の大逆事件で幸徳は死刑となるが、その後の「社会主義冬の時代」を、堺は文筆で生き抜いていく。直接行動を主張した幸徳に対し、堺はあくまで議会制民主主義の中で変革を考えていた。しかし2人は堅い絆で結ばれ、戦争反対では一致していた。フランスボルドー第三大学のクリスチーヌ・レヴィさんが、2人のゆかりの地を訪ね、世界史の中で非戦論の意義を考えていく。
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第5回「東と西をつなぐ~内村鑑三と新渡戸稲造~」
1月5日(土) 午前0:15~午前1:45

若き日、札幌農学校で共に学び、キリスト教に入信した内村鑑三と新渡戸稲造。二人は長く友情を育みながら、日本を広く西洋に紹介。東と西をつなぎ、平和を模索していく。教育勅語不敬事件を機に、野に下った内村は、日露戦争で非戦論を唱える。新渡戸は国際連盟で平和に向けた活動を続け、太平洋戦争前夜、日米の懸け橋となろうとした。二人の足跡を追って、北海道教育大学准教授のミシェル・ラフェイさんが欧米や韓国を訪ねる。
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第6回「大正デモクラシーと中国・朝鮮」
1月5日(土) 午前1:45~午前3:15

大正デモクラシーの理論的指導者・吉野作造。朝鮮人留学生と交流するなかで、植民地支配に疑問を抱き、その独立を支持するようになる。一方、「東洋経済新報」の記者・石橋湛山は「小日本主義」を唱え、植民地・朝鮮や満蒙を放棄するという当時としては画期的な提言を行った。石橋は首相退陣後の晩年まで日中国交正常化に力を注いだ。政治学者・姜尚中さんが韓国を訪ね、アジアの中で日本の進路を模索した二人の思想に光を当てる
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第7回▽魂のゆくえを見つめて~柳田国男 東北をゆく
1月6日(日) 午前0:10~午前1:40

民俗学の父・柳田国男は明治の三陸大津波から25年後、東北を歩き「雪国の春」を著した。絵馬で被災前の記憶を伝える人々、「食うが大事」と高台ではなく浜辺に住む人々など、被災後の現実が活写されている。代表作「遠野物語」には妻を津波でなくした男の話が採録されている。死後、魂はどこへゆくのか。柳田や弟子・折口信夫は追究し続けた。番組では作家・重松清さんが柳田の目を通して東北の復興と魂のゆくえを見つめていく。
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第8回「人間復興の経済学をめざして」
1月6日(日) 午前1:40~午前3:10

大正から昭和の時代、貧困などの社会問題に取り組んだ経済学者がいた。日本のマルクス経済学研究の草分け、河上肇、そして厚生経済学を提唱した福田徳三である。二人は、論争し合いながら、日本に経済学を普及させていった。
河上は、ヨーロッパ留学で資本主義社会の矛盾を目の当たりにし、「貧乏物語」を発表、時代を代表するベストセラーとなる。しかし、同書が批判を受けると、マルクス主義経済学の研究を続け、資本主義経済の枠組みそのものの変革を目指すようになる。河上の思想は日本のみならず、毛沢東、周恩来ら中国にも影響を与えていく。
一方、ドイツで学んだ福田は、生存権、労働権を主張し、社会政策への強い関心を抱いていた。関東大震災の直後に被災地を歩いて、社会調査を行い、「復興経済」を被災民の立場にたって構想した。晩年に厚生経済学を研究し、今日の福祉国家構想の先駆けとなった福田の研究は3・11後、改めて注目を集めている。
番組では「人間復興の経済学」を模索する経済評論家の内橋克人さんが、「経世在民」を貫いた二人の経済学者の姿を追う。


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