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ご訪問いただきありがとうございます。安政の探検家松浦武四郎足跡を訪ね、音楽と自然、いにしえのロマンを愛する旅人です。

道南の中世ロマンを訪ねる:その2志苔館跡と武四郎の記録

2016-07-24 10:07:12 | 旅行
函館市湯の川から国道278号線を恵山方面に進むと「志海苔町」がある。「志苔館跡」への案内板があり、左折すると少し高台に史跡がある。(訪問日:2016年4月26日)
この館跡については、松浦武四郎著「渡島日誌巻の四に探検の様子が記録されている。
『旧事記に永正八年四月十六日志濃里(志海苔のこと)、宇須獄(岸)、与倉前は酋長為ㇾ夷敗、因ㇾ之河野季通、小林良定、今井季景等自殺(下略)と有(注釈では戦死となっている)。今此陸を見るや穴居跡多かりしが可ㇾ考ㇾ之こと也。志海苔村人家三十余、漁者にて少し農也。浜形南向き、右に尻沢辺崎、左汐首岬の間一湾なり。』と
更に志海苔について『村の上に小林氏の古塁有五丁十三間擂鉢石大岩境目也。湯の川境より八丁三十三間人家つづき一町三十間セハ澗 小澗沖に岩磯有』とあります。
松浦武四郎も志苔館を探検していたのです。
史跡入り口の石碑

史跡指定は昭和九年八月九日、追加指定が昭和五十二年四月二十七日
説明版

『志苔館跡は函館の中心部から約9キロメートル離れた標高二十五メートルほどの海岸段丘南端部に位置している。
西側には志海苔川が流れ、南がわは志海苔の市街地及び津軽海峡に面し、函館市街や対岸の下北半島等を一望することができる。
館跡はほぼ長方形をなし、四方は高さ二~四メートル、幅十~十五メートルの土塁が巡らされている。
松前藩の「新羅之訪録」によると、室町時代頃、道内には十二の和人の館があり、志苔館もその一つで、小林太郎坐左衛門良景が居住していたことが記されている。この記述によれば、康正二年(一四五六)志苔館付近はアイヌの蜂起があり、この戦いにより翌長禄元年五月十四日志海苔が攻め落とされといわれている。戦いの後、再び小林氏が館に除中していたが、永世九年(一五十二)四月十六日にアイヌの蜂起があり志苔館は崩落し、館主の小林彌太郎良貞が討死したために、志苔館は廃館となった』と説明が書かれている。

また、近くにコシャマインの戦いで亡くなった和人とアイヌの殉難碑が並んで建立されている。
説明版

『和人殉難・阿伊努悵魂御霊慰霊碑』と慰霊碑2基

館跡の平地の様子
 柵跡

 土塁から見える函館山の景色


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