気紛れ貴婦人願望バーバの徒然草~カムイミンタラに憧れ、悠々自適人になりたい

ご訪問いただきありがとうございます。安政の探検家松浦武四郎足跡を訪ね、音楽と自然、いにしえのロマンを愛する旅人です。

新十津川町 松浦武四郎の歌碑と金滴酒造付近の宿泊地

2013-04-10 19:09:44 | 旅行
2011年6月2日、新十津川町開拓記念館まえにある中央公園内の松浦武四郎の歌碑を訪ねた。
新十津川町については、開拓記念館からパンフレットをいただき、母村である奈良県吉野郡の十津川郷
一帯が、明治22年8月豪雨に見舞われ人口12,862人中亡くなった人168人、負傷者20人家屋流出、
戸数2,403戸中、全半壊610戸、田畑山林など、村の4分の1が全壊する大惨事となり、北海道
移住に至ったという経緯が記載されている。公園の隣にも移住開拓の碑がある。
松浦武四郎の歌碑は安政4年旧暦5月15日、この地を訪れ徳富川河口に泊まった時に詠んだ歌
『日数経て突区の里に来て見れば、ここもかはらぬ茅ぶきの宿』と刻まれている。
新十津川開拓記念館と歌碑
 


開基の碑と新十津川開墾碑、忠魂碑  
 開基の碑には『故郷の残夢』と題して『吾等祖先の住み慣れし吉野の里の十津川は前代未聞の洪水に・・・田も畑も
流されし・・・其様を・・・(私は一部読み取れなかった文字あり・・・)』と移住して故郷への思いを感じた。

 新十津川町にはもう一か所松浦武四郎の足跡の碑がある。
国道275号線と451号線の分岐の十字路に金滴酒造の酒蔵があり、その建物の向かいに小さな石碑がある。
松浦武四郎は安政4年5月15日、19日、22日と翌年の2月29日にトックの乙名セツカウシ家で宿泊したことが記録にある。

金滴酒造と石碑 分岐点広場の様子

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