2017年、5月3日、ゴールデンウイーク真っ最中。国道の混雑を考え、函館から大沼ICから高速利用。国縫で降りて目的地へ向かう。
此の地については松浦武四郎の「東蝦夷日誌」の「山越内領」に八雲のサカヤ川~遊楽部川を遡行したり、その後山崎・黒岩のことを調査してモクンヌイ川に辿り着いている。
『此の邊より平地にて砂濱。フイウシナイ過てホロナイ(川有、漁や、雑くら)夷家有、出稼多し。モクンヌイ(幅七八間、船有)モは小さき、クンヌイは暗き義、水濁れるが故、故號。又此方より行くも、彼方より來るも、此邊にて暗く成故ともいへり。・・・左本川、其源エナウシ岳より來る。
シツナイ(静内)なるシャクシャイン此所迄押寄る來るや、蠣崎佐左衛門、爰に陣を取て、山中の金丁共を九百六十人程呼寄障けるに(ふせぎける)、日本方は鐡炮、夷等は毒矢にて、互いに射合えども、日本方の甲冑の鍛えよければ通らず。朝より午刻過迄に夷方五十餘人うたれ候得共、死骸を日本方の目に懸らざる様によく隠したり。・・・』・・・(中略)「夷共志通苅(静狩)山へ逃行しが・・・」
君縫・・・此邊シャクシャインの古戦場なりと云り。』と書かれている。
現在の国縫にあるシャクシャイン古戦場跡碑は2016年(平成28)9月建立されたものである。
場所は国道5号線の旧国縫小学校グランドにあり。
旧国縫小学校・中学校閉校石碑(ここに学ぶ)
シャクシャイン古戦場
石碑の説明には
『一六六九(寛文九)年和人との交易の不平等に怒りをつのらせたアイヌのあさシャクシャインがアイヌモシリ金城に呼びかけ、呼応したアイヌによって軍編成、松前藩に対する一大軍事蜂起となった。
シャクシャイン軍は七月末にはクンヌイに到達し、クンヌイ川を挟んで松前藩と対峙する。
アイヌの毒矢と和人の鉄砲の打ち合いが続いたが、やがてクンヌイに指揮官松前泰広が合流すると武力に劣るシャクシャイン軍は後退を続け、オシャマンベからさらに本拠地シベチャリ(現新ひだか町)まで後退させられた。
シベチャリに退いたシャクシャインは松前藩との和睦をよそおった酒宴で殺され、戦いは終焉に向かった。』
古戦場のあった国縫川(シャクシャイン軍と松前郡が対峙・・・
新ひだか町真歌公園にあるシャクシャイン城址
シャクシャイン像
因みに松前城公園には「耳塚」という碑がある。
昨年、秋訪ね、松前城裏側に「耳塚」を見た。この説明碑には「シャクシャインの戦いで処刑されたアイヌの首謀者14名の首を持ち帰る代わりに耳をそぎ落とし、埋めたといわれるところです。
耳塚写真
此の地については松浦武四郎の「東蝦夷日誌」の「山越内領」に八雲のサカヤ川~遊楽部川を遡行したり、その後山崎・黒岩のことを調査してモクンヌイ川に辿り着いている。
『此の邊より平地にて砂濱。フイウシナイ過てホロナイ(川有、漁や、雑くら)夷家有、出稼多し。モクンヌイ(幅七八間、船有)モは小さき、クンヌイは暗き義、水濁れるが故、故號。又此方より行くも、彼方より來るも、此邊にて暗く成故ともいへり。・・・左本川、其源エナウシ岳より來る。
シツナイ(静内)なるシャクシャイン此所迄押寄る來るや、蠣崎佐左衛門、爰に陣を取て、山中の金丁共を九百六十人程呼寄障けるに(ふせぎける)、日本方は鐡炮、夷等は毒矢にて、互いに射合えども、日本方の甲冑の鍛えよければ通らず。朝より午刻過迄に夷方五十餘人うたれ候得共、死骸を日本方の目に懸らざる様によく隠したり。・・・』・・・(中略)「夷共志通苅(静狩)山へ逃行しが・・・」
君縫・・・此邊シャクシャインの古戦場なりと云り。』と書かれている。
現在の国縫にあるシャクシャイン古戦場跡碑は2016年(平成28)9月建立されたものである。
場所は国道5号線の旧国縫小学校グランドにあり。
旧国縫小学校・中学校閉校石碑(ここに学ぶ)
シャクシャイン古戦場
石碑の説明には
『一六六九(寛文九)年和人との交易の不平等に怒りをつのらせたアイヌのあさシャクシャインがアイヌモシリ金城に呼びかけ、呼応したアイヌによって軍編成、松前藩に対する一大軍事蜂起となった。
シャクシャイン軍は七月末にはクンヌイに到達し、クンヌイ川を挟んで松前藩と対峙する。
アイヌの毒矢と和人の鉄砲の打ち合いが続いたが、やがてクンヌイに指揮官松前泰広が合流すると武力に劣るシャクシャイン軍は後退を続け、オシャマンベからさらに本拠地シベチャリ(現新ひだか町)まで後退させられた。
シベチャリに退いたシャクシャインは松前藩との和睦をよそおった酒宴で殺され、戦いは終焉に向かった。』
古戦場のあった国縫川(シャクシャイン軍と松前郡が対峙・・・
新ひだか町真歌公園にあるシャクシャイン城址
シャクシャイン像
因みに松前城公園には「耳塚」という碑がある。
昨年、秋訪ね、松前城裏側に「耳塚」を見た。この説明碑には「シャクシャインの戦いで処刑されたアイヌの首謀者14名の首を持ち帰る代わりに耳をそぎ落とし、埋めたといわれるところです。
耳塚写真
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