気紛れ貴婦人願望バーバの徒然草~カムイミンタラに憧れ、悠々自適人になりたい

ご訪問いただきありがとうございます。安政の探検家松浦武四郎足跡を訪ね、音楽と自然、いにしえのロマンを愛する旅人です。

史跡探訪で出会った灯台その(3)上ノ国・小砂子の日方泊灯台

2017-08-18 18:46:44 | 日記
2016年9月に上ノ国の史跡を廻り、小砂子という集落の稲荷神社などを訪ねた。
此の地は、安政の探検家、松浦武四郎も「渡島日誌」に記録している。
『江良(松前町)境川(注釈では前後松前時代の小砂子と石崎の境)、過ぎて一ツソリ石、海中に有。此処より陸に上がる。土人は最少し先にて至て上るもよろしと云う。・・・陸路を通ればメノコワシリ・・・山中ハツカミ沢、矢立沢、アブミ沢等云小流有。廻りて赤土坂下りて川端へ出る。是を小砂子山中と云いて、時々熊に出逢・・・』と調査の記録がある。
また、それ以前の時代、国学者の菅江真澄が寛政元年(1785)松前から、久遠の太田神社へ旅する途中、小砂子での伝説を「蝦夷の喧辞瓣」に記録している。
 小砂子は現在の人口約150~160人ほどと少ないが、私にとっては歴史的にも興味深い所がある。
小林優幸著の「菅江真澄と江差浜街道」にも、彼が「チイサゴで織田善四郎宅に宿泊し「小児」伝説を家の人から聞いていたとのこと。約3尺(90cm)ほどの大勢の男たちが小さな船でこの地の磯谷の土を取りに来た…驚いた村の人たちが沖合まで追いかけたが見失ったというもの。北海道には「コロポックル」の話があるが・・・道南にもそういう話しがあるということ。何か共通しているものがあるのかな・・・。
小砂子の集落は国道228号の松前町と上ノ国町の境にある「願掛1号橋」


細い道を行く先に燈台がある。
「日方泊灯台」とプレートには刻まれている。プレートは灯台名が辛うじて読める程度に文字は薄くなっている。


設立は昭和46年11月1日小砂子漁港への出入りする船や沿岸を航行する船を見守る役割をしている。

小砂子は嶮しい山の側面に民家や神社・漁港があり、国道に戻って、町道の高台から港などを見て探せなかった神社の鳥居がないか・・・見渡したが、見当たらず、もう一度集落に行って町の人に神社のことを伺ったのです。神社は崖になったような所にあり、鬱蒼とした林があったので、鳥居は見えなかったと納得。
小砂子の稲荷神社(建立年月日は分からず・・古くからあれば、信仰の厚い菅江真澄や松浦武四郎もお参りしていないかな・・・私的願望ですが・・・)

追記:
松浦武四郎の「渡島日誌」を良く見たら・・・稲荷神社のことが出ていた。
『小砂子村人家十四間、此処は山村なれば戸口増さざりしと、山の半腹に桟様に地面を舗て(つらねて)上下に屋敷す。・・・土人多く漁と山稼と畑は少しならで無。・・・村内稲荷社、祭礼二月初の午の日。村端に文化度番所を建て、往来の人を改めしと。今は廃したり。』

漁港と灯台・民家

因みに、燈台の真下にあたる漁港のコンクリートの上方に岩礁が少し見えるが、この岩が北海道地質学百選にと研究されたようです。金沢大学の研究班によると「ジュラ紀付加体の小砂子緑色岩体の地層の動きがわかるとのこと

(金沢大学理学部地球学科より写真引用)
燈台も興味があるが、旅で奇岩に出会うのも楽しい。(写真は保存なくなったが、花咲の車石や道南金剛といわれる柱状節理など地球の成り立ちが不思議なくらい面白い・・・




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