10歳の放浪記 上條 さなえ著 講談社
著者の子供の頃の、実人生について、書かれた本です。
でも創られた小説のように感じてしまうほど、在り得ない 悲惨な、
少女時代を送っています。
昭和30年前後は まだまだ敗戦の残像が街の中には残っておりましたが、
その一つ 戦争孤児と言われ ガード下で生活していた 子供たちも、
施設に収容され少しづつ、落ちついて来た時代です。
その頃 彼女は家も・仕事も失った アル中の父の為、一泊100円の宿賃を稼ぐ為、池袋の パチンコ屋で玉を拾い、店員(ヤクザ)の情けで(玉を出して貰い)、換金をして暮らしていました。
彼女の一番の悲しみは、学校に通えない事でした。その頃 彼女の学びの場は映画館と、暖かく包んでくれる人たちとの交流でした。
映画は 当然お金が無いので、中にいる父を探すという 口実でタダで入館。
閑があると通いました。
その頃アメリカ映画の全盛期で、今でも名画と言われる「アパートの鍵貸します。」・・等多く輸入されてました。彼女は 明るいアメリカ映画で、笑いを貰っていました。温かい心を持った人達も多くいましたが、まだまだ自分の生活で一杯の時代でした。
その後ヤクザの忠告で、父は彼女を南房総の養護学園に入園させました。
其処でも 壮絶な苛めにあったそうですが、先生方のやさしさと、寝る所があり・3度の食事があり・勉強できる 喜びのほうが強く、乗り越えられたそうです。
その後 教員・児童文学作家・教育委員を経て、
2006年10月まで、埼玉県の教育委員長を勤め上げました。
父母が亡くなり、関係者が天上の人となった今、やっと自分史を書く決心がつき、この本が生まれました。今 心から父と母へ「この世に生んでくれてありがとう」 と言葉を送りたい と著者は最後に述べています。
幸せについて考えさせられる本でした。
貸してくださったH先生ありがとう御座いました。
著者の子供の頃の、実人生について、書かれた本です。
でも創られた小説のように感じてしまうほど、在り得ない 悲惨な、
少女時代を送っています。
昭和30年前後は まだまだ敗戦の残像が街の中には残っておりましたが、
その一つ 戦争孤児と言われ ガード下で生活していた 子供たちも、
施設に収容され少しづつ、落ちついて来た時代です。
その頃 彼女は家も・仕事も失った アル中の父の為、一泊100円の宿賃を稼ぐ為、池袋の パチンコ屋で玉を拾い、店員(ヤクザ)の情けで(玉を出して貰い)、換金をして暮らしていました。
彼女の一番の悲しみは、学校に通えない事でした。その頃 彼女の学びの場は映画館と、暖かく包んでくれる人たちとの交流でした。
映画は 当然お金が無いので、中にいる父を探すという 口実でタダで入館。
閑があると通いました。
その頃アメリカ映画の全盛期で、今でも名画と言われる「アパートの鍵貸します。」・・等多く輸入されてました。彼女は 明るいアメリカ映画で、笑いを貰っていました。温かい心を持った人達も多くいましたが、まだまだ自分の生活で一杯の時代でした。
その後ヤクザの忠告で、父は彼女を南房総の養護学園に入園させました。
其処でも 壮絶な苛めにあったそうですが、先生方のやさしさと、寝る所があり・3度の食事があり・勉強できる 喜びのほうが強く、乗り越えられたそうです。
その後 教員・児童文学作家・教育委員を経て、
2006年10月まで、埼玉県の教育委員長を勤め上げました。
父母が亡くなり、関係者が天上の人となった今、やっと自分史を書く決心がつき、この本が生まれました。今 心から父と母へ「この世に生んでくれてありがとう」 と言葉を送りたい と著者は最後に述べています。
幸せについて考えさせられる本でした。
貸してくださったH先生ありがとう御座いました。