Happy-sanになろう!

Happy-sanな日々をご紹介するブログ。旅のお話もいっぱい♪

もし時間とお金がたっぷりあったら・・・

2007年04月07日 | せずにはいられない・・旅の話
もし時間とお金がたっぷりあったら・・・





銀座の街を歩いていて、思う。

銀座はここのところ、すっかり古いビルが
新しくなり、その殆どの路面店が
グッチやクリスチャンディオール、コーチなどの
ブランドのショップになっている。

ながめながら、

”・・・ああ、私も旅行するのをやめれば、
季節の新しいコーチのバックとか、
買えてしまうかもしれない・・・






海辺のホテル




いつだったか、友人と
”お金があったら、何に使う?”という話題で
盛り上がったことがある。


私は、当然のことながら、”旅行”。

もう一人は、”インテリア”。

もう一人は、”お洒落”。


皆、それぞれだなあ、とその時思った。


確かに、お金がたっぷりあったら
ダイアン・キートン主演の映画
”恋愛適齢期”に出てきたような
素敵なインテリアの海辺の家を、
買ってしまうのも・・・いいかもしれない。


それでも、私の”旅する、ココロ”は
止まらない。


潮風をあびた、テラスにて



日本中の、汽車旅。
日本中の、温泉制覇。

ゆっくりと、日本をめぐる旅をしたい

これくらいなら、いわゆる定年後
(・・・私に定年はあるのだろうか?・・・)
出来そうな気がしている。
いや、やるぞ!!



さらに、時間とお金があるならば

オーストラリアを豪華列車で縦断する旅。


南太平洋でスパ三昧の日々。


フランスのワイナリーめぐり。
フランスの田舎をゆっくり旅してみたいな。
(そのうちにフランス語も耳慣れるかも)


ニューヨークでメトロポリタン美術館とMOMAを
好きなだけ堪能する。


イギリスの洒落たB&Bにステイしながら
オーラソーマを極める。


・・・頭の中は世界中を駆け巡り
色々な景色が浮かんでは消え、

そんなイマジネーションの旅でさえ、
私にはとっておきの、時間になる・・・



道端でみつけた、小さな花




例えば、ハンドバックを買ったとしても
しばらくすると、たんすの中でひたすら
寝ているだけの存在になってしまう。


でも、旅は違う。

形にこそ、残らないかもしれないが
ココロの中でずっと残っている。

そして、それは自分だけではなく
一緒に旅した人のココロにもずっと残っている。


そして、その記憶はずっと続くのだ、と思う。


はじめて来たはずの土地なのに
なぜか、来たことが、あるような気がする・・

そんな不思議な経験、
したことある人も、少なくないはず。

それはきっと、前世にそこに
来たことがあって、

遠い記憶は感覚としてそれを
思い起こしてくれているのかも、しれない。


ロマンチックじゃないですか。


一体、どの時代に、

一体、誰と、どんな格好をして、どんな気持ちで

この風景を見ていたのだろう・・・なんて考えるの。


そして、本当に今の自分が旅していた
記憶が、来世の自分にまで残っているとしたら・・・。




だから、やっぱり

私は”たっぷり時間とお金があったら・・・”

旅を続けているはず。









*今週のgooのお題
”もし時間とお金がたっぷりあったら
何します?”について、書いてみました。*








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愛ある、人々

2007年04月04日 | 見つけたHappyたち
愛ある、人々




昨日は、母の一周忌だった。

葬儀に参列して下さった方々の記憶に重なるように
昨日も、
桜が散っていく、寒い雨の日だった。


病気がちだった母は、よく

”私のお葬式なんて、
きっとちょっとの人しか来てくれないわ。”

と言っていた。


母は、”愛の光”を持っている人だった。
優しい色をした、微細な愛の光。

その微細な愛の光に共鳴した人々は
母の死後、一年たったのにも関わらず、

その光をたよりに、

お昼、夕方、夜・・・と
遠く京都から、
軽井沢から、


多忙な方々が、400名も集まってくださった。



春の小花たちに囲まれて・・・


お昼の会は、

評論家の秋山ちえ子先生のお話でお開きとなった。

秋山ちえ子先生は、
今年で90歳になられる。

ラジオ番組”秋山ちえ子の談話室”を
毎日45年間も続けられたり

福祉事業に色々と携わっていられたり、

戦後の日本の女性の生き方を導いてこられた方だ。


先生と母は、やはり共鳴しあう部分があったようで

度々先生のラジオ番組でも
母の話が出たり、

折にふれ、病気がちな母に季節のお便りを
下さったりしていた。



他の一周忌がどのような形でしめくくられるかは
わからないが、

昨日の母の会は、和やかで優しい気持ちがいっぱいにひろがる、
そんな会となった。


そんな会のしめくくりに、
先生のお言葉が皆の心を温める。



母の好きだった花をいっぱい飾って。



先生は、まず、今日、会場に着いたら
母に会って、お話をしたのよ、と始める。

90歳になって、
2つの福祉活動の目標を持って毎日過ごしているけれど、

母と話をしているうちに
もうひとつ、目標が出来た、とおっしゃる。

年をとるとなかなか億劫になって
出かけることが少なくなるけれども、
これからは、毎月、月に1回は、
母と出会った公園に
散歩にくることにしました、と。

公園には色々な植物や花や、
発見することがもう、いっぱいあって
それを楽しく見つけながら、お散歩をして、
おなかがすいたら、
美味しいものを、少し、頂くのを楽しみにしようと思うの。

そんな目標を作ってくれた母に、
今日は、
心から、感謝の気持ちでいっぱいです・・・


先生の生き生きとした表情に、
会場から、思わず拍手が。

その前向きな姿勢、
感性の豊かさ、
そして、感謝を全身で表現なさる先生のまわりに

確かに、

愛の光が注がれているのが、私にはみえた。





ななちゃんから母へ・・・。ありがとう。



私は、想う。


お金も、物も、名声も、

肉体があるときには必要なものだけれど

肉体から離れたらそれらは
あまり価値のないものになっていく。



でも、”愛”は残る。


その人の注いだ”愛のすべて”は

ひとつも色あせることなく
いつまでも

その”愛”を感じ取った人々の心の中で

生き続ける。

輝き続ける。


昨日、母のために集まってきてくださった方々は、

純粋に、母の”愛の光”を心に感じていた方々。

その方々の心の中では、
母の愛が今でも、そしてこれからも、生き続けているのだ。


病気がちで、色々な思いをこの世に残しながら
肉体から離れた母だけれど、

昨日は自分がどれほど沢山の愛の光を
放っていたのかを知り、
驚いていたことだろう。


愛ある人のところには、
愛ある人が集まる。


それを、教わった
母の一周忌であった。












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おかげさま

2007年04月04日 | 見つけたHappyたち
おかげさま




私の、座右の銘(・・・にあてはまるかどうか?)は

”おかげさま”である。



忙しくて、いっぱいいっぱいのときは
忘れてしまいがちだが、

いつも 一呼吸おいて
自分に言い聞かせる。

”おかげさまで。”

この言葉を唱えると

何か自分が、大きな大きなものに
守られ、生かされているような

有難い感謝の気持ちが
ふぁ~っとカラダいっぱいに広がっていくのだ。




春色のパンジーたち





頑張っていると、

自分ひとりが、頑張っているようなつもりになり、

まわりの人に対して優しい気持ちになんか、なれない時もある。

そういう自分、好きですか?



また、

”自分はどうして、こんな目にあうのだろう・・・。”

誰でも一度はそんな風に思ったことが、あるだろう。
よほど、ラッキーな方は別として。


私は出産と離婚を同時に経験した。

その時、私は、

太平洋の大海原にいかだで漂流している自分が、浮かんだ。


これからどうしたらいいのだろう、
自分の思っていた人生からどんどんかけ離れていく・・・。


・・・そんなときに、

ふっと天から降りてきた言葉が

この”おかげさま”だった。






不思議なことに、

”おかげさま。””おかげさま。”・・・・

と口に出して唱えてみると

気持ちが和らぎ、

自分を包む大いなるものを感じ、
感謝したくなるのだ。

たとえ、行き詰まっていても。





”おかげさま”という言霊はきっと

優しい波動を持って
世界を、地球を、宇宙をかけまわり、


”おかげさまで生きている自分”


に気づきを与えてくれる


今日の一日を、
この”おかげさま”という感謝の気持ちで
終わらせよう。









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風林火山な、旅

2007年04月01日 | せずにはいられない・・旅の話
風林火山な、旅










疾(はや)きこと  風の如く

徐(しずか)なること 林の如し

侵略すること    火の如く

動かざること    山の如し


ご存知、今年の大河ドラマ”風林火山”。


歴史マニアの息子と、風林火山な、旅に出た。


甲府駅にある武田信玄の像



”戦国時代に生まれていたら、
 誰に仕官する?”

息子の問いだ。

私達は結構そんな会話をして過ごすことが多い。

”う~ん・・・徳川家康。”と私。

理由はと聞かれ、

何しろ、あの時代に徳川15代にまでおよぶ
江戸時代の基礎を築いたのは、本当に偉大だ。

私は、江戸時代が好きだし・・・

江戸時代に生まれていたら、京都の呉服問屋の娘がよかった・・・


・・・と話がそれていく。



”貴方に近い歴史上の人物は誰?”

なる心理テストのようなものをやったとき

女性では、お市の方

と出た。

確かに、”お家のために・・・”と
女性としてその人生を家存続のために尽くしたお市と私は
ちょっと考え方が似ているかも、しれない。


風林火山ジュース

新宿駅から特急あずさに乗る。

まずは、甲府へ。

目指すは、甲府から駅徒歩5分のところにある
”風林火山博”。

武田信玄についての展示や
NHKドラマの撮影秘話や衣装の展示などが
盛りだくさんのイベント会場だ。


車内販売のジュースやお弁当も、
”風林火山”。

風林火山弁当


お弁当の中身もゴージャス





私達は、がぜん盛り上がってくる。
そう、
あの 千住 明さん作曲の風林火山のメインテーマを
ついつい口ずさんでしまう。

このメインテーマは、
大河ドラマに興味が無い人にも是非オススメしたい一曲。

”前にすすもう!”と

大きな気持ちで、ポジティブになれる素晴らしい作品だ。




武田信玄



山本勘助


大河ドラマは、武田信玄の軍師であった
山本勘助が主役。

私は、山本勘助役の内野聖陽さんのファンであることから、
一応、今回の旅の企画をたてたわけだ。


歴史マニアの息子との旅はなかなか楽しい。
何しろ、ガイドを雇わなくても
詳しい解説付きの旅が出来るからで、ある。

京都に行っても、
現地のタクシーの運転手さんよりも

寺の建立の謂れや年代、
歴史上の人物の相関関係などすらすらと
説明するものだから、

運転手さん、”僕の説明、いらないですね”。


今回も、武田信玄の24人の部下について
教えてくれたり、
由布姫の謎についてを教えてくれたり。

ふぅん・・・

と私ははとバスの観光客のように
カメラをぶら下げて、説明を聞いて歩くだけだ。


特急あずさが走る沿線ぞいには
武田の所領であった城跡がいくつかあった。

武田家最後の土地、その合戦の名前・・・

私は息子の説明を聞きながら、その乾いた甲斐の土地をながめる。



やがて、私の目的地、”諏訪”にたどり着く。

そう、今度は私の出番。”スピリチュアル”な神社めぐり。


諏訪大社 下社春宮

諏訪大社は、上社・下社からなる。
下社の秋宮の持つ気のパワーは強大らしい。

成長や育成、発展の運気が得られる、という。

上諏訪で特急あずさを降り、
タクシーで下社へ。

するとタクシーの運転手さんが

”今は、神様は春宮にいらっしゃるから
まず、春宮からおまいりするといいよ。”

と教えてくれる。

諏訪大社の上社には
大国主神(オオクニヌシノカミ)の御子神(次男らしい)である
建御名方神(タケミナカタノカミ)がいらっしゃる。

下社はそのお妃神 八坂刀売神(ヤサカトメノカミ)がいらっしゃるそうである。

建御名方神は乱暴者で、出雲から諏訪に閉じ込められ
今でも、神無月でもこの神様だけは
出雲に帰ることが許されず、諏訪上社にいらっしゃるそう。

私が詣でたのは、下社。 お妃神のいらっしゃるほう。
乱暴な神様は、ちょっとご遠慮するのだ。


諏訪大社 下社秋宮 荘厳なお社


神社の境内で、大きく深呼吸。

いっぱい、いっぱい”気”をいただく。

いつも、神社めぐりでは
その特別に清められたかのような空気を
静かに味わう。


松本城


諏訪大社めぐりの後
もう一度、特急あずさに乗り、
最終目的地、松本に着く。

本当は息子は山本勘助の高遠城まで
行きたかったのだが、
時間が遅くなってしまったことと
天候が悪くなってきたことであきらめた。

”また、今度は自分でいけるようになったら、行くよ。”と息子。


松本城を見学。

”この窓から、銃をうったんだよ。”

”この長細い隙間から、弓矢をひいたんだよ、
 こんなふうに・・・。”

息子は武士になりきったように、
その小さな窓から昔の戦の風景に飛び込んでいく。


海外のショッピングやヴァカンスも、憧れだけれど

やはり、私達は日本人。

日本の歴史にゆかりのある土地を辿る旅も、
なかなかいいもの・・。

風林火山な、旅のお話。










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