どーでも、ええやん
私は東京生まれ。
実は関西弁が苦手だった。
よく、
東京の人が ”アホちゃう”
と言われるのと
関西の人が ”バカみたい”
と言われるのとでは
お互いに、
自分の話す言葉でないほうが
<傷つく><ほんとうに馬鹿にされた気がする>
と感じるという話を聞いた時
本当にそうだなぁ・・・と。
”アホちゃう”と言われると
脳の中が空っぽみたいな感じをうける。
”バカみたい”と言われると
ある一定の物事について、くだらない、とか
劣っているとかいう感じをうける。
なので、”アホちゃう”と言われたほうが
全面否定されたようで
嫌だなぁ・・・と感じていた。
ところが、だ。
最近、関西弁のほうが
<Happy道>に近いのではないか、と
思うようになった。
同じ言葉でも
ポジティブな波動と
エネルギッシュな波動と
ハートフルな波動が、
感じられるのだ。
オーラソーマ的に色で表現すると
<レッド~オレンジ>。
なかでも、気に入っているのが
今日のタイトルでもある
”そんなん、どーでも ええやん”
という言葉。
つい私たちは、ココロの中で
ブツブツブツ・・・とつまらないことを
自問自答していたり、
他の人に言われたことについて
あれこれと悩んでしまっていたり、
要は
自分に必要のないことを取り込んでしまって
知らず知らずのうちに
それらにエネルギーをとられていたり、する。
そんな時に颯爽と登場するのが、
”そんなん、どーでも ええやん”
という一言。
自分自身で言ってみる。
”そんなん、どーでも ええやん。”
すると、もう一人の自分は
”そうやね。”
と気軽になる。
でもこれをフツウの言葉(東京弁?)で言ってみると
”そんなこと、どうでもいいぢゃない。”
すると、もう一人の自分はついこう反論したくなる。
”えー・・・、でもさぁ・・・”
そして、その思考回路に
延々とはまっていくので、ある。
九州の言葉は、もともと、好きだ
”よか、よか”
と言ってもらうと
ココロの深いところから許されるような、
大きな懐に抱かれるような感じさえ、する。
”いいよ、いいよ。”
とフツウに言われると
そのこと一つに対しての許し、という印象。
なので、<方言>って大事にしていってもらいたいなぁと思う。
日本人の、
大切にしてきたほっこりした、
炊きたてのご飯でつくったおにぎりのような
そんな温かさが言霊として伝わってくる。
・・・というわけで
最近の私は
<そんなん、どーでも ええやん>
という言葉のおかげで
ちょうど今日の春の陽気のように
軽やかでいられる。
多分、宇宙はとてもシンプルなもので
あれこれとまわりくどい説明や
あれこれとかけひきをするような思考など
重いエネルギーはとおらないのかも、しれない。
シンプルで、ええんや。
そう、そしてもうひとつ
最近大切にしている
Happyに後押ししてくれる言葉。
”やったら、ええやん。”
そう、自分の声以外のことが聞こえてきて
あれこれ悩んでいたら
つたない()関西弁で言ってみる。
”そんなん、どーでも ええやん。”
そして
”やったら、ええやん。”
きっとココロが軽やかになって
Happyな波動に自分を、持っていける、ハズ
私は東京生まれ。
実は関西弁が苦手だった。
よく、
東京の人が ”アホちゃう”
と言われるのと
関西の人が ”バカみたい”
と言われるのとでは
お互いに、
自分の話す言葉でないほうが
<傷つく><ほんとうに馬鹿にされた気がする>
と感じるという話を聞いた時
本当にそうだなぁ・・・と。
”アホちゃう”と言われると
脳の中が空っぽみたいな感じをうける。
”バカみたい”と言われると
ある一定の物事について、くだらない、とか
劣っているとかいう感じをうける。
なので、”アホちゃう”と言われたほうが
全面否定されたようで
嫌だなぁ・・・と感じていた。
ところが、だ。
最近、関西弁のほうが
<Happy道>に近いのではないか、と
思うようになった。
同じ言葉でも
ポジティブな波動と
エネルギッシュな波動と
ハートフルな波動が、
感じられるのだ。
オーラソーマ的に色で表現すると
<レッド~オレンジ>。
なかでも、気に入っているのが
今日のタイトルでもある
”そんなん、どーでも ええやん”
という言葉。
つい私たちは、ココロの中で
ブツブツブツ・・・とつまらないことを
自問自答していたり、
他の人に言われたことについて
あれこれと悩んでしまっていたり、
要は
自分に必要のないことを取り込んでしまって
知らず知らずのうちに
それらにエネルギーをとられていたり、する。
そんな時に颯爽と登場するのが、
”そんなん、どーでも ええやん”
という一言。
自分自身で言ってみる。
”そんなん、どーでも ええやん。”
すると、もう一人の自分は
”そうやね。”
と気軽になる。
でもこれをフツウの言葉(東京弁?)で言ってみると
”そんなこと、どうでもいいぢゃない。”
すると、もう一人の自分はついこう反論したくなる。
”えー・・・、でもさぁ・・・”
そして、その思考回路に
延々とはまっていくので、ある。
九州の言葉は、もともと、好きだ
”よか、よか”
と言ってもらうと
ココロの深いところから許されるような、
大きな懐に抱かれるような感じさえ、する。
”いいよ、いいよ。”
とフツウに言われると
そのこと一つに対しての許し、という印象。
なので、<方言>って大事にしていってもらいたいなぁと思う。
日本人の、
大切にしてきたほっこりした、
炊きたてのご飯でつくったおにぎりのような
そんな温かさが言霊として伝わってくる。
・・・というわけで
最近の私は
<そんなん、どーでも ええやん>
という言葉のおかげで
ちょうど今日の春の陽気のように
軽やかでいられる。
多分、宇宙はとてもシンプルなもので
あれこれとまわりくどい説明や
あれこれとかけひきをするような思考など
重いエネルギーはとおらないのかも、しれない。
シンプルで、ええんや。
そう、そしてもうひとつ
最近大切にしている
Happyに後押ししてくれる言葉。
”やったら、ええやん。”
そう、自分の声以外のことが聞こえてきて
あれこれ悩んでいたら
つたない()関西弁で言ってみる。
”そんなん、どーでも ええやん。”
そして
”やったら、ええやん。”
きっとココロが軽やかになって
Happyな波動に自分を、持っていける、ハズ
こんにちは。
神戸・大阪・京都、と
近いのにコトバが違うのですよね。
面白いです。
私も不出来ながら
関西弁、使うようになり
楽しくなってきました。
<荒ごみ>は、はじめて聞いたコトバです!
happy-san
コメントありがとうございます♪
yukoさまも関西なのですね。
最近関西弁に救われてます^^
なので、多分ぎこちない関西弁なのですが
使わせていただいています!
yukoさまは
たぶん、関西弁と東京弁と英語と
ドイツ語と歌をやっていらっしゃるから
イタリア語なんかもお出来になるのでしょうね・・
すごいっ v^^
happy-san
"そんなん、どーでも ええやん。”ってよく言いますがこれを標準語に訳すと全く違った雰囲気になっちゃうんですね。今気付きました。
Happyさんって面白いことに気付いて楽しいですね!このブログニ来ると本当にHappyさんになれそうな気がします!
では又Happy波動に浸りにやってまいりますね!
わたしは、神戸弁です
代表的なのが、語尾に「~しとう」とか
「やっとうよ」とか「とう」を付けてました。
燃えないごみを「荒ごみ」と言います。
例:「燃えないごみ捨ててるじゃん」が
「荒ごみ捨てと(て)んちゃ~うん!」と
なり、ニュアンスは上あがりに声を
発するので、大和の国の人が聞くと
びっくりするかもしれないです
ダウンタウンや陣内智則さんとかのような
感じですね
こんにちは。
コメントありがとうございます!
silverさまは大和の国なので
バリバリ関西弁ですか?
温かくて
元気のでる響きのある言葉だと
最近、急に感じて
自分自身に言うコトバなんかを
関西弁で言ってみたりしています♪
happy-san
そしたら、友達に「気楽でい~ね~」と
言われたこともあったけど、
やらなきゃしんどいだけやんと
やっぱり、思う今日この頃。。
やってみると思っているより軽やかに
進んでいったりするんですよね
充電できたら、軽やかに、わたしも
進んでいきたいです~
Love Silver